植物と動物と人間の成形力学について:太陰と陽の陰陽力学?

植物と動物と人間の成形力学について:太陰と陽の陰陽力学?


テーマ:太陰氣学:太陰イデア論:氣=イデア=生命


太陰氣学(太陰生命=イデア論)から、生物の成形の力学について考えている。
 植物は、太陰と陽の共振で説明つくだろう。思うに、植物の摂取通するエネルギーは日光であり、それは、陽である。つまり、植物自体は太陰で、日光が陽であり、日光=陽を取り入れて、太陰=植物は成長することでいいだろうか。植物は太陰ではなく、陰と見るべきようにも思われるのが、今は措いておく。
 とまれ、植物は太陰と陽が調和共振していると思われるのである。これはこれまでの考えであるが。
 問題は動物の成形である。
 先に自転車乗っていて、思いついたのは、陽が優位化したときに、動物が生起するのではないかということである。
 私がイメージしているのは、陰陽球から陽が飛び出すようなものである。陽的生命体である。しかしながら、太陰が劣位にあるので、植物のように、陽=日光を浴びても、エネルギーを作りだすことはできないということではないだろうか。(理屈的であるが。)
 とまれ、陽に傾斜した生命体として、動物存在を考える。
 それは、陰陽球から飛び出した存在なのであり、太陰=大地から切り離されて、いわば、根から切り離されて、可動的になったと考えるのである。
 そして、可動的になった代償に、エネルギーを自給することができなくなったということになるのである。
 つまり、太陰が過小であり、陽が主要なので、確かに、陽のエネルギーはあるが、それを補充する必要があるということなのである。もし、太陰が強くあれば、日光=陽を吸収して(同化して)、植物のようにエネルギーを作れたと考えれるのである。
 では、動物を超えていると思われる人間、人類はどう成形できたのだろうか。
 当然、動物的ベースはあるだろう。(だからとは言え、進化論的に、類人猿から人類が進化したとは考えない。)
 結局、問題は、自己意識の成形が人類を造るという点にあるだろう。
 動物には自己意識はないだろう。「わたし」はないだろう。しかし、それに微かに似たものはあるかもしれないが、基本的にはないと考えるのである。
 自己意識とは「わたし」という個の意識と言っていいだろう。
 特定される存在の意識ないし認識である。
 動物は英語の不定冠詞a、anであり、人間は定冠詞theに喩えられよう。
 さて、意識の問題であるが、先に、太陰ー陽における原意識について述べた。これは、太極的一元的意識、融合的意識である。認識主体と認識客体が一致するのである。コスモス的意識と言ってもいいし、即非の論理は近いと言えようし、思うに、メビウスの輪(帯)的な意識と言った方がよりよいかもしれない。
 図式化すれば、


原意識=太陰(主体)⇄陽(客体)


ないし太陰(主体)∞陽(客体)


である。
 私は暫定的に、あるいは、作業仮説的に、植物はこの原意識をもっていると考えている。一種、氣の意識である。
 しかし、動物の場合、陽が優位となり、太陰が劣位化される。そう、陽中心となり、太陰は弱体化している。
 だから、太陰(主体)の原意識は脆弱であると考えられる。思うに、反射的な動的な反応が発生するのであり、思考という貯めのある知はないと考えられる(例外はあるだろうが)。
 思うに、直観が発達しているのではないだろうか。(私は動物の部類に近いのか。)
 さて、人類の場合であるが、これは動物とは異なり、太陰(主体)が戻ってきていると思われるのである。
 直観では直立姿勢が、例えば、樹木の垂直性と類似するのである。今は直観だけであるが、植物の原意識、即ち、太陰⇄陽(太陰∞陽)が人類にも内在しているのである。
 しかしながら、動物の身体に内在しているために、不安定である。即ち、動物の陽傾斜、陽中心主義に、植物の原意識、いわば、陰陽バランスが組み合わさっていることになるのである。
 しかし、正確に言えば、原意識自体は無意識であり、原意識がいわば、物質化ないし陽化するのであり、それは、もはや、原意識ではなく、通常の意識になっていると思えるのである。
 つまり、それが、自己意識の原初と思われるのである。即ち、太陰⇄陽ではなく、太陰⇒陽の方向性をもち、これが、さらに、陽⇒外界というように作用するのではないだろうか。
 思うに、正確に言えば、原意識と陽意識の二重性が存するのであり、原意識の宇宙性と陽意識の物質性の二重の意識・認識性がそこにあるように思えるのである。
 原意識はループを形成する。太陰⇄陽のループである。そして、この陽と動物の陽が結合して、物質界への意識が形成されたのではないだろうか。
 言い換えると、人類の陽は一方では太陰につながり、他方では、外界、物質界へと通じているということになるだろう。
 今は精緻、厳密には言えないが、一つ一番の問題をあげれば、植物的原意識が人間において、動物の陽意識と結合する力学の仕組みの解明である。
 どうやって原意識が到来するのか、である。これは、簡単に陰陽力学で説明していいのではないだろうか。
 つまり、動物の場合は陽に傾斜したのであり、陰陽の運動は次は、陰に振れることが考えられよう。つまり、陽から陰への転換である。この陰は太陰のことである。
 今はそのように考えておく。
 そして、今の原意識と陽意識の結合としての人類意識、自己意識であるが、これは原初人類自己意識である。
 これから決定的段階は、父権化である。これは、再び、陽へ傾斜する。否、極大の陽へ傾斜するのであり、陰が消えるのである。典型がヤハウェと考えれる。
 このとき、父権的自己、独立した自己、即ち、自我が形成されると思われる。
 これは、太陰から切り離された極陽の意識である。思うに、これは、動物の陽意識を極端にした面をもつ言えるように思えるのである。
 以上、ざっとであるが、ここで留める。