2005-09-01から1ヶ月間の記事一覧

樫村晴香氏のドゥルーズ哲学批判への批判と現時点でのコメント:その

樫村晴香氏のドゥルーズ哲学批判への批判と現時点でのコメント先に掲載した「樫村晴香氏のドゥルーズ哲学批判への批判」は、およそ10ヶ月半前のものであり、今読むと、違う見方が出てくる。ここで、今の私見を付加したい。なお、今の私のコメントは、《 》…

差異の反復、回帰、復活とは何か:不連続的差異論的永遠回帰

どうやら、再び、難問に逢着しました。即ち、輪廻転生があるのか、どうかです。しかし、今回は、差異の反復、差異のプログラムという観点があります。連続・同一性である自我の反復という意味の輪廻転生に関しては、簡単に否定できます。「わたし」は復活し…

再考:生体内のエネルギーの消費と補給とは何か:メディア界と脱メデ

再考:生体内のエネルギーの消費と補給とは何か:メディア界と脱メディア界的指向 先に、差異連結の強度が消耗して、新たな強度を補給するために、食べると述べました。それでは、この強度の消耗と再生とは、どういうことなのでしょうか。この点を、考察した…

メディア界から現象界へ:捩れとらせん

イデア界からメディア界への1/4回転、90度回転を、x軸とy軸の直交座標における二つの垂直な力の関係としよう。そして、これにより、z軸に捩れると考えよう。このz軸の座標が、現象界となるだろう。これはこれでいい。問題は、y軸、即ち、メディア…

美とは何か:メディア界感覚・意識とは何か

私の直感では、諸芸術において、「美」なるものをメディア界で感覚・意識しています。バッハ音楽のすぐれた演奏を聴き、私は、メディア界の感覚・意識で「美」を感じます。確かに、聴覚を通して音楽を聴き、メディア界感覚・意識で音楽を感じます。では、聴…

自我欲望とは何か:一神教、自我、超多神教

メディア界を否定するようにして、連続・同一性の自我が形成されます。精神分析(ラカン)は、想像的ファルスを象徴的ファルスへと転換して、自我である象徴界を形成すると考えています。私見では、これは、父権的な構成です。連続・同一性と言語が一体化し…

言語とメディア界の関係

この問題は実に検討のし甲斐がある。さて、私は、現象界は、言語界でもあると述べた。言語分節によって現象界を形成しているのである。すなわち、メディア界を、連続・同一性である言語によって分節化・固定化して現象界を形成しているのである。つまり、メ…

日本人を進化させる:日本人の「精神」を哲学する

日本は、近代以前は、単独的な、特異な個性をもった人間が多く居た。しかし、今日、ひどくせせこましい、窮屈な、疑似共同体意識(ナショナリズム)の社会・世間となっている。どうも、孤立を恐れて、勇敢な態度がとれないようだ。思うに、韓国人や中国人の…

不連続的差異論入門:らせん、渦巻、渦動

遺伝子の話に触れたので、ここで、遺伝子が内包されているとされるDNAの形状である二重らせん等について簡単に考えてみたいと思います。 四つの塩基のペアからDNAは生まれます。ここでも、4という数字に注目したいと思います。4は現象界の元の数です。つい…

不連続的差異論のやさしい解説を始めました

http://www.doblog.com/weblog/myblog/53913

メディア界の構造について:イデア・デュナミスのメディア・エネルゲ

イデア界・ガウス平面で生じる1/4回転・90度回転によって生起する事態とはいったい何なのであろうか。「ゼロ」化である。しかし、これは疑似ゼロ化である。差異の境界が消滅するように見える。つまり、y軸・虚数軸で差異が連なるのであるが、この差異…

連続/脱連続化エネルギーと極性エネルギー

先に、「個と生死」というタイトルで、検討したが、どうも本件の事柄を混同しているか、あるいは不明瞭、不明確なので、ここで検討したい。 問題は、メディア界の極性力が、差異順列化のエネルギーなのかどうかである。もう一度図示する。d1±d2±d3・・…

個と生死:「霊」とは何か

私は、輪廻転生の存在を批判して、否定した。つまり、霊は存在しないということである。存在するのは、永遠の複数の差異であり、個は、死んだとき、連続性が解体して、差異へ還元されるということである。「わたし」という個の発生は、メディア界におけるあ…

初めに、メディアありき:感覚senseとポスト・モダン的メディア感覚

senseセンスとは何だろうか。これは、感覚、意味、知覚、理性等、内包されているものが幅広い。私の直感では、senseセンスとは、不連続的差異論のメディア界の知覚のことである。これを少し考察してみよう。 メディア界は、差異が共存している領域である。そ…

Pagan Frontier and Resurrections: The Escaped Cock and The Book

“Pagan Frontier and Resurrections: D. H. Lawrence’s The Escaped Cock and Shinobu Orikuchi’s The Book of the Dead” By Hiroaki Inami The aim of this paper: Focusing on visions of a new religion of these texts and the authors’ thoughts, we wi…

特異性と普遍性について:ポスト一神教としての新多神教

特異性と普遍性について太陽は、メディア界ないしメディアの「力」の現象であると言えよう。そして、諸惑星、諸衛星、諸小惑星、星間物質等は、太陽系メディア界の差異の現象と言えよう。問題は、特異性である。特異性に普遍性がある。この普遍性とは、メデ…

メディア界の解放と資本主義:メディア資本主義

おそらく、ポスト近代として、メディア界が解放されて、この多種多様性、生成変化性と資本主義が連結するのだろう。p.s. ガタリ&ドゥルーズの『アンチ・オイディプス:資本主義と分裂症』は、このメディア資本主義の概念の手前まで行ったが、メディア界を彼…

メディオソフィオロジーへ向けて:自我とは何か:連続欲望と差異メデ

人間において、メディア界の動性・ダイナミクスを表現しないと、メディア界の力が、盲目的に衝動化するのではないか。自我は、メディア界を基盤にしているが、メディア界への反動性をもって、メディア界を排出・隠蔽している。いわば、メディア界の封印ない…

メディア・ロゴス又はメディオロゴス論

メディア・ロゴス(メディオロゴス又は短縮して、メディオ)とは、通常の言語ではない。そう、ロゴスと言語の違いを明確にしないといけない。ヨハネの福音書は、「はじめに、ロゴスありき」であり、「はじめに、言葉ありき」ではないのだ。思うに、差異・粒…

折口神道神学と不連続的差異論:超越神と内在神の統一

安藤礼二氏の『神々の闘争 折口信夫論』の「第五章 内在と超越の一神教」は、実に刺激適である。折口の神道論の先駆者として、平田篤胤をあげている。平田篤胤はキリスト教の影響を受けて、古事記の造化の三神を、「主宰神」としての天御中主神、天地創造す…

産霊神(むすびのかみ)とイデア界:折口信夫の神道教論

安藤礼二氏によると折口信夫は、新神道の神として一神教的神を考えていたという。どうだろうか。私見では、折口は多神教と一神教の間で、揺れ動いていたと思う。安藤氏は次のように書いている。 「折口信夫は一貫して、一神教的な「神道」を目指していた。」…

音楽と美術と文学:メディア言語とメディア界:メディア資本主義

私は、作業仮説として、音楽、美術、文学という伝統的な芸術をメディア芸術として括りたいと思う。これは、実は、メディオロジーの一部である。とまれ、ここでは、メディア芸術を問題にしたい。今は簡単に触れる。 音楽の死が現在あると思う。musicは西洋で…

自我・仮面・パフォーマンスと差異・共感倫理・メディア界知

『村上龍氏のベストセラー小説「半島を出よ」にある、「自分たちはこれほど必死で日本全体の治安を考えているんですよというパフォーマンスにすぎないのだ」という一節が、ふと頭に浮かんでしまう。』 http://www.asyura2.com/0502/senkyo9/msg/907.htmlこの…

差異と霊魂(霊・スピリット):不連続的差異論による宗教・神秘学・

私は宗教的用語を用いているが、究極的には、宗教は消滅すると思う。しかし、人間の生存条件の過酷さ・理不尽さ・不合理さ等がある限り、宗教はなくならない。それは、必要とされるのである。だから、私は、宗教論において、不連続的差異論に呼応する限り、…

個の特異性と普遍性:不連続的差異論とキリスト教

EUは、憲法批准で、つまづいているようだが、私は、EUは、古ヨーロッパの螺旋的回帰ではないかと、推測する。古ヨーロッパとは、アメリカが言う古い欧州ではなくて、考古学的なものである。女神・母権的なヨーロッパである。アーリア民族が侵入する以前のヨ…

個と普遍性:イデア界的普遍性と全体的普遍性

少し、確認したい。 不連続的差異論から見ると、個の普遍性とは、個が他者と共立連結することに存する。しかし、たとえば、キリスト教的普遍性、国家的普遍性とは、個ではなくて、キリストというモデル、国家というモデルが前提としてあり、個は疎外されるの…

メディア界と古事記の三神:不連続的差異論と占星学と物理学

メディア界と古事記の三神メディア界は、差異が極性連結する領域・軸である。簡単に記述する。メディア界:d1±d2±d3±・・・±dnこれは、二極化する。1)−d1+−d2+−d3+−・・・−dn+ 2)+d1−+d2−+d3−+・・・+dn−そして、これ…

スピノザ哲学と不連続的差異論:スピノザ哲学の不連続性の可能性につ

余裕のあるとき、十分に検討したいが、スピノザ哲学とは、デカルト哲学の発展と見るべき性質をもっているという問題である。デカルト哲学が、コギトの哲学、単独性・特異性の哲学ならば、当然、スピノザ哲学もそれをベースにしていると考えられるのである。…

・新党大地

日経 http://www.nikkei.co.jp/senkyo/200509/elecnews/20050831d1e3100t31.html 差異共存志向性とフッサールの志向性 先に、差異共存志向性とフッサールの志向性とを同一視したが、前者の外在的志向性が今一つはっきりしないようなので、ここで検討したい。…

・新党日本