メディア界の構造について:イデア・デュナミスのメディア・エネルゲ

イデア界・ガウス平面で生じる1/4回転・90度回転によって生起する事態とはいったい何なのであろうか。「ゼロ」化である。しかし、これは疑似ゼロ化である。差異の境界が消滅するように見える。つまり、y軸・虚数軸で差異が連なるのであるが、この差異連結とはどういうことなのだろうか。いつものように、直感で考えてみる。
 不連続な差異が複数存していて、それが、1/4回転によって、連なる。疑似連続化する。ここには擬制がある。この擬制のシステムの問題である。見せかけである。1/4回転しないときは、正に、不連続そのものであり、いわばばらばらである。しかし、1/4回転で、連続の見せかけが生じる。これは、差異が虚数次元に移動したと言うことができるだろう。あるいは、逆にして考えて、マイナス1/4回転で、実数軸、x軸において連続化が生じるというふうに考えるのだろうか。 
 混乱を気にせず、直感で展開しよう。メディア界とは、差異と差異の境界がゼロに見える領域である。たとえば、d1/d2が90度回転して、d1・d2(・は結合の記号とする)となるということだろう。しかし、それはメディア界の事態であるから、d1±d2ないし、d1〜d2(〜はゆらぎの記号とする)である。問題は、この±や〜の意味である。この±、〜は、極性を意味するが、しかし、これは、本来、イデア界の力、1/4回転の力である。イデア・デュナミスがメディア・エネルゲイアに変容・変換されているのである。(先に、イデア・エネルギーと言ったが、混乱するので、イデア界の力をデュナミスと呼ぶこととする。)ここが、最も重要な力の変換領域だろう。これは、y軸、虚数軸の出来事、事象である。次のように考えたらどうだろうか。ガウス平面では、(x、y)の座標をもつが、これをベクトルにして、ベクトルx、ベクトルyにすることができるだろう。そして、1/4回転とは、ベクトルxが、ゼロ化することである。これが疑似ゼロではなくて、本当にゼロ化である。ベクトルxが差異の境界を形成するならば、1/4回転で、ベクトルxがゼロとなって、境界がゼロとなるのである。しかしながら、実際、y軸においては、境界があるのである。つまり、境界ゼロと虚数境界との併存状態がここにはあるのである。つまり、連続と同時に、不連続がここにはあるのである。これは、正にメディア界である。この連続/不連続併存状態において、イデア・デュナミスは、メディア・エネルゲイアに変換するのだろう。すなわち、イデアの絶対値であるデュナミスが、メディアの極性であるエネルゲイアに変換するのだろう。このメディア界において、実に、2つの「存在」様式があると言えるだろう。一つは、イデア・デュナミスであり、一つは、メディア・エネルゲイア(極性力)である。そして、前者は、ODA ウォッチャーズ氏が述べた順列エネルギーに関係するのである。つまり、イデア・デュナミスが、1/4回転によって、プラスの順列エネルギーとなるのであり、1/2回転によって、マイナスの順列エネルギーとなるのではないだろうか。
 とまれ、整理すると、1/4回転によるメディア界において、一方では、イデア・デュナミスが順列エネルギーとして作用し、他方では、イデア・デュナミスがメディア・エネルゲイアに変換・変容しているのである。つまり、メディア界では、イデア・デュナミスが、順列エネルギーと極性力に変換しているのである。そう、私は、2つに分けたが、実は、一つではないだろうか。順列エネルギー=極性力ではないだろうか。すなわち、イデア・デュナミスが1/4回転によって、メディア・エネルゲイアである順列エネルギー・極性力に変換・変容しているということではないか。そうならば、先に述べた、順列エネルギーと極性力との分離は誤りである。順列エネルギーはイデア・デュナミスではないのである。少し混乱しやすいので、明確に区分すると、1/4回転・メディア界での順列エネルギーは+の順列エネルギーであり、ここに極性力が生じるのである。そして、1/2回転は、−の順列エネルギーを生じるのであり、ここには、もはや極性力はないということになるだろう。