折口神道神学と不連続的差異論:超越神と内在神の統一

安藤礼二氏の『神々の闘争 折口信夫論』の「第五章 内在と超越の一神教」は、実に刺激適である。折口の神道論の先駆者として、平田篤胤をあげている。平田篤胤キリスト教の影響を受けて、古事記の造化の三神を、「主宰神」としての天御中主神天地創造する神として産霊神を考えていたということである。折口は、この造化の三神を一つの産霊神にしたということである。ここで図化すると、

篤胤の神道
1.主宰神:天御中主神/2.造化神:産霊神/3.万象

折口の神道
1.産霊神/2.神々(造化神)/3.造化

となるだろう。
 
 最後に、安藤氏は、折口の神道教は、イスラム教とスピノザ哲学との矛盾統一するようなものだと述べている。引用しよう。
  
 『折口は「産霊」によって、一方においてこのような「最終・至高」の一神教イスラームの絶対帰依を要求する超越的な創造神「アッラーフ」と重なり合う概念を提出し、またもう一方において伝統的な「神道」の立場から、そしてシャーマニズムの根源に見出されたマナの概念に基づいて、この同じ「産霊」を、万物に内在し万物を生成させる「神即自然」でもある、きわめてスピノザ的な内在適創造神としてもとらえている。これは非常に緊張感に満ちたダイナミックを引き起こす。なぜなら、この世界から隔絶したイスラームの「超越神」は、世界に偏在しその根本原因となるスピノザ的「内在神」とは鋭く対立する部分があるからである。』p.231

安藤氏は、イスラム教とスピノザ哲学の対蹠的両面をもつものとして、折口神学を説明している。しかし、不連続的差異論の見地からは、内在性=超越性が理論化されているので、実に、両者の対立は、統一化されるのである。超越神=内在神である。だから、折口神道神学は、アジアの宗教を統一していると言えるのである。アフロ・ユーラシアの宗教の統一とも言えると思う。思うに、D.H.ロレンスが考えた聖霊的宇宙宗教と通じるものがある。それは、ポスト・キリスト教である。そして、この全地球宗教と言うべき宗教の神学の構成を、不連続的差異論は整合的に提示する。不連続的差異論が、新しい地球宗教を説明保証する。