連続的同一性=自我主義の精神的病理性:近代主義社会の病理的閉塞

近代的自我は、差異を排出隠蔽している。しかし、差異は動的である。つまり、差異は、連続的同一性を形成するとその反作用として、差異へと指向する。この差異への指向を抑止する近代的自我は、反動的であるが、自然の動きとして、差異が強化されるのであるから、差異の強度がその反動的自我に抵抗するようになる。この自我への抵抗が、いわば狂気となるのだろう。つまり、精神錯乱的衝動が、自我内に発出するだろう。ユングが中年の危機と言ったものはこれで、「科学」的に説明できるだろう。差異を能動肯定的に内包しないと、個人は精神的病理に陥る。
 これを社会的に敷衍すると、近代主義的社会は狂気に陥ると言うことである。差異主義に転換しないと、健全さが保てないということである。現代日本は、近代主義の狂気に陥っていると言えよう。ホリエモンは、この近代主義の閉塞を打破するポスト近代主義経済を指向している。そう、差異資本経済へと転換することで、日本は救われるだろう。救世主としての差異資本経済。差異という新しい「多神教」。