意識と気の関係:意識・知意識・明識(認識)VS感識・感意識・暗識

意識と気の関係:意識・知意識・明識(認識)VS感識・感意識・暗識(気識)


テーマ:太陰イデア論:太陰プラトニズム 検討問題:1)自我と陽、2)意識とスピリットと気

http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11576182777.html


先に以上のように述べた。
 今、2の問題をさらに検討したいと思っている。
端的に言うと、意識と気の関係である。
 意識が気の領域、つまり、太陰領域ないし陰陽領域に達しない場合は、不調和、分裂・乖離・分離等の状態である。
 そして、現代人、特に、日本の都会人、東京人がそうである。また、知識人がそうである。
 いったい、意識が気と通じるとはどういうことなのか。意識のはたらき、力学は何か。そう精神力学を考えたい。あえて言えば、精神物理学である。
 意識は、思うに、一つの精神力学であり、気、太陰、陰陽も一つの精神力学である。少なくとも、二つの精神力学がある。太陰イデア論以前は、陰と陽の二つに分けていたが。
 今は一言述べておくに留める。
 太陰は意識化されることを求めているのではないのか。そう、太陰は本来、無意識、潜在意識の世界であろう。そこには、陽的な意識、自己意識、自我意識は入らない。
 つまり、二つの意識があるということになろう。自我・自己意識と気・霊的意識である。
 前者は言語・悟性・自我的意識であり、後者は霊・気・直観・想像的意識である。
 そして、生命は、生命智、生命知エネルギーは後者に存するのであり、生命を豊かにするには、後者を積極的に肯定し、共生することが必要だろう。


追記:二つの「意識」を明確にするために、自我・自己・言語・悟性・知性的意識を単に意識、知意識ないし明識(認識)、そして、気・霊・直観・想像力・感性的意識を感識、感意識、暗識(気識)としたらどうか。


1:意識、知意識、明識(認識)・・・自我・言語・悟性(知性)・合理・科学・物質的意識


2:感識、感意識、暗識(気識)・・・太陰・気・霊・直観・想像力・感性・他者的意識


という弁別である。
 私が個というのは、実は、2の感識(暗識)をベースにしたときに、1と共立して形成されるものと考えられる。


追記2:2の感識(暗識)ないし気識であるが、当然、物質的身体と結合しているのである。感覚というものは、感識(暗識、気識)と物質的身体の中間領域だと思われる。
 卑近な、直近の例だが、私がレタスを食べて、気的に浄化されるような気持ちよい美味を感じるとき、気的浄化とは、美味という感覚とともに、感識(暗識、気識)に感知されると思われる。
 そう、味覚という感覚と感識(暗識、気識)は繋がってもいるし、また、共立しているとも言えよう。
 でも、感覚を通して、感識(暗識、気識)もはたらくように思われる。レタスの美味と同時に、気的浄化が作用すると思う。
 直観では、レタスには、生命有機体、生命物質体において、陰陽体が存しているのであり、それが、食べられたときに、身体の感識(暗識、気識)に受容されるということのように思える。
 つまり、レタスは二重体なのである。一つは有機的物質体であり、同時に、気的生命体であるということである。
 レタスの有機的物質体が美味を喚起し、レタスの気的生命体が気的浄化を喚起させるということのように思えるのである。