螺旋回転の力学:陰陽円における第一半回転物質過程と反転時点と第二

螺旋回転の力学:陰陽円における第一半回転物質過程と反転時点と第二半回転精神過程


テーマ:無双陰陽原理


新啓示=黙示録の時代:自我=陽=父権の民族の発狂:他者=陰=母権の民族の勃興


今はまだ不明であるが、太極が一種回転していて、それが、時間によって、螺旋的回転になり、今や、ある段階の一回転(サイクル)が終わり、新たな段階での一回転(サイクル)が始まる時になったと思われるのである。
 そして、旧い回転(サイクル)から新しい回転(サイクル)に進展する時、新たなエネルギー、つまり、太極エネルギーが注入される、参入・流入するように思われるのである。
 これは陰陽共振エネルギーでもあるから、当然、気エネルギーの注入・参入・流入である。また、それと同時に、より高次のエネルギー、霊的エネルギーも注がれているように思われるのである。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11433084189.html


先に以上のように書いたが、螺旋回転の力学について、もっと詰めていきたい。
 わかりやすく言うと、原点のゼロ・ポイントがあり、ここから、差異共振によって、新しい情報エネルギーが生起する。
 そこではまた、時間も生起して、空間が形成される。
 螺旋回転の力学に重要なのは、情報エネルギーではなく、その根因の陰陽力学である。
 今は思考実験として、試行錯誤したい。
 陰陽円で考えよう。これは、実はガウス平面で考えるとわかりやすいので、ガウス平面で考えると、陰陽軸は虚軸である。そして、陰陽双極子としての気が存する。
 陰陽が陰陽軸=虚軸に存するとき、それは、百パーセント陰陽共振を行なう。これが原点=ゼロ・ポイントである。
 しかし、双極子は回転し、差異共振の側面は減衰していく。今は、とりあえず、反時計回りの回転を考えよう。
 反時計回りに90°回転すると、陰陽双極子は、陽が−1、陰が+1となる。これは、陰陽が完全に物質化された状態ではないだろうか。
 次に、さらに、90°回転すると、つまり、始めからだと、180°回転である。
 そうすると、陰陽双極子であるが、陽は陰となり、陰は陽となる。つまり、陰陽反転様態である。
 思うに、当然、ここが半回転であり、折り返し点である。そして、その次の90°回転、つまり、最初からだと、270°回転の場合、陰陽双極子は、陽が+1となり、陰が−1となる。これもなんらかの物質化を意味しよう。そして、さらに90°回転、つまり、最初からだと360°回転、つまり、一回転すると、元に戻る。しかしながら、時間が発生しているので、螺旋回転になり、これは、最初の位置よりは、進展している原点になる。
 以上のように考えると、陰陽双極子の一回転において、陰陽共振の極大点は三つある。即ち、最初の時点と半回転した時点と一回転した時点である。
 最初の時点と一回転した時点は、始点となるから、わかりやすいが、半回転の時点の様態の意味がよくわからない。
 とまれ、少なくとも、始点(同時に終点でもあるが)において、純粋陰陽共振が行われ、情報エネルギーがもっとも強いということは理解されることである。
 問題は半回転の時点での陰陽双極子の意味である。ここでも明らかに一種の陰陽共振は為されると考えられる。
 しかし、陽が陰となり、陰が陽となった時点での陰陽共振とは何か。
 今の段階での作業仮説では、それは、反転移動を意味するのではないだろうか。それまで、反時計回りで、左円を形成していたが、半回転後からは、右円を形成するということではないだろうか。
 つまり、これは、左右の逆転でもあるということではないだろうか。鏡の反転と言えるのではないだろうか。(ルイス・キャロルで言えば、鏡の国である。)
 だから、陰陽共振は、いわば、逆陰陽共振とでも言うものになるのではないだろうか。しかし、ここでも、エネルギーは極大的だと思う。しかしながら、新しい段階の回転は作らない。
 ざっと以上のように考えて、やはり、原点・始点(終点)において、陰陽共振のエネルギーが純粋に発動することがわかる。どうも、これが、根源の情報エネルギーのように思える。その後は、減衰していくが、反転において、おそらく、逆情報エネルギーが発動する。そして、それから、終点(新しい始点)へと向うということだろう。
 思うに、反転時点での逆情報エネルギーとは生体で言えば、成長から衰退への転化をもたらすエネルギーを意味するのではないだろうか。
 熱力学ではエントロピーの増大である。
 しかしながら、それは、生命物質体の物質体にあてはまることと思われる。
 逆に、精神は物質の衰退といわば反比例して、成長するようになると、成熟するようになると思われる。これは、もっとも、一般的にである。個々人によって、様態が異なると考えられる。唯物論に染まった人は、精神成長が著しく妨げられるだろう。そして、悪徳化していくことだろう。
 とまれ、反転時点において、物質体は衰退過程に入るが、精神体は成熟過程に入ると思われる。(ここで、心理学者のユングが言った中年の危機を想起する。)
 そう、反転時点とは、陽が陰となり、陰が陽となる。つまり、逆転であり、無双陰陽原理から言うと、頭が肚となり、肚が頭となることであり、それは、両極の交流、相互形成、試練・鍛練・陶冶を意味するだろう。
 頭が肚と通じ、肚が頭と通じるということである。つまり、外界と内界との交流である。物質界と精神界の交流である。
 しかし、近代主義、近代合理主義、唯物論に染まっていると、この重要な交叉交流を阻害してしまい、人間は精神の危機を迎えると考えられる。端的に、心の病である。
 今日、世界的にこの危機を迎えていると思う。先に、陰陽が牽引せずに、乖離背反する状態になっていると述べたが、それはこのことと一致するだろう。
 世界的カオス=狂気の時代、黙示録時代である。
 私見では、双魚宮魚座)文明の回転(サイクル)は終わりに近づき、新たな宝瓶宮水瓶座)文明の回転(サイクル)に入りつつあるのだ。魚座サイクルの終点すなわち、水瓶座サイクルの始点に近づいているということである。
 闇はますます濃くなるが、同時に黎明、曙光、夜明けの光がますます感じられる時代・エポック・エァラと考えられる。
 私見では、超越光、気の光、大光が見え出しつつあるのだ。
 そう、新たな霊性の時代である。新しい霊的次元が感知、認知できる時代になっていると考えられる。
 今日、物質的次元で、人間界では、大狂気が演じられている。金融資本主義という唯物経済がこの原因である。
 新たな霊的次元に覚醒し、新しい世界、新しい政治・経済・社会・文化のシステムを創造・構築すべき進化時代になっているのである。

 
追記:以上の考察では、陰陽円とガウス平面を同一視しているが、ガウス平面を設置する場合、四元数と齟齬を来すので、首尾一貫させるには、思うに、ガウス平面ではなく、陰陽円に即した平面が考えるべきである。とりあえず、陰陽円、陰陽平面を前提とする。


追記2:後、時間のことについて、述べなくてはならない。


追記3:ユングは中年の危機に起る人生の反転をエナンティオドロミアと呼んでいた。


参考:
アペイロン、エナンテオドロミア、プシコイド
2008-08-29 00:22:24 | 随想
■エナンテオドロミア(エナンティオドロミア)は、古代ギリシアの哲学者ヘラクレイトスに由来する概念です。
自然哲学の用語で、一方に偏ったものが他方の極に向かって変化することを指し、ユング心理学では、一面的になった意識を無意識がバランスを保つべく作用することを意味します。

アナクシマンドロスは、無限定であるところのアルケーは、神的で不滅なアペイロンから、暖かいものと冷たいもの、乾いたものと湿ったもの、などの性質の対立するものが分離したと主張しました。さらに争い合うこの対立するものからは地・水・火・風が生じ、また星辰や生物が生じたとして、こうした掟にしたがって、やがて争いの罪を贖って死滅すべきもので、すべてはアペイロンへ戻ると唱えました。

アペイロンはペラス(有限)に対立しますが、アナクシマンドロスはそれがすべての生成の源であると考え、人生とは、個人の内面にあって、外在的現実への没頭、執着から顔をそむけ、内面的世界の探求へ視線を移す動向の予兆を示すものとなります。またその逆の過程も考えられます。このような契機において、個人の探求は、それ自体無限に深化するだけでなく、深化の過程で再びエナンテオドロミアの動向をはらむこととなります。

――ユングは、無意識層のさらに深部には、プシコイドとよぶ領域があり、精神と物質が渾然一体となって万象のカオスに繋がっていると考えました。私たちが出来事の偶然として認識する、説明不可能でふしぎな体験には、集合的無意識と現実との作用を同時共調させる未知のエネルギーが働く場合があるのではないかと考え、シンクロニシティの仮説をたてました。そしてシンクロニシティの現象は、プシコイドを循環するエネルギーの強弱や方向性によって惹き起こされると推論したのです。


〈アペイロン、エナンテオドロミア、プシコイド〉_1

〈アペイロン、エナンテオドロミア、プシコイド〉_2
http://blog.goo.ne.jp/syncr/e/85e7b02c9ca1d38b3a47b08eeebef0ee
人生の謎學
―― あるいは、瞑想と世界


ユング5-3

3 心的エネルギーのシーソー

 フロイトとジャネ、この二人がユングの心的エネルギー論の先駆者と言えるわけですが、この人たちに共通しているのは、心のエネルギーの総量は一定していると仮定したことです。総量が変わらないというのは物理学におけるエネルギー保存則の見方ですが、それを心のエネルギーにも適用している。

 そして、意識がエネルギーを使っている状態と、無意識の中でエネルギーが使われている状態がある。意識と無意識の間で、エネルギーが行ったり来たりする。行ったり来たりが交互に繰り返されるということです。エネルギーが行ったきりで、一生分裂病のままでいる人もいますが、普通は無意識の方へ行ったきりでそのままということはあまりない。意識の方へ戻ってくる、行ったり来たりするほうが普通だと彼らは考えたんですね。

 これは言ってみると、シーソーみたいなものです。シーソーみたいにエネルギーは流れると考えた。この見方が最も当てはまるのが躁鬱病ですね。躁のときにはエネルギーがあるように見えますが、これは意識の方にほとんどのエネルギーが来ているからです。普通の人は、意識的に行動しているようですが全部意識的というわけではないんですよ。エネルギーが100%意識で使われているわけじゃない。躁のときには100%近く意識で使われているから、活動的で元気がある。しかしこれは長続きしないんです。しばらくするとダーッと落ち込んでしまって、何もやる気がしなくなる。この時には意識にはエネルギーがなくて、ほとんどが無意識の方に行ってしまっている。意識的には何もできなくなってしまう。これが鬱病の状態です。つまりは極端な行ったり来たりを繰り返すのが躁鬱病です。エネルギーの行き来の振幅があまり大きいのは危険ですね。

 エネルギーがこのように行ったり来たりする状態を、ユングは「エナンティオドロミー」と言いました。エナンティオドロミアというギリシア語は、古代ギリシア哲学者のヘラクレイトスの言葉です。ヘラクレイトスの「万物は流転する」という言葉は有名ですが、これは万物は対立し争いながら、その対立する相手の方に変化していく、しかし対立しても元に戻って、全体としては調和しているのだという見方です。例えば、天にあるときは火であるが、この火が地に降りてくると水となる。水は土になる。しかし土はまた水に戻って、その水はさらに火になって天に戻っていく。ユングは『元型論』で、精神(ガイスト)は天にあって火であるが、現代は地上に降りて水になっていると言っていますが、これはこのヘラクレイトスの言葉をふんでいるんです。こういった逆転現象が心にも見られるとユングは考えました。

 つまり、意識的な状態が、ある一面的な状態に偏ると、それに対する反動現象が起きて、「補償」ということが出てくる。そういう意味では「反動」というのはいいことです。これが起きないと、一面的になりすぎるわけですから。


http://www007.upp.so-net.ne.jp/rindou/jung5-3.html


心とこころを響かせて : エナンティオドロミア(enantiodromia)

とにかく、「辛と幸」の字が非常に似ているということを認識した時点で、
すぐに頭に浮かんできたのは、「エナンティオドロミア」という言葉でした。

「エナンティオドロミア」について、ユング派分析家で現大阪大学教授の老松克博先生は、
このように説明されておられます。

「『エナンティオドロミア』について説明しておく。
これは古代ギリシアの哲人、ヘラクレイトスの術語で、文字どおりには「逆転」「反転」を意味する。
万物の生々流転の原理を表わすもので、中国の陰陽思想に近い。
陰陽の言葉を用いて説明するならば、陰の極まるところおのずから陽が現われ、
陽の極まるところおのずから陰が現われる、ということである。
状況は極端になると反転する。
宇宙のいっさいは、そのようにして変転していく。
この原理は、心という宇宙で起こる諸現象にも当てはまる。
無意識は極端を嫌う。
意識のなかで偏りがひどくなってくると、反対のものが無意識からおのずと現われてきて補償しようとするのである。」

http://twinbells.blogo.jp/archives/1627336.html
心とこころを響かせて


「アニマ・アニムス」と「エナンティオドロミア」 - Ameba


「エナンティオドロミアの法則」とは、

意識が極端に偏ると、バランスをとるために

無意識が反対方向に補償する働き。


陰陽の思想でいう、「陰極まれば陽に転じ、陽極まれば陰に転ず」太極図

ユングの思想と、陰陽の思想の一致。


夢の中に、アニマ・アニムスが出てくるときに、

エナンティオドロミアが起きやすくなると言われます。



アセンションは、二極化されていたエネルギーの統合が

重要なテーマだと言われています。

「男性性と女性性の統合」音譜


文明の終わりと始まりは、エナンティオドロミアの繰り返しですね。。

近代化された現在の世の中は、男性性が強く出ていますが、

でも今回は、男性性が極まっても、次は女性性に転じない、

どちらにも偏らない真ん中、中庸を目指してるんですね
http://ameblo.jp/mametantantan/entry-11401760965.html
Peaceful Landscape。・:,。☆

Enantiodromia - Wikipedia, the free encyclopedia
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