アポロとディオニュソス:陽と陰:古代ギリシアと古代日本:陰陽結合

参考のリンクは以下を見られたい。
http://sophiology.jugem.jp/?eid=200


アポロとディオニュソス:陽と陰:古代ギリシアと古代日本:陰陽結合共振:奇蹟の二つの古代文化


テーマ:二つの日本民族:母権民族と父権民族


新啓示=黙示録の時代:自我=陽=父権の民族の発狂:他者=陰=母権の民族の勃興
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11433084189.html

光は闇であり、闇は光である:「きれいはきたない、きたないはきれい」『マクベス』の魔女の言葉
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11432346716.html

超越神と太極:陽=自我=父権の民族が太極エネルギーを超越神・唯一神と捉えるだろう
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11432156704.html

アントロポゾフィーと無双陰陽原理:自我=陽=アーリマンと他者=陰=ルシファーと陰陽均衡=キリスト
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11431487047.html


以上のように考察を進めてきて、今、ニーチェが『悲劇の誕生』で説いた有名なアポロとディオニュソスについて、明快になったと直観した。
 即ち、端的に、アポロとは陽=頭=自我=父権であり、ディオニュソスとは陰=肚=他者=母権ということである。
 これは、まったく古代ギリシアの史実に合致する事柄である。即ち、古代ギリシアは東地中海の母権・女神文化民族を基底にもっているが、そこへ父権民族のアカイア民族が到来して、母権・女神文化民族を征服したのである。しかしながら、ベースの母権・女神文化民族は強力であり、父権民族はそれを根絶できずに、それと習合したのである。即ち、象徴的に、ディオニュソスとアポロの結合である。母権と父権の結合である。
 これが、古代ギリシア文化の本質であり、それをニーチェが『悲劇の誕生』でほぼ解明したと言えるのである。
 ニーチェディオニュソスを音楽、アポロを美術に喩えたが、それは正鵠を射ていると言える。
 無双陰陽原理から見ると、ディオニュソス=肚、アポロ=頭であり、前者は聴覚的であり、後者は視覚的であるからである。
 問題は両者の結合の意味することである。
 それは、当然、陰陽共振、ディオニュソスとアポロの共振である。それは、無双陰陽原理では、気エネルギーを意味した。おそらく、ディオニュソスとアポロの共振も気エネルギーを意味したはずである。
 ルドルフ・シュタイナーは、古代ギリシアの彫刻は、人体のエーテル体を表現したものと述べているが、エーテル体とは正に、気である。気の身体である。
 ニーチェが範をとったギリシア悲劇であるが、それは、果たして、陰陽共振の芸術であろうか。
 『オイディプス王』を見ると、アポロの方が勝っていると言えよう。実母と結婚してしまったオイディプスであるが、それは、アポロ側の婚姻の法から見ると侵犯であるからである。ディオニュソスからそれをどう判断するのかはわからないが。
 また、アイスキュロスのオレステイア三部作であるが、それは、明らかに、母権と父権の闘争である。つまり、ディオニュソスとアポロの闘争である。陰と陽の闘争である。
 そして、第三部において、和解が生じるのである。それは、アポロ側の法とディオニュソス側(復讐の女神)の神格化である。
 結局、アポロとディオニュソスの和解であるが、それは、現実的には、ギリシア民主主義の肯定となるが、背景には、霊的次元があることを認識しないといけない。
 この霊的次元をなくしたのが、近代主義、近代民主主義である。
 そう、無双陰陽原理の視点から見ると、陰陽の霊的次元が古代ギリシアにはあり、近代には欠損しているということである。
 とまれ、本題に戻れば、ニーチェが説いたアポロとディオニュソスの原理とは、陰陽原理であり、両者の和解とは陰陽共振であり、調和であり、気エネルギーの形成を意味するのである。
 そう、プラトンの対話篇に感ぜられる心地よい雰囲気であるが、それは、古代ギリシア人に感知されていた気の空間ではないだろうか。
 言い換えると、古代ギリシア人は気を感じて、偉大な文化、民主主義を形成したのである。
 そして、そこから、プラトン哲学を考えることが可能である。イデア論とは何か。
 それは、当然、気の世界に関係するし、さらに、太極の世界に関係するだろう。イデア界とは先に触れたように、太極であり、イデアの型とは、陰陽共振の気の情報にあるのではないだろうか。これについては、検討課題である。


追記:古代日本について言うのを忘れたが、これは既述済みなので、簡単に言うと、基底の三つの母権民族(縄文民族、弥生民族、ツングース系民族)と上層の父権民族(おそらく、ユダヤ民族と中国の父権民族)の結合から、古代日本は誕生したのである。それが、記紀神話に表現されていると思う。
 ただし、古代ギリシアに比べて、ディオニュソスより、アポロに傾斜している向きがある。
 そう、日本人は、音楽より、美術に秀でている。それは、ここに根拠があるのでないだろうか。
 今はざっと言うに留めた。


追記2:上述の論は、いかにも、アポロとディオニュソスの二元論の趣がある。しかし、それでは、ニーチェの視点と同じである。もっとも重要な点は、アポロとディオニュソスが陰陽極性を形成するということである。両者を切り離すことができない、不可分一体ということである。不二一元論である。この両極性を理解しないと古代ギリシア文化の本質を逸することになる。つまり、古代ギリシア文化は単に西洋文化の源流だけではなく、本質として、東洋文化であったということである。太極陰陽論が古代ギリシア文化に存していたということである。


追記3:古代ギリシアの秘密はまだまだ、奥深い。問題は、例えば、ギリシア神話のゼウスの位置付けである。それは、主宰神とされるが、実は、大女神に似た生産的特徴がある。これをどう見るのか。
 いちおう、以下のように仮説しよう。即ち、大女神・母権文化であるが、それは、陰をベースにしながらも、陽を包摂していた。その陽の位置にゼウスが収まったということではないだろうか。故に、母権文化をベースにしつつ、陽の位置に父権文化が入ったということではないだろうか。
 思うに、古代日本もそうではないだろうか。基底の母権天皇制があり、その陽(太陽)の位置に父権天皇が入ったということではないだろうか。
 


参考:
古代ギリシア
古代ギリシアの民主政
古代ギリシア2
古代ギリシア - Wikipedia
男爵ディーノ_「悲劇の誕生」読解メモ
ニーチェ悲劇の誕生
ディオニュソス的なもの”と“アポロン的なもの” - Keyword ...
アポロン的なものディオニュソス的なもの - T_NAKAの阿房ブログ
アポロン(Apollon)とディオニュソス(Dionysos): ブゾーニとラバン ...
松岡正剛の千夜千冊『母権制』ヨハン・ヤコプ・バハオーフェン
母権制とはいかなる概念か
ルドルフ・シュタイナー - Wikipedia
エーテル体 - Wikipedia
オイディプス王 - Wikipedia
オレステイア - Wikipedia
アイスキュロスの「オレステイア」(芸術論02)
プラトン
第16講義「イデア論」 - ギリシア哲学への招待状
'プラトンイデア論'とはどういったものなのでしょうか? - Yahoo!知恵袋
イデア論 - Wikipedia
イデア - Wikipedia
プラトン - Wikipedia
Plato - Wikipedia, the free encyclopedia

* Works by Plato at Perseus Project - Greek & English hyperlinked text
* Works of Plato (Jowett, 1892)
* Works by Plato at Project Gutenberg







新啓示=黙示録の時代:自我=陽=父権の民族の発狂:他者=陰=母権の民族の勃興


テーマ:無双陰陽原理


超越神と太極:陽=自我=父権の民族が太極エネルギーを超越神・唯一神と捉えるだろう
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11432156704.html


先に以上の小論で、父権民族は太極ないし陰のエネルギーを超越性として捉えると述べた。
 これは私のまったくの主観であるが、今日、新たに、太極エネルギーが、参入している(influence: 【占星】 (天体から流れて来る霊液が人の性格・運命などに与えるという)感応力(の働き).[株式会社研究社 新英和大辞典第6版])と思われるのである。
 そう、私は西洋占星術プラトン年の考え方を支持している。簡単に言えば、星座(宮)による時代の変遷(進化)の考え方である。今は、双魚宮魚座)から、宝瓶宮水瓶座)への転換期である。
 今はまだ不明であるが、太極が一種回転していて、それが、時間によって、螺旋的回転になり、今や、ある段階の一回転(サイクル)が終わり、新たな段階での一回転(サイクル)が始まる時になったと思われるのである。
 そして、旧い回転(サイクル)から新しい回転(サイクル)に進展する時、新たなエネルギー、つまり、太極エネルギーが注入される、参入するように思われるのである。
 これは陰陽共振エネルギーでもあるから、当然、気エネルギーの注入・参入である。また、それと同時に、より高次のエネルギー、霊的エネルギーも注がれているように思われるのである。(追 記:注入、参入と言っているが、正しくは、内入、内注である。あるいは、内注入、内参入である。influlenceであるが、もともとは占星術の用語で ある。参照:in・flu・ence 〔初14c;ラテン語 influentem (流れ込んだ).「in- (中へ)+-flu (流れる)+-ence=流れ込むもの」〕[ジーニアス英和大辞典 株式会社大修館書店])
 とまれ、陰陽共振エネルギーであり、陰と陽が賦活されるわけであるが、先に述べたように、当然、陰エネルギーも活性化するのである。
 しかしながら、近代(モダン)という時代は、陽=頭中心主義の時代であり、陰=肚を閉鎖しているのである。
 思うに、一神教が誕生したとき、父権民族の預言者たちが、太極エネルギー、陰エネルギーを受信したわけであるが、そのとき、無意識において、陰=肚=魂はMPを介して、開いていたと思われる。
 だから、預言者はMPを介して、高次のエネルギー(高次の情報エネルギー)を受信し得たと考えられる。一種シャーマン的にである。
 しかし、21世紀の今日、近代主義化して、今や、陽=頭中心化していて、陰=肚は鎖されていて、新たな高次のエネルギーは注入されなくなっているのではないか。
 高次のエネルギーは人間の魂に入ろうとするが、その魂が鎖されているので、参入できないと考えられる。否、正確に言えば、陰に高次エネルギーは参入して いるのである。しかしながら、陽と共振すべく媒介となるMPが閉じているので、陽と共振できずにいると考えられるのである。
 すると、陰エネルギーはMPに強く働きかけるのであるが、MPはダムのように閉じたままなので、陰エネルギーは行き場を失うのである。
 おそらく、反動化した陰エネルギーは、陽の世界を襲うようになると思われるのである。つまり、衝動化である。それも、破壊、攻撃的衝動である。
 なぜ、破壊、攻撃的であるのか。陽と共振すれば、調和的な気エネルギーとなり、積極的、創造的なものとなるだろう。
 しかしながら、陽と共振できない陰エネルギーは、思うに、反気的衝動、アンチ・気的衝動になるのではないだろうか。
 当然、生命エネルギーである気が破壊されるだろう。そのために、人間は、元気を喪失するし(うつ病の蔓延)、また、陽に拠るコントロールをもたないために、おそらく、陰エネルギーが元来もつ破壊、攻撃的エネルギーが発動すると思われる。つまり、暴力的衝動化である。
 当然、暴力、犯罪、戦争等が起ることになる。
 しかし、もう少し丁寧に解明すべきである。
 直観では、陰エネルギーがMPを介して、陽へと進入しようとする。しかし、それに対して、陽側は、陰エネルギーの進入を抑圧するのである。なぜなら、近代主義の陽は、陰を抑圧しているものであるからである。
 しかし、今や、陰エネルギーが新たに賦活化されていると考えられるのである。故に、ここに陰エネルギーと陽エネルギーの単なる衝突が生じて、陰エネルギーと陽エネルギーはそれぞれ、反動化して、暴発すると思われるのである。
 この牽引なき背反の状態が今日、父権的人間の精神に起きていると考えられるのであり、それは、カオス=狂気であると言える。
 つまり、端的に、暴力的衝動が父権的人間の精神に起きていると思われるのである。それは、利己主義、エゴイズムの暴力化であるから、悪の暴力化である。つまり、黙示録化である。
 そう、他者を否定、抑圧、攻撃する暴力的衝動が過剰に強化されていると考えられる。やはり、黙示録時代である。
 夜明け前の闇である。


追記:旧い回転(サイクル)から、新しい回転(サイクル)への進展と述べたが、これは、旧いエネルギーから新しいエネルギーへのチェンジと捉えることができるだろう。
 言い換えると、旧い陰陽共振エネルギー(あるいは、旧い霊的情報気エネルギー)から新しい陰陽共振エネルギー(新しい霊的情報気エネルギー)への転換である。
 旧いものは、もう消尽されたのであり、新しいものを創造することはで きなくなっている。そう、気エネルギーが欠落しているのである。それに対して、新しいものは、新たな気エネルギーをもっていて、元気なのである。また、単 に元気なだけでなく、新しい霊的情報(霊知=グノーシス)をもっているので、真に創造・建設的なのである。
 旧い文明にはない霊知(グノーシス)をもっているのであり、それによって、新しい文明を創造すると考えられるのである。
 端的に、西洋物質文明を超克する新東洋霊物文明である。これは、物質を包摂した霊性文明である。


参照:
偽キムチ右翼が安倍圧勝を歓迎、自公別動隊野田一派が祝杯、ブッシュの八百長選挙加担者ヒラリー失脚で被害者ケリーが就任である  ★阿修羅♪ 掲示板 H.24/12/22


親和性が高く小沢が緑の党を通じて日独を結びつけたのは大仕事であり極東の雄とEUの雄に太いパイプができた事は両国にとっても

人類にとっても朗報でありユーラシア共同体が使命のプーチンも大仕事がやりやすくなった筈である。

小沢にとっては日本をワールドシリーズで優勝できる国にしようとしているのでありセリーグパリーグ八百長優勝にしがみつく

クズなどはなから相手にしていないのである。

とはいえ不正を正すことも大事であるがブッシュの不正選挙に加担したヒラリーが失脚しその時割を食ったケリーが後任に就くとは

粋な人事である。

911が偽ユダヤの自作自演と公然と語られるのに10年かかったが光が定着しスマフォが登場して不正が暴かれるスピードが加速

しており衆院選八百長が暴かれるのも時間の問題だろう。
文殊菩薩(ブログ版)』





「全く反対なことでも 言葉にすると余計に近いですね」


テーマ:無双陰陽原理


光は闇であり、闇は光である:「きれいはきたない、きたないはきれい」『マクベス』の魔女の言葉

すずらんさんから、上記の記事に以下のコメントをいただきました。感謝。

「全く反対なことでも

言葉にすると余計に近いですね」

との意見はそういう感じ方もあるのかと思いました。
この陰陽的極性の見方は、古代中国人の見方です。おそらく、今日の中国人にもあると思いますし、日本人の無意識にもあると思います。
 この陰陽の見方ができる人は、賢者になります。近代合理主義は、正しいか否かの二元論で、陰陽極性論を否定しています。


*************************


とっても 深いですね(*^▽^*)

全く反対なことでも

言葉にすると余計に近いですね(‐^▽^‐)

不思議です

すずらん 2012-12-22 15:05:25 >>このコメントに返信





光は闇であり、闇は光である:「きれいはきたない、きたないはきれい」『マクベス』の魔女の言葉


テーマ:無双陰陽原理


頭=陽(光)=自我=アーリマン=同一性=知性(悟性)=金融資本=父権主義=近代=唯物論一神教唯一神、男・父神)
   
        VS・MP(理性・聖霊

肚=陰(闇)=他者=ルシファー=差異=魂性=協働資本=母権主義=トランス・モダン=気(霊)論=多神教(女・母神)



注:上の図式(無双陰陽図式とでも呼ぼう)の陽を陽(光)、陰を陰(闇)とした。
 ただし、それほど単純ではない。実は太陽光には、超越光が存すると思う。 そう、気の光、気光である。それは、一般的には不可視の光であるが、精神の眼には見えるのである。それは、闇の光と言ってもいいだろう。しかし、正確に は、陰陽共振、太極の光、大光である。Great Lightである。
 






超越神と太極:陽=自我=父権の民族が太極エネルギーを超越神・唯一神と捉えるだろう


テーマ:manichaeism: 哲学


アントロポゾフィーと無双陰陽原理:自我=陽=アーリマンと他者=陰=ルシファーと陰陽均衡=キリスト


先に以上のように書き、頭=自我=陽=アーリマン=同一性のフレームがよくわかった。
 カントの超越論的形式、超越論的悟性はここに存しよう。ただし、時間は超越論的形式ではないと思う。
 とまれ、以上から、超越神の問題への糸口が見えたと考えられる。
 即ち、超越神とは、上記のフレームを超越する存在であるということになる。
 だから、例えば、陰からの強い働きかけが陽にあったとき、陽はそれを超越したものと感じるだろう。
 つまり、陰のエネルギーが陽に強くはたらきかけたとき、それは、MPを介して、陽に参入するだろう。
 しかしながら、陽はMPを認識できないのであるから、参入した陰のエネルギーは陽にとり、超越的なものと捉えられると考えられるのである。
 これが、端的に超越神である。陽=同一性に作用するので、当然、同一性的超越神、即ち、唯一神になると考えられるのである。
 もし、陽中心主義ではなく、陰の文化をもっているときは、陰のエネルギーは調和的となり、内在神的になるだろう。
 ところで、陰のエネルギーと言ったが、根源は、太極の一のエネルギーに拠ると考えられる。
 それが、陰陽的に分極化すると考えられる。そのとき、陽中心だと、それが、超越的、唯一的なものになると考えられるのである。
 日本のベースは母権民族、即ち、陰の民族であるから、太極的はたらきかけは、陰陽共振的で、内在的な多神教になると考えられる。
 父権民族において、太極エネルギーは超越的なものとなるのである。
 ユダヤ教キリスト教イスラム教という啓典の宗教は、母胎は当然、父権民族ということになる。