音楽と美術と文学:メディア言語とメディア界:メディア資本主義

私は、作業仮説として、音楽、美術、文学という伝統的な芸術をメディア芸術として括りたいと思う。これは、実は、メディオロジーの一部である。とまれ、ここでは、メディア芸術を問題にしたい。今は簡単に触れる。
 音楽の死が現在あると思う。musicは西洋では、Museから派生した。

Muse:
ギリシア神話
(1)ミューズ,ムーサ:
もとは Aoede(詩歌), Melete(思索), Mneme(記憶)の3人の姉妹神の一人を指し,後には,Zeus と Mnemosyne との間に生まれた,学問・芸術をつかさどる9人の女神,Calliope(叙事詩), Clio(歴史), Erato(叙情詩), Euterpe(音楽), Melpomene(悲劇), Polyhymnia(宗教音楽), Terpsichore(舞踊), Thalia(喜劇), Urania(天文)の中の一人を指す;ローマ人は森や泉の精(Camenae)と同一視した
the Muses ミューズたち.:

(2)(一般に)学芸をつかさどる女神.」小学館ランダムハウス英語辞典

簡単に言えば、学芸の女神たちが源泉である。これは、芸術や学問がある共通な基盤から派生したことを示唆するだろう。私は、共通の基盤とは、メディア言語だと思う。しかし、このメディア言語は説明がいる。折口信夫は、神語を考えているが、それに少し似ているものである。不連続的差異論から言えば、メディア界の「言語」である。それは、波動だと思う。メディア界の波動が、メディア言語だと思う。これが、多種多様に展開して、諸芸術、諸学問に分化するのではと思う。メディア言語は、メディア波動である。付け加えて言うと、英国の詩人・画家のウィリアム・ブレイクは、詩的精霊(the Poetic Genius)が、普遍的であり、これが、全宗教の共通の根源であるとしている。万教帰一としての詩的精霊である。
 さて、私の直感では、メディア言語(さらに、造語して、メディア言語波動、メディア言波としようか)が、今日、非常に乏しくなっている。とりわけ、日本において。おそらく、これが、ある意味で、普遍的なのだから、これは、力の衰退を意味しよう。マスメディアの問題があるが、ここでは触れない。とまれ、メディア言語を新生させないと、日本の衰退・没落は避けられないだろう。メディア言語教育が必要である。これは、また、多言語教育とならなくてはならない。学力低下も、メディア言語の衰退を意味している。メディア言語の新生とは、メディア界の力の新生であり、それは、あらゆる分野、領域を活性化するだろう。

p.s. 情報資本主義とは、メディア言語資本主義、メディア資本主義と言えるだろう。私が差異資本主義と言うのは、これと同じである。そう、メディア資本があるのだろう。ホリエモンは、メディア資本のパイオニアである。