光と闇:二つの光と二つの闇:電磁波の光と気の光、無光の闇と気の闇

光と闇:二つの光と二つの闇:電磁波の光と気の光、無光の闇と気の闇:気の超光


テーマ:無双陰陽原理/トランス・サイエンス


光と闇は用語上の問題がある。
 先に、「光は闇であり、闇は光である」と言ったが、いわば、用語の綾がある。
 言葉が貧困ということもあるが、言葉が、二項対立的に使用されているという事態に拠ると言えよう。
 宗教においても同様である。光は善であり、闇は悪である。
 しかし、無双陰陽原理では、陽より陰を重視しているのであり、言わば、光より闇を重視するということである。すると、一般的用語の使い方と齟齬を来すのである。
 用語以外に、現象としての光、例えば、陽光の知覚の問題がある。
 砂漠や熱帯だと太陽は疎ましくなるかもしれないが、一般的には、太陽の存在は積極的に肯定される。確かに、暗闇より、陽光の明るさを人は好むのが普通である。(ドストエフスキーに『地下生活者の手記』があった)
 私は19才頃、「光は冷たく、闇は暖かい」というようなことを述べた。それは、都会の光の冷たさ、田舎の春の夜の蛙の鳴き声の心地よさから喚起されて考えたものである。それは、言い換えれば、エゴと共感性の対立である。
 正確に言うと、私は光と(悪魔的)利己主義を同一視していたのである。
 ここは哲学・理論的には重要な箇所である。
 自我知覚は光を介して、感覚(視覚)的に、外界、物質を認識する。このとき、物は、同一性を帯び、物質存在となるのである。
 この同一性物質とは、自我知覚・認識と結びついているのである。カントの悟性、純粋悟性である。(シュタイナーならアーリマンであろう。)
 これが悪魔的なのは、悟性以外の感性、共感性、魂性、精神性を排除するからである。
 怜悧冷徹冷酷なのである。これが、近代科学のもつ悪魔性でもある。
 そう、光はこのような問題をもつのである。
 しかしながら、光、陽光は、感性においては、救いをもたらすのである。
 ここに光の知覚の二重性の問題があると言える。自我認識においては、悟性的悪魔的冷酷さをもたらし、そして、心的感性においては、精神的救済をもたらすのである。正確に言えば、気的救済である。
 結局、光は、物質と精神の両面的存在であり、唯物科学的には、光の物質的側面が認識されるだけであり、光の精神的側面(気的本体)が認識されないということになる。
 このような認識上の問題があるために、上記した問題が根本的に生じると言えよう。
 だから、言い直せば、光は光であって、光以上のものである、というようになろう。
 光以上のものとは超越光、超光、気の超光、気光である。

追記:感性という用語も問題がある。カント哲学においては、外観と内観の両面があるが、基本的には、外観、つまり、外的感覚知覚の意味で使用していよう。
 感性という用語はあいまいで、外的感覚、内的感覚の両面に使用している。
 外的感覚(外観、外官)の場合は、それは、同一性、物質性と通じるのであり、内的感覚(内観、内官)の場合は、差異、他者、共感性、魂・精神性と通じるのである。
 直観というものであるが、それは、基本的には内的感覚がベースと考えられる。それが、外的感覚に映じるというもののように思う。

追記2:「光は光であって、光以上のものである」と述べたが、この場合の光は陽光、太陽光である。だから、
「陽光は光であるが、光以上のものである」と言うのが的確である。





「わたし」は「三人」いる:三重人間:頭の自我、肚の他者、胸の自他均衡


テーマ:無双陰陽原理/トランス・サイエンス


「わたし」は一人ではない。「わたし」は、基本的には、「三人」いるのである。頭人、肚人、胸人の「三人」である。ある意味で三重人格とは言えようが。
 自我は頭人に存すると言えよう。しかしながら、個を形成する土台は肚人にあると思う。ここは、他者の領域である。ここは、内的宇宙、魂の場である。ここは、全体、普遍の場なのである。このミクロコスモスが頭の自我に対して、個を主張するのである。つまり、自我と他者の衝突が生じるのである。この解決は、不連続的差異論をベースにした無双陰陽原理に存すると考えられる。(それにしても、PS理論は、惜しいことをしたものである。たいへんな知的労力がほぼ無駄になってしまった。陰陽をガウス平面で展開しなければ、例えば、多様な差異の連結、即ち、差異1ー差異2ー差異3ー・・・差異nというような視点が明確に発展できたと思う。)


追記:肚=他者=ミクロコスモス(個宇宙・内宇宙)であるから、それは、多数・多元性でもある。だから、多重人でもある。


追記2:三重人間と言ったが、それがバラバラだと正に、多重人格、分裂的人間である。しかしながら、健全な人間においては、三重性にバランスがあると思う。肚と頭と胸、陰と陽と太極で、いわば、三位一体的にバランスをとっていると、ないし、とろうとしていると思う。





失われた、失わされた東洋日本の陰・肚の智文化:西洋父権は陽・頭の知文化


テーマ:無双陰陽原理/トランス・サイエンス


ここ数日、個人的なことは何も言っていない。
 本件は既述済みの事柄であるが、今日のように、日本社会全般が「狂気」(カオス、アノミー )であると、やはり、再説したくなる。
 いわゆる、文明は、父権的文明、無双陰陽原理で言えば、陽の文明なのであり、それ以前の母権的文明、陰の文明を否定し、その後、破壊して生まれ、発展したものである。
 陽の父権的文明は頭の文明であり、明の文明である。そう、知明文明と言えよう。
 それに対して、陰の母権的文明は肚の文明であり、暗の文明である。魂暗文明である。
 母権文明から父権文明への転換は、人類史の大進化と言えよう。しかしながら、それは、もっとも危険な進化と考えられる。
 それまでの魂の内界(精神界)=闇を見つめていた文明とは、異なり、外界(物質界)=光を見つめる文明となったからである。精神から物質への転換が行われたのであり、精神は物質に否定されることになったのである。
 以上が、単純化した、今日支配的な西洋文明のもつ人類史的意味合いである。
 実は、西洋文明は、内界的文化を形成していたのである。
 それは、魂の文化である。ルネサンスも魂の文化である。プロテスタンティズムも魂の文化である。そして、ロマン・神秘主義も魂の文化である。その他、魂の文化は多くある。(そう、プラトン哲学も魂の文化である。ドイツ観念論哲学は、魂の文化と知の文化との融合の試みである。ポスト・モダン哲学もその現代的継続である。)
 とまれ、外界(感覚・物質界)=光の文化が主流、支配的であり、内界(魂・精神界)=闇の文化を抑圧、破壊しているというのが、現状である。
 今日の日本であるが、既述したように、明治維新からの日本父権派の支配によって、日本母権派は、(超)マイナーになってしまっているのである。前者は陽=頭=知の文化であり、後者は陰=肚=魂の文化である。
 そう、さらに言えば、西洋文明よりも、日本は父権化してしまっていると思う。
 それが、日本の政治に現われているのである。これを潰すには、陰=肚=魂の精神革命が必要である。
 そう、思いついたことを言うのを忘れていたが、陰=肚=魂とは、シュタイナー的に言うと、ルシファー的なものだと思う。それは、個の自由を追求する。
 そして、陽=頭=知=アーリマンとのバランスに内に、太極=胸=優愛=キリストがあると思う。
 経済的には、個的協働資本主義であり、政治的には、個的共同体的民主主義である。


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本書は、著者自身の開腹手術の体験から気づいた、日本人の肚意識について論考し
ます。 日本文化に根ざしている肚意識、西洋人の語る肚意識、そして老子の語る肚意識
に光をあて、そこに共通するものは何かを、ユニークな視点から探ってゆきます。