光とエーテル体(氣)

光とエーテル体(氣)


テーマ:検討問題


本件の問題を解明する必要がある。
 端的に言えば、光は当然、可視的であるが、エーテル体(氣)は不可視である。
 しかしながら、シュタイナー精神学をPS理論に引きつけると、光とエーテル体が同じものに、即ち、凸iになってしまうのである。この齟齬を解決する必要がある。
 少し整理しよう。私はシュタイナー理論を触れる前までは、氣とは、MP1(虚軸点)で形成されると述べた。そして、シュタイナーの発想からエーテル体=氣は凸iとなった。明らかに、齟齬、矛盾である。
 思うに、氣=エーテル体はやはり、MP1で発生する超越光とすべきだと思う。そして、光は凸iのままで済む。
 つまり、氣=エーテル体とは、光と闇の共振体ということになる。それが、Vector Modeを産み出し、物質体を形成すると考えられる。
 だから、現象体は光でありつつ、闇であるが、闇は当然不可視である。
 そうならば、さらに問題はアストラル体(謂わば、感性体)をどう見るかが問題である。
 私はアストラル体を凹iとしたのである。闇である。
 しかし、光と闇の共振が氣=エーテル体なので、アストラル体(感性体)を闇凹iにするのは、不具合である。
 思うに、media pointの感性がアストラル体ではないだろうか。同一性と差異がせめぎ合う点、それがアストラル体ではないか。ならば、media pointにアストラル体を、あえて言えば、media pointの凹i寄りにある。
 もう少し整理すると、自己(個)ichが凸i/凹iであるとすると、/がアストラル体になるだろう。凹i⇒凸iに対して、凸i⇒凹iが生じる。この衝突がアストラル体のように思える。
 つまり、凸i⇒凹iの自我(物質的自己)のベクトルが入るのである。それで、不調和を起こすのであり、それが、アストラル体と考えられる。つまり、自己と自我の不調和である。
 しかし、シュタイナーはアストラル体は動物のもつ体であると述べている。
 ならば、凸i⇒凹iはないのである。だから、凹i/凸i が自己・個ではなく、アストラル体かもしれない。
 整理すると、自己・個とは凸i/凹i(凹i⇒凸i)且つ(即非)凹i/凸i(凸i⇒凹i)であり、アストラル体が凸i/凹i(凹i⇒凸i)であり、エーテル体が凸i共振凹i(MP1)であり、物質体が凸ということになる。
 これで一応は整合性は保ったが。




直観学で哲学と芸術は括れる。科学は直観を数学化した?直観学に哲学、芸術、数学、科学が入る


テーマ:manichaeism: 哲学


neomanichaeist resurrection

直観学から見ると、物質科学、近代科学は、同一性主義であ り、現実(差異)ではなく、同一性の虚構を土台にしている。疫学がその帰結である。それは、資本主義権力に都合がよく、利己主義となっている。物質科学、 近代科学を打倒せよ!直観科学、差異科学こそ、正しい。似非科学、御用科学を唾棄せよ!


neomanichaeist resurrection
@
直観学で哲学と芸術は括れる。科学は直観を数学化した?直観学に哲学、芸術、数学、科学が入る @neomanichaeist 直観性は両者一致する。直観を概念化するのか、形象化するのか。 @neomanichaeist 哲学と芸術の差異は至上に興味深い。深い芸術は認識をもつ。哲学的。

お気に入りに登録 返信 削除

»

neomanichaeist resurrection
@
直観性は両者一致する。直観を概念化するのか、形象化するのか。 @neomanichaeist 哲学と芸術の差異は至上に興味深い。深い芸術は認識をもつ。哲学的。だから、両者の共通点はある。ただし、芸術は感覚・魂・想像力をベースにする。哲学は概念を。@Michael_Ende_jp
9分前 お気に入りに登録 返信 削除

»

neomanichaeist resurrection
@
哲学と芸術の差異は至上に興味深い。深い芸術は認識をもつ。哲学的。だから、両者の共通点はある。ただし、芸術は感覚・魂・想像力をベースにする。哲学は概念を。 @Michael_Ende_jp 芸術の形式は、認識とは違うものです。哲学者は芸術家ではない。たとえ創造的な哲学者だとしても。




»

Michael_Ende_jp ミヒャエル・エンデ

(シュタイナーなどは、芸術家ということになりますね?という問いに対して)いいえ、芸術の形式は、認識とは違うものです。哲学者は芸術家ではない。たとえ創造的な哲学者だとしても。 『芸術と政治をめぐる対話』
43分前 お気に入りに登録 リツイート 返信

»

Michael_Ende_jp ミヒャエル・エンデ

シュタイナーの著作を読むときには、決して彼を現代の大学教 授のように思って読んではならない。そんなことをしたら、シュタイナーのことを絶対に理解できませんからね。彼自身、再三それを警告しています。しかし現 実には、やっぱり彼の願ったのとは反対のことが行われている。 『エンデと語る』
1時間前 お気に入りに登録 リツイート 返信

»

Michael_Ende_jp ミヒャエル・エンデ

認識の所作とは反対の所作が、芸術の所作ということになりま す。芸術家は認識するものではありません。芸術はいまここで、もっとも広い意味において、むしろエロス的な原理と関係しているのです。エロス的原理は認識 の原理ではない。受肉と現実化の原理なのです。 『闇の考古学』




自然数の差異(質)と同一性(量)


テーマ:mathematics


一見、自然数はみな量的に見える。しかし、実際、数を数える場合、それは、差異である個体(個)を数えるのである。差異1を1,差異2を2,・・・差異nをnと数えるのである。
 しかし、自然数は当然、量的でもある。2=1+1
である。つまり、自然数概念は差異と同一性を併存・共立、同時生起させていることになる。
 思うに、自然数はmedia pointで形成されるのである。そこでは、凸iの同一性と凹iの差異が共振しているのであるから。
 ところで、吉田武氏の『オイラーの贈物ー人類の至宝e^iπ=−1を学ぶー』は実に名著であろう。文章が生きているのである。文理融合である。


オイラーの贈物―人類の至宝eiπ=-1を学ぶ/吉田 武


¥1,890
Amazon.co.jp
オイラーの贈物―人類の至宝eiπ=-1を学ぶ (ちくま学芸文庫)/吉田 武


¥1,575
Amazon.co.jp
オイラーの贈物/吉田 武


¥3,150
Amazon.co.jp


5つ星のうち 5.0 『我々の至宝』かつ『すべての数学のなかでもっとも素晴らしい公式』とまで言われているものを文系だから知らなくいいとは到底思えない。今日までゆっくり取り組んでみた, 2011/11/27
By
voodootalk - レビューをすべて見る
(VINE メンバー) (トップ10レビュアー)
レビュー対象商品: オイラーの贈物―人類の至宝eiπ=-1を学ぶ (単行本)
新装版としては、2010年1月23日リリース。この本を手に取ったきっかけは、2011年7月27日放送の『クローズアップ現代 「大人がハマる"数学 ブーム"の謎」』で、数学を学び直すことがブームになっているという話題が非常に印象に残ったことだった。中学・高校で学んだ三角関数やら素数やらを再度 自身で鉛筆を持ちながら解き直す。この鉛筆を持ちながらの所を再度試みてみたくなった。

その中で取り上げられたのが『オイラーの贈物』 だ。レオンハルト・オイラーLeonhard Euler, 1707年4月15日 - 1783年9月18日)は数学者・物理学者であり、天文学者(天体物理学者)である。この人は視力障害があったらしく、フリードリヒ2世に『数学のサイク ロプス(単眼の巨人)』と讃えられた18世紀の歴史上最も多産な数学者と言われている人物である。この『オイラーの等式』に自力で挑戦する本である。

こ の『オイラーの等式』は、物理学者のリチャード・ファインマンにより『我々の至宝』かつ『すべての数学のなかでもっとも素晴らしい公式』と呼ばれている。 数学は高校二年生でストップしているので、ウン十年ぶりに数学をやるわけだ。この本を買って時間を費やすかを自問したところ、どうしてもやりたい。やりた くて仕方が無いと思っている自分に気がついた。

自分が理系だから法律・経済に疎くとていいというのはありえない間違いであるように、『我 々の至宝』かつ『すべての数学のなかでもっとも素晴らしい公式』とまで言われているものを文系だから知らなくいいとは到底思えない。挫折する気は毛頭な く、ゆっくりゆっくり並列読書法で読み解いて、この18世紀の偉大な数学者の思考に近づきたいと思い、今日までゆっくり取り組んでみた。

そして感じたこと。昔々の数学の知識が少しずつ蘇ってくる。積分とは不定形な面の面積を探すことだったか。

微分係数を求める=導関数に数値を代入
積分を求める=不定積分に数値を代入・・・・・結果は数値

関数を微分する=導関数を求める
関数を積分する=原始関数を求める・・・・互いに逆演算、結果は関数

最も面白かったのは、フィボナッチ数列パスカルの三角形と重なる、ということだった。

そ して日々考えている世界のマネーの動きにこの数式を当てはめてみた。頭の中にS lowの連続する棒グラフとS upの連続する棒グラフがy=xとして連なる。そして棒グラフの各々のピッチは極限を目指して狭まり、世界中を蠢くマネーの分母のように瞬く。その正しい 数値を導くべく推論すること、すなわちマネーを積分しているのだな、と気がつく。

数学だけでなく、様々なことを感じさせてくれる素晴らしい一冊だと思う。