氣波動と氣粒子:氣光子があるのではないだろうか

氣波動と氣粒子:氣光子があるのではないだろうか


テーマ:氣神論:氣は万物に通ずる:氣的身体理性


氣は思うに、気体より、液体のイメージの方がいいのではないだろうかというようなことを思ったりする。
 でも、これはおいておこう。
思ったのは、氣波動・氣振動が虚軸において、存する。いわば、虚界である。内超界である。
 そして、それが、MP(media point)で次元転換して、氣粒子になるのではないだろうか。そう、氣原子と言っていいかもしれない。あるいは、氣量子である。
 そして、太陽光とは、単なる光子ではなく、氣光子からできているのではないだろうか。これが、人間のココロに歓喜をもたらすのではないだろうか。光は氣光ということになる。
 もっとも、これは既述であるが。
 そう、氣光子ないし氣粒子は、物質科学的には、光子や量子として、観察されて、それ自体は検出されないのである。
 ここが大きな問題である。
 氣自体は観測されないのである。
しかしながら、太陽光と人工照明に拠る違いは明らかだろう。たとえば、植物の生育を見ればわかるだろう。
 光合成のシステムには、氣光子、氣粒子がはたらいているのではないだろうか。
 そう、生命は陰陽共振が原点である。もっとも、陽主導と陰主導があり、後者が陰陽共振である。
 この陰陽共振に氣光子、氣粒子が調和的に作用して、植物はよりエネルギーを得て、成長するということではないだろうか。
 不思議なのは、光合成細菌は放射性物質を好むということである。
 思うに、一般の生命界が成立する以前に、細菌と放射性物質の前生命界があったのではないだろうか。
 そして、その前生命界を抑圧するようにして、通常の生命界が誕生したということなのか。
 とまれ、物質科学・技術は、いわば、この前生命界を呼び戻してしまったということかもしれない。

 
追記:氣光子、氣粒子は、別名、生命子、生命粒子とでも言えよう。
 詩人や芸術家が直観で捉えた生命とは、これらのことではないか。
 自然とココロで共鳴することで、生命子、生命粒子は活性化し、若返るように思える。
 都会はこの生命子がないということになる。灰色ジャングルで、生命脈動がないのである。
 それにしても、物質科学・技術と人間の精神が分離してしまったのは、大問題である。
 前者のタームでは、後者を捉えられないし、後者のタームを前者は非科学と見るのである。
 共通言語がないのである。
 後で、架橋について考えたい。


追記2:氣光子という考え方から、逆に、氣暗子というものがあるのではないだろうか。これは、前者が⇒+1であるのに対して、⇒−1である。
 ダークマターダークエネルギーと結びつけられるかもしれない。
 以下の図で、−1(重力)を氣暗子、ダークマター等と想定するのである。そうならば、宇宙は陰より陽が主導的であるということになるのである。陽は闇を作るのである。
 
 
            凸i陽
             |
             |
             自
             我
             |
             |
−1地_____MP・霊______+1天
(重力)         |          (光)
             |
             感
             性
             体
             |
             |
            凹i陰


      応用陰陽ガウス平面