個と特異性7:差異=普遍性と境界=特異性

結局、根本的問題は、差異に主導性があるのか、それとも差異の境界にそれがあるのかということである。あるいは、両者にあるのかである。不連続的差異論を創造するに当たって、主眼は当然、差異にあった。しかし、最近の試論では、差異は普遍性にはなるが、個的特異性にならないということになったのである。なにか、試論に欠けているものがあるかもしれないので再検討する次第である。
 もう一度、考察の筋を簡単に見よう。率直に私の直感的考察を言おう。個ないし特異性としての存在を基本的には誰でももっている。そして、これを、自我ではなく、不連続的な差異をもつ自己に見たのである。簡単に言えば、誰でも、個であり特異性であるということである。そして、この個・特異性が不連続的であり、共立するのが本来と考えていたのである。図式化しよう。
個・特異性1/個・特異性2/個・特異性3/・・・/個・特異性nである。そして、個・特異性とは差異と等しいと考えていたのである。そして、これは、イデア界の図式でもあると考えたのである。しかし、そうすると、個・特異性・差異=イデアの「連結」とは、普遍であると同時に、一般となるのである。これが、これまで予期しなかった事柄である。個・特異性即普遍性と考えたが、その普遍性は一般性であったのである。思うに、これは、ヘーゲル的精神に通じるのではと思う。あるいは、カントの超越論的形式である。これは罠であろう。確かに、個々の差異とその普遍性を認めた。しかし、それが、イデア界において、共通になるのである。これは、少なくとも私の意図した考えではない。特異性はあくまで特異性ではなくてはならないのだ。特異性を普遍性としたとき、このアポリア(難題)に達したのである。結局、特異性は特異性でなくてはならない。特異性はイデア界においても特異性でなくてはならない。だから、特異性=普遍性は間違っているのだ。だから、私は、差異=普遍性として、境界=特異性としたのである。ならば、個においてある特異性とは、差異ではなくて、境界と考えなくてはならない。つまり、差異の差異としての特異性である。そう、差異の差異としての特異性であり、差異は普遍性である。そして、差異はイデアであり、差異の差異は境界であり、イデアイデアである。
 ということで、やはり、差異=普遍性、境界=特異性という理論が成り立つのではないだろうか。そして、個とは、差異と特異性の両面があると言えると思う。