multiple media pointと生命:多重差異共振

multiple media pointと生命:多重差異共振


テーマ:media point


気を差異共振様態と捉えているが、実際は、多元的差異共振様態と考えられる。ある差異共振と別の差異共振が差異共振するような多重差異共振様態と考えられる。差異共振の差異共振とはどう表記できるだろうか。
 これは当然media resonanceのことであるが、具体的に考えよう。
 例えば、「わたし」が森の木を見て、差異共振するとしよう。これまで、この事態は「わたし」を凸i、森の木を凹iとして、凸i*凹i⇒として、考えてきた。しかしこれは、不十分である。
 「わたし」は凸i1*凹i1であり、森の木は凸i2*凹i2であるから、

(凸i1*凹i1)*(凸i2*凹i2)⇒

ということになるだろう。言葉で比喩的に表現すると、「わたし」の「魂」と森の木の「魂」が共鳴するということである。この共鳴力学を明らかにしたいのである。
 以前このことを説明した際、森の木の「光」が「わたし」のmedia pointに進入すると述べた。つまり、「光」エネルギーが「わたし」のmedia point (魂)に進入して、それを活性化するのである。つまり、静態化していた「わたし」のmedia pointが「光」エネルギーで活性化して、差異共振活動態になるのである。
 これが、差異共振の差異共振である。(これは先に述べた食力学と類似する形態である。そう、あるいは生命発生現象の形態と類似する。)
 結局、活性化したエネルギー体が静態化しているエネルギー体に進入して、後者を活動態に変容させるということである。それは、後者のmedia pointの活動が前者のmedia pointを活性化させるということである。media pointは、差異共振エネルギーで揺り動かされて、自身振動するのである。 それは、物理学的には「電磁気」的な活動と言えるだろうが、ここでは、気の 活動と考えたい。
 以上は、森の木の「光」が「わたし」に進入した場合であるが、実は、「わたし」の目から森の木へと「光」が進入することも考えるべきである。つまり、相互的な活性化である。これが、いわゆる、交感というものだろう。アニミズムはここから合理的に説明できる。
 つまり、相互共振として、差異共振の差異共振があるのである。
 このことを敷延するならば、森羅万象は多元的に相互共振していると言えよう。ポリフォニーである。そして、相互共振的ベクトル・モードである。そして、また、ここには、フラクタルが形成されるのではないだろうか。
 今はここで留める。



検討問題:media resonanceの数式、他

テーマ:検討問題

1)例えば、人の魂と自然が共鳴する場合のmedia resonanceをどう表記するのか。人間のmedia pointと自然のmedia pointとの共振(media resonance)が生起するが、それは、(凸i1*凹i1)*(凸i2*凹i2)⇒凸と表記できるが、左辺は凸i3*凹i3と表記できるのではないだ ろうか。即ち、凸i3*凹i3はmedia resonanceにおける極性ではないだろうか。
 そうならば、凸i3*凹i3は新しい認識存在を意味しているのではないだろうか。人と自然との共振体ではないだろうか。

2)差異共振ないし即非であるが、それは、根源の凹を考えると、差異共振一性、即非一性と呼べるのではないだろうか。言い換えると、三位一体性である。凸iと凹iは即非体であるが、同時に、一である。
 とまれ、根源的一性があるだろう。イスラム教のタウヒード(一性)はそれを意味するのではないだろうか。また、唯一神もそうではないだろうか。
 
3)有機体と物質:以前述べたが、例えば、レモンの中のビタミンCと物質のビタミンCは異なる。この違いをどう説明するか。
 前者はmedia pointを介して、他の要素を共振していると考えられる。即ち、多元共振複合体におけるビタミンCである。
 しかるに、後者は多元共振複合体の背景のない単なる単一的な、一元的な共振的物質に過ぎないのではないだろうか。
 言い換えると、ここでも、前者において、media resonanceが作用しているのであり、後者にはそれが欠落しているということになるだろう。そう、multiple media resonanceがあるのである。

4)陽の極性が強いときは、物質作用が強いだろう。しかし、逆に陰の極性が強いと精神作用が強くなるだろう。
 思うに、現象化とは陽化であるが、陽化とは同時に陰化へのベクトルを強化するのではないだろうか。
 つまり、陽ベクトルと陰ベクトルがあるが、現象化は前者が主導化するが、同時に、潜在的に後者を蓄積しているのではないだろうか。作用と反作用というか、エネルギー保存則によって。

5)いったい現象化の意味とは何か。ひょっとして、思いつきだが、プラスのベクトル・モードとマイナスのベクトル・モードがあり、前者が物質化であり、後者が超越化ではないのか。後者は凹iが主導的なのではないだろうか。
 もしそうならば、森羅万象は同時に超越的回帰の方向性をもつだろう。例えば、樹木が「天」を目指すというのは、比喩的であるが、それは、超越化の陰画ではないのか。
 そう、反物質とはマイナスのベクトル・モードではないのか。それは、ほぼ超越界に存するので、物質界ではきわめて少ないであろう。というか、media pointで確認できるだけであろう。
 media pointの光がある。それは、差異共振の光であり、第三象限へと導くだろう。それは現象界の光とは異なる。いわば、不可視の光だろう。以前、超越光と呼んだものに相当しよう。
 現象光とは物質化して光のことではないだろうか。光子である。それに対して、media point lightは超光子的ではないだろうか。それは物質ではなく、精神の光である。