凸i*凹iの自然状態は、凹iが反感的になる:凸凹凹(i*i)⇒凹が差異共

凸i*凹iの自然状態は、凹iが反感的になる:凸凹凹(i*i)⇒凹が差異共振の道だろう


テーマ:media point


先に、凸i*凹凹i⇒凹(マイナス1)を提起したが、これは、凹iを凹化して、精神を差異共振化することと考えられる。
 今日の人間は凸i主導であるので、ある不利な事態において、凹iは連続化しているので、その凸iの否定性を受けて、反感的になるのである。それは、凸i*凹i⇒に示されているだろう。
 思うに、凸凹(i*i)⇒となるのではないだろうか。凸凹の凹が反感ではないだろうか。否定的感情ではないだろうか。あるいは、敵意、攻撃性ではないだろうか。反動性と言ってもいいだろう。
 このとき、凹iが凹化していれば、凸凹凹(i*i)⇒となるだろう。それは、凸凹凹(i*i)⇒凹となるだろう。これが、差異共振の道と考えられるのである。
 哲学的には、スピノザ歓喜の感情を肯定したが、思うに、凹凹iは歓喜の精神を含むと言えるだろう。しかし、単純に歓喜ではないだろう。ただし、肯定の精神と言えよう。
 これは、ヘーゲルの否定の精神とは正反対である。
 しかしながら、肯定の精神とは言え、批判はあるのである。肯定を保留しながら、批判するのである。
 後で再考したい。





現象光と凸iの原光の結合としての近代主義:凹iへと潜水して光と闇を融合させて超越光を点火する


テーマ:manichaeism: 哲学


簡単に予見を言う。
 実MPで現象光(可視光)が発生する。この可視光と凸iの光(原光)の関係はいかにである。
 私見では、虚MPの超越光が実MPの現象光へと転化するのである。超越光の成分は凸iと凹iであり、現象光も基本的には同じである。
 では、現象光において、成分の凸iと凹iはどうなっているのか。(今、思ったのは、超越光を凹iに、現象光を凸iとする考え方であるが、これは今はおいておく。)
 現象光(物質光)においては、もはや、成分の凸iと凹iは消えていると考えられる。現象光に変化したと言ってもいいだろう。(もっとも、丁寧に言えば、現象光はmedia pointをもつのであり、その点では、凸iと凹iの成分はあるのである。)
 そう、正に、量子論的絶対的矛盾が生じる領域である。一方では、現象光であり、他方では超越光的である。
 とまれ、そうすると、現象光の「内部」には、凸iと凹iの共振が存するのであり、原光と原闇が存しているのである。もっとも、それらは、超越光的な存在となっている。
 以上から、実MPの現象光と凸iの原光は異なることが判明した。
 では、凸iの原光、凹iの原闇とはいったい何であろうか。
 それは、原外部と原内部であろう。外部への志向と内部への志向とも言えよう。感覚と精神であろう。脳で言えば、大脳皮質と間脳であろうか。あるいは、頭部と内臓部である。
 現代日本の病巣は、現象光と凸iの原光が結びついていることであり、凹iの原闇が排除されていることである。わかりやすく言えば、凹iという魂が排除されているのである。そのために、真の精神、生命、そして、個がないのである。
 近代主義は、現象光の外部性と凸iの原光との結合に拠るとも言えよう。 
 そして、その光の志向性は意味があったのであるが。とまれ、近代は凸iに強く傾斜しているのであり、そのために、凹iを認知することが困難なのである。
 もっとも、単に凹iへの志向は、あしき神秘主義になるだろう。問題は、光と闇の拮抗である。
 光を志向しつつ、闇へと「潜水」しないといけない。光と闇との結合によって、超越光を点灯することになるのである。それが、マニ教の光の種子の目覚めである。
 今はここで留める。





現象とは何か:光による反映としての現象


テーマ:森羅万象


一体、現象とは何か。当然ながら、光が当たって、「物質」が可視化するのである。
 予見を言えば、凸i⇒凸が現象である。しかしながら、対象物は単に「物質」凸でいいのか。私は対象的物質体には、以前指摘したように特異性があるのであ る。つまり、media pointである。つまり、光が対象に当たったとき、その対象物は、media point性を帯びるのである。
 つまり、やはり、凸i*凹i⇒凸と見るべきである。現象的対象には、凹iも関与しているのである。
 あえて言えば、凹も背後で関与していると思われるのである。そう、正に、イデア論である。
 だから、現象と単に物質現象と見るのは、誤謬である。物質現象は仮象にすぎない。
 現象にはmedia pointと差異共振エネルギーが関与し、又、根源では超越的存在凹が関与していると見るべきである。
 以上は予見であり、後で具体的に緻密に検討したい。





検討問題諸々


テーマ:検討問題


1)虚MPと実MPは不連続。精神子と遺伝子は不連続。有り体に言えば、才能は遺伝しない。長嶋監督親子。

2)ロレンス言語芸術speech artの存在表現(表象)とは何か。また、その存在とは何か。
 D. H. ロレンスのSons and Loversを読んで、まるで自分の真正面に生々しく登場人物が存在し、語っているかのように感じて、驚愕した。このようなことは他の文学ではなかったことだ。
 基本的にリアリズムとは、第一象限のものを第二象限にうつすことである。しかし、ロレンスの場合はそれでは語り尽くせないない絶対的存在性が感じられる。
 先に述べたが、ロレンス文学・哲学の場合、虚MPにおける光をベースにして、凸iの(外的)感覚を表象していると思う。
 通常のリアリズムは凸iの感性で映しているに過ぎない。しかし、ロレンスの場合、凸iと凹iの差異共振の光において、第一象限を映していると考えられる。
 つまり、第三象限の背景のもとに、第一象限を第二象限化、つまり、感覚表象化していると考えられる。
 第三象限のバックグランドが存在を喚起させると思われるのである。これは、他の作家ではほとんどないものである。ほぼ類を見ないのである。
 思うに、古代的な神話に類縁性があるだろう。

3)今や、精神世界の主導性が判明したのであり、物質世界主義は滅びたと言えよう。精神の共振が新世界を生むのである。目に見えない精神氣の世界が主導するのである。

4)おそらく、広義的にみると、明治維新とは、古代ギリシアの現代版に評価させるだろう。もっとも、あまりに父権化してしまった。しかり、PS理論が誕生 した今、明治維新は、古代ギリシアに匹敵する世界的大変革・大進化を意味しよう。そう、近代・現代日本古代ギリシアのラセン的回帰である。

5)D. H. ロレンスの性の表現について:それは、端的に、精神の表現である。民衆にわかりやすいように性的表現をしたのである。結局、プラトンのエロースと一致する。

6)色彩とは何か。現代日本人は伝統的色彩感を暴力的に抑圧されている。色彩は自由である。これを解放する必要がある。そう、端的に、色彩とは精神である。氣である。生命である。

7)現代は、ポスト・モダン、トランス・モダンというより、トランス・オクシデントと呼ぶべきであろう。

8)セックスとは、精神の物質化である。これは既述事項である。

9)イエス・キリスト、これが、最高の謎であろう。しかし、今や、聖霊の時代であるから、その問題は克服されている。
 
10)これまでの教育、近代教育は、第一象限、第二象限の領域であった。これは、真理に反する。第三象限こそ、真理である。

11)資本主義とは何か。同一性に駆り立てられた差異の経済である。あるいは、貨幣に駆り立てられた個の経済である。
 この主従関係を逆転すればいいのだ。差異や個(他者)を主とし、同一性、貨幣を従とすればいのである。
 つまりトランス資本主義である。

12)肝心なことを言うのを忘れていた。mitreである。これは、以前から知っているが、昨日、ジョゼフ・キャンベルのPrimitive Myothologyを読んでいて見つけたものである。それは、アステカ神話の箇所である(p. 222)。直観では、正に、ミトラである。太陽神である。どうも、古代アメリカ大陸は、ミトラ的文化であったようである。つまり、太陽神文化である。即 ち、シュメール・ケルト・アジア母権・母系・母神大文化圏に通ずるということである。


引用:
At a great festival in September, which was preceded by a strict fast of seven days, they sanctified a young girl of twelve or thirteen years, the prettiest they could find , to rrepresent the Maize Goddess Chicomecohuatl. They invested her with the ornaments of the goddess, putting a mitre on her head and maize-cobs round her neck and in her hands, ・・・ (p. 222)


参照:


mi・ter, 《英》 mi・tre /m#### | -t#(r/→#
#n.
1 司教冠, 主教冠, ミトラ, マイター《bishop や時に abbot が祭式の際に戴く冠; その頂上に横の深い溝があって二つの山形を成し, 後ろに 2 本の長ひもが垂れている》.
・confer [bestow] a miter upon… …に司教冠を授ける, …を司教の位につける.
2 司教の職[位] (bishopric).
3 (古代ユダヤの)大司祭 (high priest) のかぶり物.
4a (古代ギリシャの女性が着けた)髪ひも, リボン (fillet).
b 見返しや裾などの角の始末, ななめはぎ, 額ぶち始末.
5 【木工】
a 留形包(とめがたつつみ)打付継ぎ; =→miter joint.
b =→miter square.
6 【海事】 斜め縫合せ《三角帆の角などで額縁のように帆を斜めに縫い合わせる》.
#vt.
1 …に司教冠を授ける; 司教に任じる.
2 【木工】 留め継ぎ[斜め継ぎ]する; 留め継ぎ[斜め継ぎ]面に切る.
〜・er /-##r# | -t#r#(r/ n.
#《c1303》 mitre # (O)F # L mitra cap # Gk mitr# belt, headband, headdress#
図 miter 【挿絵】

[株式会社研究社 新英和大辞典第6版]


 
参考:


Mitre
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This article is about religious headgear. For other uses, see Mitre (disambiguation) .


St. Zenon of Verona wearing a mitre.
The mitre ( / ˈ m aɪ t ər / ; Greek: μίτρα, "headband" or "turban"), also spelled miter, is a type of headwear now known as the traditional, ceremonial head-dress of bishops and certain abbots in the Roman Catholic Church , as well as in the Anglican Communion , some Lutheran churches, and also bishops and certain other clergy in the Eastern Orthodox churches , Eastern Catholic Churches and the Oriental Orthodox Churches .
Origin


Jewish High Priest wearing the mitznefet
[edit ] Judaism
In ancient Israel , the Kohen Gadol (High Priest) wore a headdress called the Mitznefet (Hebrew: מצנפת, often translated into English as "mitre"), which was wound around the head so as to form a broad, flat-topped turban . Attached to it was the Tzitz (Hebrew: ציץ), a plate of solid gold bearing the inscription "Holiness to YHWH "[1] (Exodus 39:14 , 39:30 ).
[edit ] Byzantine empire


Pope Gregory the Great wearing the camelaucum
The camelaucum (Greek : καμιλαύκιον , kamilaukion), the headdress both the mitre and the Papal tiara stem from, was originally a cap used by officials of the Imperial Byzantine court. "The tiara [from which the mitre originates] probably developed from the Phrygian cap, or frigium, a conical cap worn in the Graeco-Roman world. In the 10th century the tiara was pictured on papal coins."[2] Other sources claim the tiara developed the other way around, from the mitre. In the late Empire it developed into the closed type of Imperial crown used by Byzantine Emperors (see illustration of Michael III , 842-867).
In Western Europe, the mitre was first used in ancient Rome by the Salii and other priests, and outside of Rome about the year 1000. Worn by a bishop, the mitre is depicted for the first time in two miniatures of the beginning of the eleventh century. The first written mention of it is found in a Bull of Pope Leo IX in the year 1049. By 1150 the use had spread to bishops throughout the West; by the 14th century the tiara was decorated with three crowns.
[edit ] Christian clergy


Mitra simplex traditional style: White damask with its white lappets ending in red fringes.
[edit ] Western Christianity
In its modern form in Western Christianity , the mitre is a tall folding cap , consisting of two similar parts (the front and back) rising to a peak and sewn together at the sides. Two short lappets always hang down from the back.


The evolution of the mitre, from the Catholic Encyclopedia (1913)
In the Catholic Church, the right to wear the mitre is confined by Canon law to bishops and to abbots , as it appears in the ceremony of consecration of a bishop and blessing of an abbot. Cardinals are now normally supposed to be bishops (since the time of Pope John XXIII ), but even cardinals who are not bishops and who have been given special permission by the pope to decline consecration as bishops may wear the mitre. Other prelates have been granted the use of the mitre by special privilege , but this is no longer done, except in the case of an Ordinary of a Personal Ordinariate (even if he is a priest only). Former distinctions between "mitred abbots" and "non-mitred abbots" have been abolished.
Three types of mitres are worn by Roman Catholic clergy for different occasions:
• The simplex ('simple', referring to the materials used) is made of undecorated white linen or silk and its white lappets traditionally end in red fringes. It is worn most notably at funerals, on Good Friday and by concelebrant bishops at a Mass . Cardinals in the presence of the Pope wear a mitre of white linen damask.
• The pretiosa ('precious') is decorated with precious stones and gold and worn on Sundays and feast days. This type of mitre is rarely decorated with precious stones today, and the designs have become more varied, simple and original, often merely being in the liturgical colour of the day.
• The auriphrygiata is of plain gold cloth or white silk with gold, silver or coloured embroidered bands; when seen today it is usually worn by bishops when they preside at the celebration of the sacraments.
The proper colour of a mitre is always white, although in liturgical usage white also includes vestments made from gold and silver fabrics. The embroidered bands and other ornaments which adorn a mitre and the lappets may be of other colours and often are. Although coloured mitres are sometimes sold and worn at present, this is probably due to the maker’s or wearer’s lack of awareness of liturgical tradition.
On all occasions, an altar server may wear a shawl-like veil , called a vimpa , around the shoulders when holding the bishop's mitre. The vimpa is used to hold the mitre so as to avoid the possibility of it being soiled by the natural oils in a person's hand as well as symbolically showing that the person does not own the mitre, but merely holds it for the prelate. The person wearing a vimpa is also occasionally referred to as a vimpa. When a vimpa holds the crosier, he holds the crook facing inward, as another sign that the person does not hold the authority of the crosier.


Papal Arms of Pope Benedict XVI. The papal tiara was replaced with a bishop's mitre.
With his inauguration as pope , Benedict XVI broke with tradition and replaced the papal tiara even on his papal coat of arms with a papal mitre (containing still the three levels of 'crowns' representing the powers of the Papacy in a simplified form) and pallium . Prior to Benedict XVI, each pope's coat of arms always contained the image of the papal tiara and St. Peter's crossed keys, even though the tiara had fallen into disuse, especially under popes John Paul I and John Paul II . Pope Paul VI was the last pope to date to begin his papal reign with a formal coronation in June 1963. However, as a sign of the need for greater simplification of the papal rites, as well as the changing nature of the papacy itself, he abandoned the use of his tiara in a dramatic ceremony in Saint Peter's Basilica during the second session of Vatican II in November 1963. However his 1975 Apostolic Constitution made it clear the tiara had not been abolished: in the constitution he made provision for his successor to receive a coronation. Pope John Paul I, however, declined to follow Paul VI's constitution and opted for a simpler papal inauguration , a precedent followed by his two successors. Pope John Paul II's 1996 Apostolic Constitution left open several options by not specifying what sort of ceremony was to be used, other than that some ceremony would be held to inaugurate a new pontificate.
Pope Paul VI donated his tiara (a gift from his former archdiocese of Milan) to the efforts at relieving poverty in the world. Later, Francis Cardinal Spellman of New York received the tiara and took it on tour of the United States to raise funds for the poor. It is on permanent view in the Crypt Church in the Basilica of the National Shrine of the Immaculate Conception in Washington, D.C.
In the Church of England the mitre fell out of use after the Reformation, but was restored in the late 19th and early 20th centuries as a result of the Oxford Movement , and is now worn by most bishops of the Anglican Communion on at least some occasions.
The mitre has always been used in ecclesiastical heraldry to surmount the coats of arms of bishops in the Church of England (instead of a crest , which is not used by clergy). In 1969 the mitre was suppressed in all personal arms of bishops in the Catholic Church, and is since only found on diocesan coats of arms. In heraldry the lappets are depicted with red lining.
[edit ] Eastern Christianity


Golden mitre on Patriarch Maxim of Bulgaria .
The most typical mitre in the Eastern Orthodox and Byzantine Catholic churches is based on the closed Imperial crown of the late Byzantine Empire . Therefore, it too is ultimately based on the older καμιλαύκιον although it diverged from the secular headdress at a much later date, after it had already undergone further development. The crown form was not used by bishops until after the fall of Constantinople (1453).
The Eastern mitre is made in the shape of a bulbous crown, completely enclosed, and the material is of brocade , damask or cloth of gold . It may also be embroidered , and is often richly decorated with jewels. There are normally four icons attached to the mitre (often of Christ, the Theotokos , John the Baptist and the Cross ), which the bishop may kiss before he puts it on. Eastern mitres are usually gold, but other liturgical colours may be used.
The mitre is topped by a cross, either made out of metal and standing upright, or embroidered in cloth and lying flat on the top. In Greek practice , the mitres of all bishops are topped with a standing cross. The same is true in the Russian tradition . Mitres awarded to priests will have the cross lying flat. Sometimes, instead of the flat cross, the mitre may have an icon on the top.
As an item of Imperial regalia , along with other such items as the sakkos (Imperial dalmatic ) and epigonation , the mitre came to signify the temporal authority of bishops (especially that of the Patriarch of Constantinople ) within the administration of the Rum millet (i.e., the Christian community) of the Ottoman Empire . The mitre is removed at certain solemn moments during the Divine Liturgy and other services, usually being removed and replaced by the protodeacon .
The use of the mitre is a prerogative of bishops, but it may be awarded to archpriests , protopresbyters and archimandrites . The priestly mitre is not surmounted by a cross, and is awarded at the discretion of a synod of bishops.
[edit ] Oriental Orthodox Christianity
Oriental Orthodox bishops sometimes use mitres, either of the Western or Eastern style. In the past, Coptic bishops have worn the ballin, an omophorion wound around the head like a turban . The Coptic Patriarch of Alexandria will often wear an Eastern-style mitre. Coptic priests frequently wear a mitre, similar to a Western bishop's mitre.
Syriac Orthodox bishops wear the maşnaphto (literally, 'turban') when presiding at the Divine Liturgy . This is a large, richly embroidered hood, often depicting the Holy Spirit as a dove.
Armenian Apostolic bishops wear tall and distinctively tapered Western-style mitres. The Armenian bishop's mitre differs from its Western counterpart in that the points at the top are usually joined together. Armenian priests regularly wear Byzantine-style mitres (symbolizing the sovereignty of Christ). On certain solemn occasions, Armenian deacons will wear the mitre also, although the deacon's mitre is somewhat narrower than that of the priest.

ミトラ教 - Wikipedia

ミトラスと処女からの誕生 [編集 ]
ミトラス教学者ではないジョセフ・キャンベル はミトラスの誕生をイエスのそれのような処女からの誕生 であると記述した[14] 。彼はその主張に、古代の出典を与えていない。どの古代の原典においてもミトラスが処女から生まれたとは考えられていない。むしろ、洞窟の岩から自然に目覚めている[15] 。Mithraic Studies では、ミトラスは堅固な岩の中から大人の姿で生まれてきたと述べられている。「プリュギア の帽子を被り、岩の塊から生じた。今までのところではまだ彼の剥き出しの胴は見えない。めいめいの手で彼は灯された松明を高く掲げる。風変わりな細部として、ペトラ・ゲネトリクス(母なる岩)から彼の周りに赤い炎が吹き出る」[16] 。デイヴィッド・ウランジーはこれが鍾乳洞で生まれたとするペルセウス 神話から着想された信仰であると推測する[17] 。




検討問題:ケルト・アジア母権大文化圏とシュメール:高度母権文化と父権民族


テーマ:検討問題


1)血とは何か。精神と血の連関。氣と血の連関。予見では、血は、氣(精神)の物質的媒体である。民族の血を問題にするのは正しいだろう。

2)ケルト・アジア母神・母権・母系大文化圏とシュメールの関係を丁寧に考察する:ケルト文化の鹿と仏教の鹿。そして、奈良公園の鹿。等々。以前、ツングース系で共通点を見た?

3)シュメールに関して:問題は、アーリア民族と混淆しないことが必要なように思える。基盤にケルト・アジア母権大文化圏を見て、それとの関係を見ること。基底に母権文化があり、その後、父権的アーリア人が侵入したのが、基本的パターンである。

4)母権文化としてのシュメールを捉えるべきである。『ギルガメシュ叙事詩』からわかるように、その後、父権化されると思われる。

5)古代日本:思うに、ケルト・アジア母権大文化圏としての古代日本、とりわけ、沖縄があった。そして、また、北方系の母権民族もあった。
 しかしながら、その後、父権民族が日本に侵入した。それが記紀を形成したのでは? つまり、ギリシア神話的に、記紀を捉えるべきでは。

6)仮説:シュメール・ケルト・アジア大文化圏に父権民族が侵入して、父権文明が形成された。しかし、エジプト文明は父権文明ではなく、母権文明だろう。
 例えば、ジグラッド、ピラミッドの建築する高度の「科学・技術」はどこから来たのか。それは、母権大文化圏からだろうか。
 直観では、ベースに母権大文化圏、母神大文化圏、日神信仰文化圏があり、そこに、なんらかの知的文明が入ったのである。それは、父権文明だろうか。そう ではなく、滅びたアトランティス文明の知性ではないだろう。その高度知性と母権文化が結合して、高度な母権大文化圏が創造されたのではないのか。
 その後、父権民族(とりわけ、アーリア民族)がそれへ侵入して、高度母権民族文化を父権的に再編したのではないのか。それが、文字として、神話に残っているのでは?
 父権文明とは高度母権大文化圏の知を簒奪した、「パクッタ」のではないのか。典型がキリスト教文明であろう。
 古代日本においても、このパターンがあったと推察される。つまり、高度母権文化が基盤にあったのであるが、その後、父権民族が侵入して、それを父権的に改変したと思われる。それが、記紀のように思われる。
 沖縄周辺
与那国島海底地形 - Wikipedia  
与那国町 - Wikipedia
の海底にある古代の遺跡が、高度母権文化の名残のように思える。だから、なんらかの、自然的破壊があったのようにも思える。大洪水である。
 そして、沖縄文化はその高度母権文化の残照ではないだろうか。
 
7)仮説:古代日本の成立は、高度母権文化民族(シュメール・ケルト・アジア母権大文化圏)と父権文化民族の統合に拠る。後者は思うに、ユダヤ民族に近いものである。
 しかし、思うに、シャーマニズム的北方遊牧民族が侵入したのかもしれない。それは、父権なのか、母権なのか、わかりにくいのである。これとシュメール宗教・神話との関係があるかもしれない。
 思うに、南方的シュメール・ケルト・アジア母権大文化(海洋民族)と北方的シャーマニズム的文化(遊牧民族)の結合が古代日本文化かもしれない。
 ひょっとしたら、古代日本には、父権民族は入っていないかもしれない。失われたユダヤの十支族であるが、それは、父権民族であるが、背景は母権である。
 そう、もし、古代日本において、父権があるなら、それは、ユダヤ民族ないし中国民族の可能性がある。
 とまれ、古代日本=南方シュメール・ケルト・アジア海洋・母権民族+北方シャーマニズム遊牧民族+父権的ユダヤ民族・中国民族を作業仮説としたい。
 
8)女性の精神の問題:基本は凹iであるが、凹i⇒凸iとなり、この凸iが今日支配的になっているのでは。だから、女性は、根元の凹iに回帰する必要がある。ロレンスは『逃げた雄鶏(死んだ男)』でここに到達した。

9)凸i*凹i⇒凸(+1)
において、凹iを凹凹iにすると、凸i*凹凹i⇒凹となる。
これが、虚MPの事象ではないのか。差異共振とはこれであろう。凹iを凹化することが必要なのである。これが、自己の差異化、他者化である。個=他者化である。
 とまれ、これは何度か既述した。

10)今日の若者は、両極化しているのでは。一方では、個的であり、他方は自我中心的のように思える。善と悪。

11)ケルト・アジア母権・母系的大文化圏とシュメール民族・文化
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11142947671.html
において述べたことは粗いので、精緻化が必要である。即ち、次のように述べたことを緻密化する必要がある。

『とりわけ、「雄牛の角を持つ王冠はアヌを表している。」が意味深長である。牡牛の王冠は太陽神であろう。それが、アヌであろう。しかしながら、牡牛こそ、根源の大女神である。それが、王冠=アヌ=太陽神を産むと考えられる。先に、シュメールのテラコッタ「月の牡牛とライオン鳥」を指摘したが、王冠=ライオン鳥になるだろう。
 やはり、シュメールはケルト・アジア母権・母系大文化圏の源泉のように思える。すると、シュメール・ケルト・アジア母権・母系大文化圏が存したということになる。』

牡牛の角をもつ王冠がアヌだから、牡牛+王冠=アヌだから、全体で大女神(太母神)とそれが帯びる太陽神と見るべきであろう。つまり、大女神と太陽神はいわば未分化のような様態ではないだろうか。
 とまれ、太母神/日神の母権文化がシュメール文化にあったことは確かと考えられる。

12)感覚や精神は氣的であり、エネルギーをもっているだろう。とりわけ、視覚は氣エネルギーをもっていると思う。だから、ある空間物に対して、共感生命的に反応する場合と反感不健康に反応する場合がある。
 有り体に言えば、東京の町並みは後者であり、身心を害すると考えられる。それに対して、自然的景観は前者である。
 近代合理主義/近代的自我は同一性=物質主義なので、この点をまったく排除しているのである。
 氣・精神・生命的感覚を否定しているのである。芸術も本来、ここに根元があると考えられるのである。モーツァルトの音楽、あるいは、マーク・ロスコの絵画はそのようなものである。
 つまり、虚MPにおける差異共振エネルギー感覚を今日喪失しているのである。虚数濃度、精神濃度が極小値化しているのである。
 当然と言えば、当然である。氣・精神・生命エネルギーを認めると、物質科学、唯物論が崩壊するからである。
 しかし、今や、氣・精神・生命エネルギーの新時代である。あるいは、宗教の復活の時代とも言える。
 宇宙の氣・精神・生命エネルギーが今、活発に人間に働きかけていると察せられる。
 以前は氣霊という言葉を使用したがそれでもいいだろう。あるいは、氣的精神である。
 これと電磁波との関係であるが、確かに、現象としての氣的精神、氣霊は電磁波として作用するだろう。
 しかしながら、虚MPないし第三象限の、いわば、超電磁波、超越光をもっていると考えられる。





絵画と平面


テーマ:art & design


スクリーンセーバーで画面に曼荼羅のような模様が出てきて、きれいであるが、いかにも平面的、深みがないのである。
 優れた絵画なら当然、一種の深みがある。これは何か。それは、端的にmedia pointの表現を意味しよう。虚数濃度で言えば、pHの高い数値のものである。
 そう、いわゆる、写真と現実との違いもこれで説明できるのではないだろうか。下手な写真は平板であり、薄っぺらである。それに対して、現実はそれなりに 厚みがある。これは、現実の光、差異共振の光が生み出しているのではないだろうか。だから、ここにもmedia pointが関係するのである。
 今日の芸術が面白くないのは、この点を近代主義によって完全に喪失しているからと考えられる。
 だから、PS理論は芸術も復興させると言えよう。





虚数濃度(精神濃度)概念:精神的pH値:アルカリ性=母権=個・他者と酸性=父権=自我


テーマ:manichaeism: 哲学


以下のKaisetsu氏の新しい視点、概念は興味深い。画期的なのは、統一したレベルで精神様態が表記できることである。
 私は凹iは肚、凸iは頭、media pointは心・心臓・胸というように古典・伝統的にイメージするが、その場合、統一性、ないし、直観性が欠落するのである。
 リトマス試験紙のようなpH概念を使えば、確かに、直観的に明快である。
 思うに、虚MPから空孔MPを介して実MPへと光エネルギーが転移する。そして、究極的に物質化する。
 それが、自然のエネルギーの流れである。しかし、人間の精神においては、虚MPの強い人がいるのであり、その人は精神性が高いのである。以前述べた「高 貴な差異」である。それに対して、実MPの強い人、あるいは、虚MPの弱い人がいるのである。それが、精神性の低い人、「劣弱な差異」である。
 前者は確かに、凹iの強い人であり、pHが大きいと言えようし、後者は凸iの強い人であり、pHが小さいと言えよう。
 これをジェンダー文化論に適用すれば、母権主義は虚数濃度(精神濃度)が高いのであり、父権主義は低いということになる。
 思うに、母権をアルカリ性、父権を酸性とすれば、通常の社会は両者の混淆である。しかしながら、今日の社会は後者が支配的である。酸性が強く、アルカリ性が弱いという酸性の土壌になると言えよう。
 日本の場合が典型であり、アルカリ性が大都市ではほとんど消失しているのである。
 そう、酸性は自我、アルカリ性は個=他者とも言えよう。とまれ、光エネルギーの虚数濃度、精神濃度という概念が提起されたと言えよう。
 
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【Mental Ph level】 虚数濃度(精神濃度)の概念提示


但し、虚数濃度(精神濃度)の概念は、ガウス平面上の認識とは、別途の基準であり、単に、外向きに虚数濃度が高いか、内向きの虚数濃度が高いか、についての基準である。

 このため、第1象限と第2象限、或いは、第3象限と第4象限との区別は困難である。

 丁度、リトマス試験紙のように、酸性濃度、アルカリ濃度のような感じである。

 PS理論では、外部の光も内部の光も、同じように、電磁関連作用と仮定しているので、虚数濃度(精神濃度)は一定の単位領域当たりの電磁関連作用の強さである。矢印の根元の部分と先の部分との相互作用の強さである。プラトニック・シナジー作用の強さである。

 やはり、リトマス試験紙の例が分り易いであろう。

 そこで、Ph濃度の方式を、便宜的に、活用する方法も可能である。

 凸i方向を酸性、凹i方向をアルカリ性と見做して、

 ガガの写真はPh3、一方、マニ教はPh12のような指標例である。中性、つまり、精神性ゼロはPh7である。

 マニ教の表現に従うと、「肉体の中に光の粒が単位面積当たりに大量に含まれている」場合、肉体の中の光の粒は「内なる光の粒」であるから、虚数濃度はマ イナス70%とか、精神Ph濃度は強アルカリ性で12(Ph12)のような表現方法になる。また、ガガの写真は、強酸性でPh3というような使用例であ る。
海舌 SeaTongue@Kaisetsu





ケルト・アジア母権・母系的大文化圏とシュメール民族・文化
テーマ:manichaeism: 哲学
Kaisetsu氏による、私論の心強い傍証というか、発展的見解である。
 また、シュメール神話(宗教)の最高神はアンAnuであり、天の神である。しかし、女神はイナンナinannaである。
 どうも、Anuにしろ、inannaにしろ、ANが共通である。これは、DANUと通ずるのはないだろうか。そう、ケルト民族の大女神ダヌと通じるように推測される。
 そう作業仮説すると、このケルト・アジア圏にシュメールも入ることになる。
 ところで、シュメールの最高神の天空神のアンであるが、これは、どうも、男性神ではなく、女神ではないだろうか。これは課題としたい。


追記:以下、参考1に次のように述べられている。


「人類最古の文明の担い手はシュメール人
最初にこの地に栄えたのは母系社会のシュメール人、・・・
シュメール初期王朝時代
雄牛の角を持つ王冠はアヌを表している。
シュメール神話。ウルとハランを中心に崇拝。三日月を武器とし、満月を王冠とする。邪な者達の悪事を、その光によって暴くとされている。

・・・

にヤーウェの原点はシュメール神話の中でも最も
古い神に属する、雄牛の角の王冠をかぶったアヌ(アン)神という線が妥当だという事になるだろう。 」

とりわけ、「雄牛の角を持つ王冠はアヌを表している。」が意味深長である。牡牛の王冠は太陽神であろう。それが、アヌであろう。しかしながら、牡牛こそ、根源の大女神である。それが、王冠=アヌ=太陽神を産むと考えられる。先に、シュメールのテラコッタ「月の牡牛とライオン鳥」を指摘したが、王冠=ライオン鳥になるだろう。
 やはり、シュメールはケルト・アジア母権・母系大文化圏の源泉のように思える。すると、シュメール・ケルト・アジア母権・母系大文化圏が存したということになる。


参照:


DANU 神は、「ケルト(欧州)、タミール南インド)、ケダ・ペラク、沖縄、任那・日本府、坊津、奈良、伊勢、常陸」を結ぶ。
DANU 神は、「ケルト(欧州)、タミール南インド)、ケダ・ペラク、沖縄、任那・日本府、坊津、奈良、伊勢、常陸」を結ぶ。
DANU 神は、「ケルト(欧州)、タミール南インド)、ケダ・ペラク、沖縄、任那・日本府、坊津、奈良、伊勢、常陸」を結ぶ。

Resurrection氏が以前から提示されておられるケルト民族と 古事記などの倭人の民族伝承が似ていることについて、最近の海舌の沖縄の歴史や任那・日本府の研究によって、また、DANU 神について、これもResurrection氏のヒントに導かれたものであるが、DANU 神が「ケルト(欧州)、タミール南インド)、ケダ・ペラク、沖縄、任那・日本府、坊津、奈良、伊勢、常陸」を結ぶ共通の母神である可能性が非常に高いと いう結論を海舌も提示したい。

ケルト民族の崇高な母神であるDeua Brigantiaの姓は、「Deua」である。

原型は太陽神であった、と思われる。

http://blog.kaisetsu.org/?eid=813407
海舌 SeaTongue@Kaisetsu


参考:


http://yamataitenku.progoo.com/bbs/yamataitenku_topic_pr_12.html のキャッシュ
邪馬台国天空掲示


[12] シュメールの最高神アンの娘イシュタル Name:児島歴研会 2008/11/03(月) 18:49 [ 返信 ]

シュメールの最高神アンの娘イシュタルですが、2匹の獅子をしたがえて、2羽の
鳥(フクロウ)を従え、王冠を被り羽を付け神紋を持っています。

一般に「イシュタル」という名前で知られている太古の女神は元々のシュメールの地
では「イナンナ」と呼ばれていました。

このイシュタルは金星の女神である。
古文書でイシュタルについて語られているものは主として二つあります。一つ
が「イシュタルの冥界下り」と呼ばれているもので、もう一つが「ギルガメ
シュ叙事詩」です。
イシュタルは巨大な牡牛を送りギルガ
メッシュ王を殺そうとしました。この牡牛は天の牡牛座を降ろしたものだと言
われています。
金星と牡牛座の関係
イシュタルは冥界に行かなければならないと考えた」という文章でこの物語は始まります。

第2の門に達します。「私はイシュタルです。通しなさい」すると門番
は「お通ししますが、冥界の掟により、あなたの耳飾りをここでお預かりしま
す」といいます。そこでイシュタルは耳飾りを渡しました。

やがて第3の門に達します。「私はイシュタルです。通しなさい」すると門番
は「お通ししますが、冥界の掟により、あなたの首環をここでお預かりします」
といいます。そこでイシュタルは首環を渡しました。

やがて第4の門に達します。「私はイシュタルです。通しなさい」すると門番
は「お通ししますが、冥界の掟により、あなたの胸飾りをここでお預かりしま
す」といいます。そこでイシュタルは胸飾りを渡しました。

やがて第5の門に達します。「私はイシュタルです。通しなさい」すると門番
は「お通ししますが、冥界の掟により、あなたの腰帯をここでお預かりします」
といいます。そこでイシュタルは腰帯を渡しました。

やがて第6の門に達します。「私はイシュタルです。通しなさい」すると門番
は「お通ししますが、冥界の掟により、あなたの腕環と足環をここでお預かり
します」といいます。そこでイシュタルは腕環と足環を渡しました。

やがて第7の門に達します。「私はイシュタルです。通しなさい」すると門番
は「お通ししますが、冥界の掟により、あなたの腰布をここでお預かりします」
といいます。そこでイシュタルは腰布を渡しました。

・・・

こまった天神エアは月の神シンと相談し、宦官アスシュルナミルを冥界に派遣
してエレキシュガルを説得、彼女はしぶしぶ生命の水をイシュタルにふりかけ
て蘇生させますが、彼女を地上に戻す代わりに誰か代わりの者を冥界に連れて
来るように、と要求し、認められます。

そこで冥界の侍従が地上に出て代わりの者を物色していたところ、イシュタル
の夫のドゥムジが妻が死んだというのに喪にも服さず遊びほうけているのを見
つけます。けしからん奴だというわけで、ドゥムジをイシュタルの身代わりに
冥界に捕らえておくことにし、イシュタルは解放されます。

・・・

イシュタルが地上に戻ると再び人間や動物は愛し合って子供を産むようになり、
植物も実をつけるようになりました。
性器を要求するというのはこの神が豊饒の神の要素を持っているということを示している。


[13] RE:シュメールの最高神アンの娘イシュタル Name:児島歴研会
2008/11/03(月) 19:05

河の神、女性. 父:? 母:? 豊穣、安産の女神でもあり、 百の星で飾られた王冠と
四角い金の髪飾りを付けている。

人類最古の文明の担い手はシュメール人
最初にこの地に栄えたのは母系社会のシュメール人、そこにやってきたのが野蛮な遊牧民アッカド人(白人類)

シュメール初期王朝時代
雄牛の角を持つ王冠はアヌを表している。
シュメール神話。ウルとハランを中心に崇拝。三日月を武器とし、満月を王冠とする。邪な者達の悪事を、その光によって暴くとされている。

山羊は性的な多産のシンボルであった王冠の印にも使われ、国王を象徴する樹木とされています。

にヤーウェの原点はシュメール神話の中でも最も
古い神に属する、雄牛の角の王冠をかぶったアヌ(アン)神という線が妥当だという事になるだろう。


「世界ビール大百科」{シュメール・ビール}) などの形で言葉が残されている。 最初ビール造りは家庭内での女性の仕事

シュメール文明においては、シカル(ビール一般)、ビーカル(強いビール)、カッシ(黒いビール)、カッサグ(上等の黒いビール)、カッサガサーン(最上のビール)、カッシグ(赤いビール)などの名称があった。

シュメール天空の王鷲 太陽は偉大なる天空の王 ヨーロッパでは権力の象徴とされる
天の川。 仏項天空の王が金輪である。

ギルガメシュイラクメソポタミア) シュメール,バビロニアの英雄神。 頭部に王冠をかざす。
牡山羊 シュメール初期王朝時代 前2600年頃 ウル出土 」「彩色土器の皿 ハラフ期 前4400年頃 アルパチャ(イラク)出土国立イラク博物館蔵」 32花弁。


[14] RE:シュメールの最高神アンの娘イシュタル Name:児島歴研会 2008/11/03(月) 19:20

シュメールはウルクの女神イナンナ
イナンナ神。別名「天の貴婦人」。
牛角付きの冠
像や絵を「女性」と判断するか「女神」と判断するか?
牛角付きの冠をつけているものは「神様」ということになる。

古代メソポタミア都市国家シュメールで発明された戦車。四輪で車輪に輻がなく、ろばが牽く車体に乗った御者が女神と並んで座り、王冠を戴いている。

シュメール人による文明が誕生し、都市国家というものが初めて建設された。

多産系の安産タイプの女性はこのオキシトシンがわずかしか検出されない。すなわち前世の記憶を持った子が生まれる可能性高い。前世の記憶を持つ子供の分布は圧倒的に東南アジア、インド、中国、いわゆる多産系の民族に多い。

シュメールにおいては、月を司るとともに大地と大気の神として信仰されていた。
シュメール人の女性のように、口腔性交、または肛門性交を行うとき(男性優位の正常値。
シュメール人に文明を授けたオアネスである。このオアネスは魚の頭の下に
人間の頭があり、尾ヒレのある当たりに人間の脚が生えている。

ギルガメシュ叙事詩」は、シュメールの王(スメラのミコト)として存在した。

シュメールのイナンナ、時には男装(武装)をして闘う女神の姿もある
これは相対している。

シュメールの文字および漢字は現在. 私達が使う 言語の起源といえる。
シュメール(メソポタミア(現在のイラク)南部を占めるバビロニアの南半分の地域)




参考2:
Sumerian religion - Wikipedia, the free encycloped
The Pantheon/the Annunaki
The majority of Sumerian deities belonged to a classification called the Anunna (“[offspring] of An ”), whereas seven deities, including Enlil and Inanna, belonged to a group of “underworld judges" known as the Anunnaki (“[offspring] of An” + Ki ).[citation needed ] During the Third Dynasty of Ur , the Sumerian pantheon was said to include sixty times sixty (3600) deities.[8]
The main Sumerian deities are as follows:
• Anu : God of heaven/the firmament .
• Enlil : God of the air (from Lil = Air); patron deity of Nippur .
• Enki : God of freshwater, male fertility, and knowledge; patron deity of Eridu .
• Inanna : Goddess of sexual love, female fertility and warfare; matron deity of Uruk .
• Ninhursag : Goddess of the earth.[9]
• Nanna , God of the moon; one of the patron deities of Ur .[10]
• Ningal : Wife of Nanna.[11]
• Ninlil : An air goddess and wife of Enlil; one of the matron deities of Nippur ; she was believed to reside in the same temple as Enlil.[12]
• Ninurta : God of war, agriculture, one of the Sumerian wind gods; patron deity of Girsu and one of the patron deities of Lagash .
• Utu : God of the sun at the E'barbara temple[13] of Sippar .


参考3:
Anann



Paps of Anu ; the western Pap from the eastern Pap
In Irish mythology , Anann (Anu, Ana, Anand) was a goddess . 'Anann' is identified as the personal name of the Morrígan in many MSS of Lebor Gabála Érenn . With Badb and Macha , she is sometimes part of a triple goddess or a triad of war goddesses .[1] As such, she may be a Celtic personification of death , and is depicted as predicting death in battle. As a goddess of cattle , she is responsible for culling the weak. She is therefore often referred to as "Gentle Annie", in an effort to avoid offense, a tactic which is similar to referring to the fairies as "The Good People".[2]
She may be identical with Danu or Aine .[citation needed ] She was a goddess of fertility , cattle, and prosperity, and was known for comforting and teaching the dying. Fires were lit for her during Midsummer .[citation needed ]

[edit ] Etymology
This name may be derived the Proto-Celtic theonym *Φanon-.[3]
[edit ] Paps of Anu
Anann has particular associations with Munster : the twin hills known as the Paps of Anu (Dá Chích Anann or the breasts of Anu), at 52°00′55″N 9°16′09″W , near Killarney ,[4] County Kerry are said to have been named after this ancient goddess.[1]

http://en.wikipedia.org/wiki/Anann


参考4:

ダヌ
ダヌまたはダナ (Danu/Dana)(またはアヌ またはアナ、(Anu/Ana ))は、アイルランド神話ケルト神話 )に登場するトゥアハ・デ・ダナーン (ダーナ神族)の母であり、また生命の母神 ともされる。しかし、神話上には僅かにしかみられない。
ダヌウェールズ語 (Welsh) の同意義語はドーン (Dôn)。 ブリギッド やアヌ とも同一視される。
ダグダ 、ディアン・ケヒト 、リル 、ゴブニュ 、ヌアダ の母でもある。
ダヌの認知の古さ [編集 ]
ドナウ川 (Danube) (ラテン語 :Danuvius)、ドニエストル川 (Doniester) 、ドニエプル川 (Dniepr) 、ドン川 (Don) のような地名の形跡を根拠として、ダヌは恐らくケルト全域で崇拝されていた。実際のところ、インド神話 に登場するダヌ (Danu )という名前を持つ女神が、水およびダナヴァス (Danavas ) という名の阿修羅 (アシュラ)の一族の母に関係していることが、この女神が非常に古い時代のインド・ヨーロッパ系神話 の起源をもつことを示しているとされている。
また、「dhanu」の名は「swift(迅速さ)」という意味を元来持つと見られる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%8C


参考5:
12.シュメール民族の謎
メソポタミア地方に最古の都市文明を築いたシュメール民族は、突然この地方に都市文明を築いた。かれらは、自らを「黒い頭」と呼び、海からやってきたといっていた。イラクの高原からやってきたという説もある。それ以上はさかのぼることはできない。
  ここから話は飛躍する。
  高楠順次郎は仏典の研究から、メソポタミアのシュメール民族と、インド文明を築いたアーリア民族、あるいはポリネシアメラネシア、マレーシアのマラ イ族、インドネシア太平洋海洋民族のルーツはただ一つ、中央アジアのコンロンの大平原のコタン文明を築いたシュメール族にあるとした。
  また、釈迦の出自も「世界最の知識民族であったシュメール族」王家の子孫であるとした。先祖に須彌(スメル)王が居たとして、仏典「仏本行集経」から系図も示している。
  また、伊勢などにつたわる「蘇民将来之子孫也」の護符をもたらしたのは、弓月の君に率いられてコタンから日本に移住した秦氏で、蘇民はシュメールのこ とであるとのことである。つまり、シュメール民族の流れは、秦氏として日本にも移住してきているとの説を唱えている。最近でも高楠順次郎の説を、岩田明、 太田龍中丸薫などのシュメール民族中央アジア起源説の根拠としているようである。

  高楠順次郎など説にしたがえば、中央アジアのコンロン山脈の麓であるホー タンのあたりにいた世界最高の知識民族であったシュメール民族は、人口増加、天変地異や気候変動をうけて、各地に移住して文明を起こしていった。西にいっ てシュメール人となりメソポタミア文明を起こした。南下して、アーリア民族としてインド文明を起こした。また、海洋民族として東南アジアからポリネシアミクロネシアの海洋文明をおこした。

http://www.ican.zaq.ne.jp/rekishi/episode12.html





D. H. ロレンスの言語芸術speech artの存在的想像力について
テーマ:literature


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以下に付録として、福田恒存の『死んだ男』の名訳がある。本体はドゥルーズ夫妻によるロレンスの『黙示録論』の評論であるが、確かに啓発的な読みではあるが、PS理論からでないと本質は捉えられないと言えよう。
情動の思考―ロレンス『アポカリプス』を読む (ポストモダン叢書)/ファニー ドゥルーズ

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D. H. ロレンス文学・哲学の文学、というか、言語芸術(ロレンス自身はspeech artと呼んでいた。確かに、彼の文学は口語、話し言葉主導であり、また、映像性、視覚性が強いので、そう呼ぶのは適切である)の存在的喚起力は、他の作 家には見られないものである。映画的とも言えるのが、映画を見ているときの想像力に近い。だから、映画的というよりは、やはり、存在喚起的想像力的という 言うべきであろう。
 これについてPS理論から解明したい。今は予見だけを簡単に述べる。
 それは、media pointの光の共振エネルギーをロレンスは表現しているのである。そのために、読者は深く存在的に表象を形成するのである。
 言い換えると、第三象限からの光(dark sun, dark ray)の差異共振エネルギーから第二象限を形成するのである。つまり、感覚的表象世界を形成するのである。
 同時にロレンスは第三象限の直観知を作品に表現するのである。哲学的なのである。
 そう、光のエネルギー的表象と直観的知(グノーシス)において、ロレンスは第三象限を源泉にしていると考えられるのである。
 今はざっと以上で留める。
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デーヴィッド・ハーバート・ローレンス - Wikipedia
デーヴィッド・ハーバート・ローレンス
出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』
移動: 案内 , 検索
デーヴィッド・ハーバート・ローレンス

21歳の頃 (1906年)
誕生 1885年 9月11日
イギリス
ノッティンガムシャー 、イーストウッド
死没 1930年 3月2日 (44歳)
フランス
ヴェンス
職業 小説家
活動期間 1907年–1930年
ジャンル モダニズム
主題 性愛、社会、旅行小説、文学批評
代表作 小説: 白孔雀
短編: 菊の香り
戯曲: ホルロイド夫人
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デーヴィッド・ハーバート・ローレンス(David Herbert Richards Lawrence、1885年 9月11日 - 1930年 3月2日 )は、イギリス ノッティンガムシャー出身の小説家 ・詩人 。
1908年 ノッティンガム大学を卒業した後、小学校 の教員 となり、1911年 に小説 を出している。1912年 から1914年 にかけてドイツ に渡り、1914年 イギリスに帰国後結婚した。『息子と恋人』(1913年)、『虹』(1915年)、『チャタレー夫人の恋人 』(1928年)など人間の性と恋愛に関する小説を発表したが、発禁処分を受けたものもある。
ローレンスの作品は性を大胆に描写し、また、近代文明が人間生活にもたらす悪影響を主題としているものが多い[1] 。易しくぶっきらぼうな言葉で書かれているのが特徴である[2] 。
日本では第一次世界大戦 後の1920年代 頃に注目されはじめ、ローレンスが死んだ1930年代 には阿部知二伊藤整西脇順三郎 らによって広く紹介されるようになった[1] 。また、第二次世界大戦後には伊藤整が訳したローレンスの作品『チャタレイ夫人の恋人 』がわいせつだとして罪を問われたチャタレー事件 が発生している。

・・・・・

外部リンク [編集 ]


英語版ウィキソースデーヴィッド・ハーバート・ローレンス 著の原文があります。

ウィキクォートデーヴィッド・ハーバート・ローレンス に関する引用句集があります。
伝記 [編集 ]
• Biography from the Literary Encyclopedia
• Detailed biography, chronology and other resources at The University of Nottingham
• Audio interview with Mark Kincaid-Weekes, concentrating on the middle years of Lawrence's life
• Fyne Times Gay Great - DH Lawrence
作品 [編集 ]
プロジェクト・グーテンベルク におけるデーヴィッド・ハーバート・ローレンスの作品
• Works by D H Lawrence at Project Gutenberg Australia
• Online editions of works , from eBooks@Adelaide
• D. H. Lawrence: Poems
• With the Guns, Lawrence's journalistic, and eerily prophetic, response to the start of the Great War
• Poetry Archive: 150 poems of D. H. Lawrence
• "The Deep End," a biographical essay by en:Benjamin Kunkel in en:The New Yorker
評論 [編集 ]
• "The Hostile Sun: The Poetry of D. H. Lawrence" by en:Joyce Carol Oates (1974)
• "Lawrence's Götterdämmerung: The Apocalyptic Vision of Women in Love" by Joyce Carol Oates (1978)
• "The Internal Travel Towards Jouissance" by Juliette Feyel
• "St Mawr: The Monk and the Beast" and "The Ending of Sons and Lovers" by Keith Sagar.
• The Prussian Officer and Other Stories 謎解きの魅力を持つ永遠の問題作 (宮脇孝雄
その他 [編集 ]
• D. H. Lawrence Museum and Heritage
• Illustrated history of Lawrence's life and death
• Frieda Lawrence Collection
• The paintings of D. H. Lawrence
• Online exhibition, 'A Literary Legacy: D H Lawrence at the University of Nottingham'
• D. H. Lawrence information and events website, endorsed by the University of Nottingham'
• Review of Michael Black's Lawrence's England: Thomas L. Jeffers, “Lawrence’s Major Phase,” Yale Review 90 (Summer 2002), 148-58.
• Review of John Worthen's biography of D. H. Lawrence, The Oxonian Review of Books
• "Mythic Patterns in 'The Plumed Serpent'" http://litscholar.net/plumed%20serpent/ThePlumedSerpent.htm
• "Memoirs of the Foreign Legion" http://gutenberg.net.au/ebooks03/0300711.txt
• Who’s Who in Gay and Lesbian History from Antiquity to World War II, Routledge; London, (2002), ISBN 0-415-1598