連続/脱連続化エネルギーと極性エネルギー

先に、「個と生死」というタイトルで、検討したが、どうも本件の事柄を混同しているか、あるいは不明瞭、不明確なので、ここで検討したい。
 問題は、メディア界の極性力が、差異順列化のエネルギーなのかどうかである。もう一度図示する。

d1±d2±d3・・・±dn(メディア界:dは差異)

この±は、差異dを連結し、また連続化する極性エネルギーである。また、このエネルギーは、メディア界のゆらぎをもたらすものである。つまり、±=〜(ゆらぎ)である。さて、具体的に検証しよう。
d1±d2を考えたとき、この±、+−の力が極限値としてゼロになることが考えられる。すなわち、limit ±→ゼロである。これは、図示すると、d1・d2である。(・を連続化の記号としよう)しかし、ここで注意しないといけないのは、これは、あくまで、極限値であり、架空、仮想の事柄である。連続化というシュミラクルである。本当は、d1、d2は不連続である。とまれ、この±という極性力、極性エネルギーの起源は、当然、イデア界である。イデア界のエネルギー、イデア界の虚数エネルギーから発生したものである。すると、±極性エネルギーとは、イデア・エネルギーといういわば高位の力の変容・トランスフォーメーションであると考えられる。すると、イデア・エネルギーの動きこそが、「支配」的である。つまり、極性エネルギーとは、イデア・エネルギーが生成変化させているのである。イデア界・ガウス平面での力、「モーメント」が、メディア界の極性力・エネルギーを形成しているのであるから、±エネルギーの変化とは、イデア界の虚数「モーメント」によるのであり、それは、ODA ウォッチャーズ氏の用語を用いれば、「存在」と「非存在」を反復するのである。つまり、連続化=「存在」であり、脱連続化=「非存在」であり、これは、イデア界の差異の回転力・「モーメント」によると言えるのである。そうならば、次のような図式が成立しよう。

イデア・エネルギー≧極性エネルギー≧現象エネルギー

冒頭にあげた問題、すなわち、極性エネルギーと差異順列エネルギーの関係はどういうものであるという問題であるが、それは両者は位相が異なると言えるだろう。差異順列エネルギー、即ち連続/脱連続化エネルギーとは、基本的には、イデア・エネルギーであり、極性エネルギーとは、イデア・エネルギーのメディア界化されたエネルギーであると言えるだろう。そして、この極性エネルギーは、極限値をとることで、現象エネルギーとなると言えるだろう。しかし、あくまで、極限値であるから、仮想エネルギーである。つまり、現象エネルギーとは、古典的近代科学によるものであり、現代科学(相対性理論量子力学等)は、この仮想エネルギーを超えて、極性エネルギーを対象としていると言えようし、さらには、存在/非存在のエネルギー、つまり、イデア・エネルギーにまで向かっていると言えるのではないだろうか。
 さて、以上で、本件をいちおう解決したとしよう。また、後で、精緻に再検討することとなるだろう。

参照:「存在」と「非存在」に関して
http://blog.melma.com/00138706/20050501021749
http://blog.melma.com/00138706/20050627020855

また、全体に関して、「不連続的差異論ノート」を参照されたい。
http://blog.melma.com/00138706/