光のmedia point plane mode:闇が「光」となり、光が「闇」となる

光のmedia point plane mode:闇が「光」となり、光が「闇」となる
テーマ:manichaeism: 哲学
media pointにおける光のモードについて閃いたので、簡単に記す。
 以下の三日月の映像が役立つ。月の光った部分に接している暗い線が、凸iの同一性反射に相当するだろう。
 そして、明るい部分が凸i*凹i⇒凸(+1)の右辺である。
 しかしながら、現象界、物質界においては、この明るい部分は不可視になっている。D. H. ロレンス的に言えば、dark, unseenなのである。
 そして、暗黒部分を一般には視覚しているのである。つまり、思うに、三日月を容器として考え、弧を底とすると、光の容器が闇を包容している(光が闇を包 んでいる)のが、真実の世界と考えられる。つまり、現象界、物質界とは闇なのである。闇を光と見ているのが、一般の人間である。
 もう少し丁寧に言うと、現実に見る光、現象光は、闇なのである。そして、真の光は不可視、dark, unseenなのである。(これが、ロレンスのdark sun, dark rayと考えられる。)
 プラトンの洞窟の比喩における太陽は、現象界の太陽ではなく、精神界の太陽と見るべきである。
 そう、ロレンスが我々は光の背中を見ているに過ぎないと述べたが、それは正鵠を射ているのである。本当の光の背中の闇を見ているに過ぎないのである。
 この闇である現象光は物質的光と言えよう。しかしながら、先に述べたように、真の光が闇である現象界に漏れ出る、沁み出ることがあるだろう。
 現象の太陽から沁み出る真の太陽、精神の太陽が「見られる」ときがあるだろう。
 真の太陽が正面を向ける時である。それはいつなのだろうか。
 そう、簡単に言えば、差異共振精神という内的精神的光をもつべきである。その光によって、現象の太陽において、真の太陽、精神の太陽を見ることができよう。
 そう、凸iが凹iに設ける同一性面、同一性鏡を突き抜けて、凹iの領域に測深すべきである。
 それは、東洋的瞑想等に関係しよう。また、ロレンスの『無意識の幻想曲』に。
 media pointの同一性面、三日月で言えば、明るい部分に接する暗い弧を突き抜けて、明の部分に達することである。
 しかしながら、大事なのは、凸iの純粋悟性、純粋自我を伴うことである。それによって、凹iと凸iが差異共振して、真の内的光、超越光を生むのである。
 今は簡単な指摘に留める。
 
追記:真の太陽が沁み出ると言ったが、思うに、三日月の二つの尖端から漏れ出るようにも思える。二つの両端とは何か。夜明けと日没時だろうか。もしそうなら、どうしてなのか。
 思うに、夜の闇は凸(+1)の真の太陽を内在しているのではないだろうか。そして、夜明けのとき、光が到来するが、実は現象光と真の光が接するときではないのか。
 日没の時は、逆に、闇が到来するが、その闇の中の真の光が現象光に接するのではないだろうか。
 今はここで留める。




画像は三日月 - Wikipedia から




ファシモティズム:現代のファシズム全体主義
テーマ:日本亡国の凶相
こういう踏み絵みたいな善悪二元論の発想がファシズムの根源である。そして、愚民は没思考的なので、それに追従するのである。
 共産主義全体主義は母権的民族の反動と考えられる。新父権主義が母権的民族には必要である。
橋下市長、入れ墨・地下鉄喫煙で全庁調査指示
読売新聞 3月21日(水)23時3分配信
 大阪市児童福祉施設職員が子どもに入れ墨を見せて停職処分になるなど、市職員に不祥事が相次いでいることを受け、市の服務規律刷新プロジェクトチーム(委員長=橋下徹市長)が21日、発足した。

 初会合では、入れ墨の有無などについて全庁調査を行うことを決めた。

 チームは、職員が覚醒剤の使用容疑で逮捕された水道局や、全面禁煙の地下鉄駅構内での喫煙が明らかになった交通局などの幹部らで構成。橋下市長は「公務 員の職場で入れ墨が合うか、誰が考えてもわかる。ダメなものはダメという雰囲気が欠けている」と指摘し、「僕はやるといったらとことんまでやる」と、不祥 事根絶に意欲を示した。

 チームは入れ墨以外にも、勤務時間中の喫煙やマイカー通勤など禁止事項に関する実態を調査。このほか、弁護士ら第三者委員が不祥事の実態解明に当たる調査チームも新設する。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120321-00001218-yom-pol




光とは何か:二つの光:同一性(物質)の光と差異共振光

テーマ:manichaeism: 哲学
思うに、光は同一性光と差異共振光に分離するのではないだろうか。当然、media pointにおいて、分離するのであるが、media pointでの両者の関係が微妙である。
 今は精緻に論じられないので、思いつきに留まるが、凸iの主導性に対して、当然、凹iは一種反発をすると思われるのである。
 つまり、凸iの支配は凹iを同一性化する。これは、凸iは凹iに自己反射するのであり、この自己反射の光が同一性光(物質光)のように思えるのである。言い換えると、凸iの反射光が同一性光(物質光)であり、可視の光である。
 それに対して、凸iの支配に反発する凹iは独自に、凸iを包含、内包して、差異共振光を形成するように思われるのである。
 両者はまったく共約(通約)不可能であると考えられる。不連続である。
 D. H. ロレンスがdark sunないしはdark rayと呼んだものは後者であり、前者の視点から後者はまったく感知できないと考えられる。(media pointの二元性と言えよう。あるいは、media pointの絶対的間隙性である。)
 神話学的に見ると、父権的太陽は前者であり、母権的太陽は後者であると思われる。
 しかしながら、凹iは凸iを取込むのであるから、実は、凸iは凹iと共振しているのである。
 つまり、凸iの主導性(父権)は、絶対的ではなく、凹iの差異共振の影響を被っていると考えられるのである。(凸iを「父」とすれば、凹iが「子」であ り、差異共振は「聖霊」であろう。kaisetsu氏的にいうと、このとき、ガウス平面に直交するz軸が形成される。超越軸、聖霊軸である。)
 先に絶対的間隙性と言ったが、実はそうではなく、接触面があると言えよう。
 凸iの主導性によって、media pointに同一性面ができるだろう。しかし、この同一性面の、いわば、裏面は差異共振面である。同一性と差異共振が接触しているのである。
 とまれ、この接触面が重要である。ここで、同一性と差異共振が交差するのである。(だから、交差面とも言えよう。)
 これは、思うに、揺動面とも言えよう。常に、揺らいでいるのではないだろうか。
 また、浸透面とも言えるだろう。
 とまれ、この接続面をどう捉えるかが重要である。それを同一性中心にすると、精神的病気になると考えられる。また、差異共振を中心にすると、神秘主義になるように思われるのである。
 現実的には、同一性(物質)と差異共振(精神)のバランスが必要である。
 このバランスは両者を不連続化したときもたらされるのではないだろうか。もっとも、絶対的不連続化ではないが。
 今はここで留める。
 
追記:以前、私はしきりに超越光が現象光において可視であると述べた。思うに、現象光はやはり、同一性(物質)の光であり、超越光は差異共振(精神)の光と見るべきであろう。
 現象光において超越光が見えるというのは、上述したmedia pointにおける接触面において、現象光と超越光がいわば、融合しているということだと考えられる。
 そう、正確に言うと、超越光は氣の光でもあり、精神の光でもある。氣と精神の光である。
 精神の光、真の超越光は、シュタイナー的に言えば、アフラ・マズダ=キリストになるだろう。日本神話で言えば、天照大御神である。

追記2:media pointは上記の分離と融合(一種の即非性)を考えると、いわば、メビウスの輪のような構造ではないだろうか。(もっとも、メビウスの輪はいわば比喩であるが。)
 だから、∞の記号をmedia pointに使用してもいいかもしれない。即ち、凸i∞凹i⇒凸(+1)+凹(−1)=ゼロとなるのだろうか。それとも凸i∞凹i⇒凸(+1)*凹(−1)=凹(−1)となるのだろうか。
 後者の場合、凹(−1)=e^iπではないだろうか。
 今はここで留める。
 

参照:
天照大神 - Wikipedia


参照2:
メビウスの帯 - Wikipedia





父権と母権について再考
テーマ:新母権的社会:差異共振共同体
私は一神教は母権から生まれると考え、母権的一神教という用語を提起した。
 どうもまだ、不分明である。連続的同一性を形成するのは、最初、父権であると述べたが、先に母権であると判断したのである。
 同一性を形成するのは、基本は父権である。凸iの主導性であろう。
 しかし、凸i主導は凹凹iを生む。つまり、内的他者である凹iを否定するのである。この他者否定が否定的感情を生むのであり、それが、同一性の感情的基盤になるように思える。
 つまり、同一性主義である。だから、母権からではないのである。結局、最初の考察に戻ることになる。即ち、同一性主義を形成するのは父権主義であるということである。
 では、ヤハウェ一神教はどう説明できるのだろうか。やはり、父権的同一性主義でいいのではないだろうか。
 後でより厳密に検討したい。





差異共振精神の形成の様態
テーマ:media point
どうして、人間によって、道徳・倫理の有無が生じるのか。
 差異共振精神は真善美をもたらすものであるが、精神的感情は、スピノザが説いたように、歓喜になると思われる。
 例えば、モーツァルトの音楽を聴いたとき、この歓喜の情が生起する。
 だから、差異共振精神形成のためには、すぐれた芸術体験が必要であり、また、自然体験も必要である。また、知性を確立させないと、感情中心になり、ロマン主義的になる。(もっとも、ロマン主義が悪いというのではなく、感情中心主義になることを問題視しているのである。)
 悪的傾向をもつ人間は、この差異共振精神形成が為されなかったと考えられる。歓喜の精神が欠落しているのである。
 思うに、今日、うつ病やその他の心の病等は、この問題に関係していよう。差異共振精神の欠落があると考えられるのである。
 今はざっと指摘するに留める。
 
追記:差異共振精神とは光の精神である。即ち、

凸i*凹i⇒凸(+1)

である。右辺が光(光子)である。左辺の双極子から差異共振によって、右辺の歓喜である光が誕生するのである。
 それに対して、差異共振のない、連続的同一性の自我は、闇、無明である。

凸i*凹凹i⇒凹(−1)

である。内的他者凹iを否定して、闇である自我凹(−1)が生まれるのである。
 ここで、純粋自我凸iと連続的自我凹(−1)を峻別する必要がある。前者はきわめて重要なものである。純粋悟性を内在していると考えられる。
 では、差異共振によって誕生した光は、何であるのか。現象光なのかマニ教の光なのか。
 直観では同じである。現象の光とは本来、精神の光であるが、それを連続的自我凹(−1)は物質的、同一性的に視ているのである。
 そう、凸i*凹凹i⇒凹(−1)の右辺は物質的光とも言えるように思える。凸(+1)が精神的光であるのと対照的に。
 E=mc^2とは、思うに、物質的光の公式ではないだろうか。差異共振エネルギー(差異共振光)は、E = hνの方に近いのではないだろうか。
 即ち、E=h(凸i*凹i)である。
 とまれ、二つの光がある。闇(物質、同一性)である光(凹、−1)と純粋な(精神、差異である)光(凸、+1)である。
 尚、本追記は、思考実験である。

追記2:キリストが言った二種類の人間は以上の区別で説明できよう。この世の人間は凹(−1)の人間であり、地の塩である人間は凸(+1)の人間である。闇の人間と光の人間である。前者は後者が見えないのである。





純粋悟性問題
テーマ:manichaeism: 哲学
純粋悟性は既述したように、凸iでいいと思う。これは純粋自我でもある。
 これは、内的他者凹iに対しては同一性的に作用するので、凸i*凹凹i⇒凹(−1)となると考えられる。
 これが人間の自然的一般的精神様態と言えよう。つまり、純粋悟性的精神様態である。
 ここでは、自我が他者を同一性的に支配するのであり、自我は他者、自己を認識していない。無明である。
 もっとも、これは、連続的同一性においてである。母権的自我においてである。
 真の父権的自我は、凸iと凹iを自然的に分離するのである。換言すると、真の純粋悟性、純粋自我は、凹iと不連続的であり、他者・差異である凹iをなんらか認識しているのである。
 思うに、カント哲学の物自体とは、先に述べたとこととは異なり、凹iでないかと思う。カントは凹iを感じていたが、合理的には説明できなかったと思える。
 途中。





光と物質:再考
テーマ:manichaeism: 哲学
先に、光と物質は凸(+1)ということにしたが、どうも違うと思う。
 凸i*凹i⇒凸(+1)において、右辺を光(光子)とすれば、物質は正反対、即ち、凸i*凹凹i⇒凹(−1)と考えた方がいいように思う。
 即ち、光を自我的同一性によって捉えたものが物質ではないだろうか。
 言い換えると、光とは差異共振エネルギーをもつ現象であるが、物質とは、それを自我的同一性的に見たものである。
 だから、果たして、自然界に物質があるのかどうか問題視されよう。物質は仮象のように思える。もっとも、物質とは、差異共振エネルギーの同一性的仮構のように思える。
 言い換えると、差異共振エネルギーの同一性的切り口に過ぎないように思える。本体は差異共振エネルギーである。
 そうすると、オイラーの公式を組み込んだガウス平面の単位円において、右半円(虚軸を含めて)は光の世界、本体の世界であり、左半円(虚軸を含めない)は闇の世界、仮現の世界と思われる。
 つまり、現象的には、光と闇は真逆になっていると考えられる。D. H. ロレンスのdark sunは実は凸(+1)であり、現象世界(物質世界)は凹(−1)と思われるのである。
 今はここで留める。





消費税増税とは何ぞ哉?:権力と愚民:新父権主義へ向けて
テーマ:manichaeism: 哲学
消費税増税政策はオウンゴール策である。これは、単純にわかることである。
 金持ちは貧乏人から金を取りたいのである。そう、民主主義は建前に過ぎない。ブルジョワとプロレタリアがいるに過ぎない。
 前者は金・資本一神教だと思う。これは、母権主義であり、真の父権主義が欠落していると考えられる。
 真の父権主義とは何か。つまり、一神教が母権主義の裏返しと考えられるので、それは逆さまの母権主義であり、真正な父権主義ではないのである。
 思うに、古い母権主義がもっていた原初差異共振主義に、父権主義の原型が存するのではないだろうか。
 私が想起するのは、大国主命である。これが、私にとって、父権主義の原型である。
 するとどういうことになるのだろうか。
 これまで述べたように、母権主義は二重である。即ち、原初差異共振主義と連続的同一性(母権主義的同一性)があるのである。そして、一神教は後者が極まったものと考えられる。つまり、一神教は前者を排除していると考えられる。
 前者はいわゆる多神教的要素ではないだろうか。これを排除したのが、母権主義である一神教ではないだろうか。
 そう、多神教的要素とは端的に原初差異共振主義と言えよう。
 結局、母権主義とは二重であり、原初父権主義と連続的同一性主義があるのである。だから、母権主義という言い方は問題があるが、今はこのままで留めておく。
 とまれ、今日の問題、「トランス・モダン」とは、母権主義の原初父権主義を今日的に復活することを意味しよう。
 それは新父権主義である。
民主党>消費増税法案了承は19日以降
毎日新聞 3月16日(金)22時3分配信

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民主党厚生労動・財務金融・総務部門・社会保障調査会・税務調査会合同会議冒頭にあいさつする前原誠司政調会長=東京都千代田区衆院第2議員会館で2012年3月16日、藤井太郎撮影
 民主党前原誠司政調会長は16日夜、国会内で開かれた党税制調査会社会保障と税の一体改革調査会などの合同会議で、消費増税法案を党として了承する 手続きを週明けの19日以降に先送りする考えを示した。民主党執行部は16日の了承を目指す方針を示していたが、野田佳彦首相の明言している月内の閣議決 定・法案提出には日程にまだ余裕があり、小沢一郎元代表のグループを中心とする反対派との決定的な対立を避けるため議論に時間をかけることにした。

 会議は午後6時過ぎに始まり、前原氏は「政治家同士で議論しながら、よりいい法案にまとめる努力をしたい」とあいさつ。民主党執行部は16年度にさらなる増税へ向けた法整備を図る「追加増税条項」の修正によって反対派に配慮する方針で会議に臨んだ。

 しかし、反対派は景気悪化時に増税を停止する「弾力条項」に「名目成長率3%」などの数値目標を設定することも強く要求。これには安住淳財務相が16日 の記者会見で「具体的な数字で規定するのは難しい。さまざまな要因を勘案して政治が判断するのが基本だ」と拒否を明言しており、同日中の決着は難しい情勢 となっていた。

 会議は具体的な修正論議に入れないまま2時間近くが経過。野田グループの近藤洋介衆院議員が「きょう決めるべきだ」と発言したのに対し前原氏は「きょうは決めない。中小企業対策など論点を全部出すためにとことん議論してもらいたい」と先送りを明言した。

 もともと週内の決着は難しいとの認識は党執行部側にもあり、野田首相は16日の参院予算委員会で「個別にいろいろ議論があると承知しているが、意見集約 できると思っている」と一定の時間をかけて意見集約を図る姿勢を示した。同時に「法案成立が私の大きな政治目標だ。不退転の決意で責任を果たしたい」とも 述べ、法案を月内に提出したうえで法案成立に政権の命運をかける決意も強調した。【木下訓明、光田宗義】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120316-00000124-mai-pol
消費税法案、決着持ち越し=再増税規定の削除検討―民主
 民主党は16日夜、衆院議員会館社会保障と税の一体改革に関する政策調査会の合同会議を開き、消費増税関連法案に関する3日目の事前審査を行った。執 行部は、反対論が強い追加増税規定の削除を含め修正する方針を固めた。ただ、会議では小沢一郎元代表グループを中心とする反対派から法案への異論が続出。 執行部は当初予定していた同日中の了承取り付けを断念、決着を19日以降に持ち越した。(時事通信)
[記事全文]

◇2つの焦点
・ [図解]消費税増税関連法案の焦点と意見 - 産経新聞(3月15日)
◎追加増税
・ <消費増税法案>「追加増税」修正へ…政府・民主 - 毎日新聞(3月16日)
・ 再増税時期、明記せず…消費税法案の付則 - 読売新聞(3月16日)
◎景気弾力条項
・ <安住財務相>消費増税法案弾力条項「数値、非常に難しい」 - 毎日新聞(3月16日)
・ [政治クローズアップ]検証消費税 景気によっては増税凍結? - 景気条項について。Yahoo!みんなの政治





いかにして差異を認識するか:同一性認識と差異認識
テーマ:manichaeism: 哲学
母権的自我が主導の父権的自我の場合、その意識は同一性主義になると考えられる。
 つまり、母権的自我のもつ凹iの感情が〜主義を作り出すから、父権的自我の同一性が主義化して、同一性主義になると考えられる。
 では、父権的自我(同一性に傾斜する)はどのように差異を認識できるだろうか。
 ある事柄、事象をXとすると、それは、端的に差異であるが、父権的自我はそれを言語化して、同一性化する。しかしながら、Xは差異(カントの物自体)として、存するのである。
 ここで、母権的自我が重要となるだろう。凹iの存在である。つまり、父権的自我が母権的自我の凹iを直観することがポイントである。これが、差異である。凹iという差異を直観することで、事象Xは、差異として、認識されるようになるのである。
 結局、内観の問題になると言えよう。外在的認識のままであると、Xは同一性のままであるが、内的認識を基盤にすると、Xは差異化されるのである。
 そう、空間認識のベースに時間認識を置くのである。
 簡単に記すに留める。





カントの外的感覚(外官)と内的感覚(内官)
テーマ:manichaeism: 哲学
カントの述べる外的感覚とは凸iに、内的感覚とは凹iに基盤があるのではないだろうか。
 当然、純粋形式もそれらにあると考えられる。つまり、空間形式は凸iに、時間形式は凹iに存すると考えられる。
 問題は、差異共振化である。時間と空間の差異共振化とは何か。つまり、凸i*凹i⇒凸(+1)なのか、それとも、凸i*凹凹i⇒凹(−1)なのか、である。
 時間と空間の差異共振化は前者以外にはありえないだろう。それが、自然の摂理である。
 しかし、時空四次元とはどうなのだろうか。それは、差異共振様態なのだろうか。
 途中。





光と物質
テーマ:manichaeism: 哲学
凸i*凹i⇒凸(+1)において、凸(+1)が光で、凸i*凹凹i⇒凹(−1)において、凹(−1)が自我ならば、物質はどこにあるのだろう。
 この点で、Neo-PS理論が意味があると考えられる。つまり、ガウス平面に直交するz軸がいわば自我軸であり、y軸は、生命軸(氣の軸)のように考えるとわかりやすい。
 とまれ、私説は混乱を含んでいる。端的に、凸i*凹i⇒凸(+1)は何であるのかである。
 積を同一性化と考えると、凸(+1)は、自我化であり、商凹(−1)は差異共振化である。自然(氣)の場合、凹(−1)が自然の物質(物自体)である。
 そう、やはり、凸i*凹i⇒凸(+1)の右辺が物質ではないだろうか。つまり、差異共振を人間は認識できないので、凸iの純粋悟性=同一性の視点から自然を認識するので、物自体が物質になるのではないだろうか。
 すると、光は差異共振であり、凹(−1)ということになる。それでいいだろうか。
 以上はまったく不整合状態である。
 積をどう捉えるのかが問題である。それを差異共振に捉えるならば、それが光を意味する。そして、光は物質を意味するだろう。E=mc^2である。
 では、商は何か。それは、・・・。

どうも、ひどく混乱しているので、後で整理したい。
 
追記:問題の核心は同一性力学をどう捉えるのかである。
 同一性と物質はどう関係するのか。同一なのか、異なるのか。
 同一性とは自我の事態であり、それから、外的対象を捉えたときに、物質が生起すると考えられる。
 つまり、凹(−1)を自然とすると、それを自我は凸(+1)と捉えるのである。凹(−1)がカントの物自体である。(自我とは純粋自我凸iが外的に純粋他者凹iを認識するときの主観性である。)
 つまり、凸i⇒凹i⇒凸(+1)が物質である。また、光である。
 それに対して、凹i⇒凸i⇒凹(−1)が物自体である。氣的身体である。
 凸(+1)の光とは現象光である。それに対して、凹(−1)の光とは、いわば、氣の光である。(おそらく、D. H. ロレンスのdark sunとはこれである。)
 しかしながら、ここで正確に言えば、ガウス平面に直交するz軸における凸jが本来の純粋自我(アートマン)であり、凹jが純粋他者である。
 「イデア」というとき、自然的「イデア」と人間的「イデア」の区別があると思われる。
 結局、Neo-PS理論の見地である。即ち、ガウス平面の右半円が人間的現象界であり、左半円が自然現象界である。そして、ガウス平面に直交するz軸において、凸jが純粋自我であり、凹iが純粋他者である。
 そのように見たとき、不明なのは、y軸とz軸との関係である。その力学である。
 これは検討課題とする。

追記2:どうも、やはり、はっきりとしない。自我が⇒凹(−1)であり、光が⇒凸(+1)ではないのか。つまり、左半円が自我世界、闇の世界である。右半円が自然世界、光の世界である。
 つまり、凸i*凹i⇒凸(+1)の左辺は積、差異共振を意味し、凸i*凹凹i⇒凹(−1)の左辺は同一性力学を意味するということの方がいいように思う。
 後でさらに検討したい。 





重力問題
テーマ:manichaeism: 哲学
次の私の論考に対して、コメントといただいた。興味深いので、検索したら、以下のような記事があった。


「2012-01-30 重力とは何か:光と物質の反作用としての重力?:闇としての重力作業 編集
重力 とは何か:光と物質 の反作用 としての重力 ?:闇としての重力 作業仮説

テーマ :science

今は直観 だけを言う。空間 を歪めるはたらき、光を曲げるはたらきをするということから 、どうも、media point に関係すると直観 される。
 以前も私見を書いたが、もし、物質 が⇒のエネルギー 方向をもつなら、重力 はそれとは反対に←のエネルギー 方向をもつの ではないだろうか。光が⇒の方向ならば、重力 は←の力の方向である 。
 もし、そうならば、重力 は⇒の反作用 的なもの となろう。凸i*凹i⇒凸の反作用 として、凸i*凹i←凸が形成され、その←が重力 ではないだろうか。
 簡単に言えば、重力 はmedia point の方向を示していると考えられる。そして、ブラック ・ホール もこの方向にあると言えよう。そう、ブラック ・ホール はmedia point から 第三象限ないし凹を指すのかもしれない。
 とまれ、以上から 考えられるのは、重力 と光は対蹠的であり、ある意味 で両極的である 。
 作業仮説である が、実MPにおいて、光と物質 が発出されるならば、その裏面に重力 が形成されるのではないだろうか。やはり、反作用 の法則 、エネルギー 保存則である 。
 だから 、光(現象光)に対して、闇である 。虚MPや第三象限等を志向 しているのではないのか。
 あるいは、光、物質 の表面(現象)に対する裏面、背後である 。その不可視 の世界 、精神 の世界 に、重力 は通じているのではないのか。
 言い換えると、現象太陽 の裏面、背後の闇の太陽 dark sun 、ないしは、霊的太陽 を意味 しているのではないのか。
 光と物質 の第一象限の現実 世界 に対して、重力 は、精神 と闇の光(超越光、マニ教 の光)の霊的世界 を意味 しているのではないのか。
 今はここで留めたい。

追記:先に、凸iの光(原光)と実MPの光(現象光)は異なると言ったが、そう考えなくても説明できるだろう。
 即ち、現象光を同一性 の光とすれば、それは、凸iの光と一致すると思われる。
 そのときは、凸iが主導となって、凹iを同一性 化しているのである 。
 しかるに、凹iが主導のときが考えられる。そのときは、光ではなく、凹iの闇(原闇)が生起すると考えられる。
 それは、当然、不可視 である 。闇である 。これが、重力 なのではないだろうか。方向性は、光凸iの反対であり、下降↓である か、物質 化⇒の反対の←である 。
 とまれ、闇としての重力 である 。さらに後で検討 を続けたい。」
http://d.hatena.ne.jp/antares/20120130#c

コメント
「 gavity man 2012/03/12 02:52 「太陽は地球を引き回す」
重力作用を考えてみると、私見では質量に2種の 働きがあるような気がする。一方は質量の最小構成要素から発生する波と他方は質量がその波と共鳴する時、質量体は飛来した反対方向に光子を排出すると光子 同志の摩擦で波の飛来した方向に力が働く、丁度光子ロケットのように、即ちこれが万有引力ではないだろうか。例として太陽と地球の引力は地球軌道の接戦方 向に作用する、太陽はあたかも地球を引き回すように。詳しくは是非URLを参考にして欲しい。」

MEBIUS - Gravity man さんのサイト(再掲、追記)

MEBIUS Gravity man さんのサイト(再掲、追記) - MEBIUS - FC2

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MEBIUS - 重力とは何だろう その2

1.重力の謎

電荷のエネルギー