個と特異性8:差異と自我:超不連続的差異論

個と特異性8:差異と自我

私は考える(コギト)。このとき、私は個であり、特異性である。しかし、それは我として一つである。これは同一性であるか。個としての我は同一性である。しかし、これは連続的同一性ではなく。不連続的差異としての個の同一性である。だから、特異性である。そして、この不連続的差異としての個/特異性とは、実は、身体においては多数・多元的な不連続的差異を内包しているのであり、私はそのような複数の差異の集まり(アレンジメントないしアジャンスマン)である。ここで、「私」において複数の差異と単数の差異(個)が連結しているのがわかる。
では、問題は、この多と一の関係である。相補性というのがすぐ浮かぶ。とまれ、考察していこう。問題は、境界、差異の境界である。もう一度復習しよう。不連続的差異の共立がイデア界にある。それは境界によって隔てられている。しかし、差異の90度回転によって、差異が連続化(連続擬制化)される。これが、メディア界である。ここで、差異の連結が生じる。この連結には強度があり、これが人間においては、内的時間、身体性、情動、こころ・たましい等になる。心身であるが、それは、差異の連結から生じると言えるだろう。そう、差異の連結(メディア界)がアリストテレスエネルゲイアないし形相である。ここに心身の原型・「イデア」がある。そして、身体と精神が現象化(エンテレケイア)すると言えよう。とまれ、この差異の連結において、おおよそであるが、差異が身体となり、境界的連結が精神・意識・知となるだろう。しかし、問題は、メディア界・エネルゲイアは、差異の連結態であるから、差異と境界が一種結合しているのである。だから、身体は精神性を帯び、精神は身体性を帯びるのである。だから、「気」と呼ばれるものは、このメディア界的結合性ないし強度に存すると言えるだろうが、これを実体化するのは明らかに誤りである。メディア界・エネルゲイア的な属性に過ぎない。(スピノザは、属性として、人間に知られているのは、思惟(精神、心)と延長(物質)に過ぎないと言ったが、東洋から見ると、確かに、「気」を新たに属性に入れることができるだろう。)
さて、すると、私が初めに述べた個としての我であるが、それは、差異の連結による個・特異性であるが、しかし、メディア界のもつ連続的個体性をもつだろう。つまり、差異が連結して個体性ないし原個体性が生じる。そして、これが現象界に個となると考えられる。つまり、これは、だいぶ以前に述べたことであるが、個体性は特異性であるものの連続的同一性による被形成性をもつのである。だから、整理して言うと、我という個・特異性とは、連続的同一性を介した個・特異性である。そして、我は強度をもち、これは、身体の多数の差異をもっているのである。カントは、身体的差異、そして差異的外部をいわば物自体にしたと言えよう。すると、我という個・特異性とは、とても不思議な形態であると言えるだろう。そう、メディア界の強度によって我という個・特異性があるのである。そして、メディア界の強度とは、一方で、言語・自我的同一性へと向かい、他方で、不連続的差異を、イデア界を指向しているというように両極・両義的であり、揺れ動いているのである。(カントやドゥルーズが問題にしたのはこのメディア界の強度であろう。そして、現象学実存主義もおそらくここを対象にしていたのであり、これを明確に理論化したのは、構造主義であろう。)結局、このメディア界の強度がもたらす我という個・特異性とは、同一性と不連続的差異性の両面をもつのであり、それは、現象界とイデア界の指向をもつのであるが、私がこれまで述べた、個・特異性=普遍性とは、このメディア界の強度が不連続的差異ないしイデア界の指向することに存すると言えるだろう。そして、個・特異性において、すべての人間は共通の世界をもつと言えるだろう。すなわち、不連続的差異をもつイデア界という共通の世界である。個・特異性は普遍的共通世界をもつ。
これはこれでいい。私が前の考察で問題にしたのは、個・特異性=普遍性=共通性=一般性ということであり、結局、個・特異性が普遍性・一般性に同化されてしまうのではないか、結局、個・特異性とは、差異的普遍性、あるいは特異的普遍性の一表象ではないのかということである。私は個・特異性としての個・特異性を問題にしたいのである。普遍一般的でない根源を見つけたいのである。それこそが、(私が感じる)ほんとうの個・特異性である。そう、絶対的と言うべきなのかもしれない。絶対的な個・特異性である。それは、やはり、不連続的差異自体にはないと思う。それは、差異の差異である境界にやはり存すると見るべきだと思うのである。そして、それは「光情報」であると思うのである。
さて、このように見るならば、差異の境界をどう見るかが問題となるだろう。思うに、イデア界を超えた領域が想定できるかもしれない。超イデア界である。超光・「光情報」の世界、絶対的個・特異性の世界である。至高(シュープリーム)界あるいは超至高界、絶対界と呼べるだろう。すると、不連続的差異論は、さらに進展して、超不連続的差異論になるだろう。図式化する。

至高界/イデア界/メディア界/現象界

となる。しかし、至高界をイデア界に内包させて、これまで通りに、
イデア界/メディア界/現象界とすることができるだろう。