備忘録:母権的天皇文化と父権的「天皇制」の二つの日本

備忘録:母権的天皇文化と父権的「天皇制」の二つの日本


テーマ:日本伝統文化:神話・宗教祭礼・民俗・芸能


先にスロー人氏の記事に触れたが、今想起したのは、やはり、古代日本において、母権的社会と父権的社会の衝突があったというずいぶん以前に考えたことである。(追記:記紀は、その表現ということになる。)
 先に、母権的父権と言ったが、紛らわしいので、母権にする。結局、思うに、土着的母権とアジア的母権が古代日本で融合したことと、それに父権社会が侵入して、父権的「天皇制」を形成したことの、二点がキーポイントと考えられる。
 つまり、母権文化と父権文化の二重構造が日本社会にはあるということではないだろうか。もちろん、両者が混淆した点もあるが、基本的には、二元的であると思う。
 有り体に言えば、二種類の日本人がいるということである。そして、父権文化の人間が主に、権力をとってきたのが、日本史ではないだろうか。というか、明治近代以降、端的に、そうではないのかということである。これが狂信的「文化」であり、アジアにおける第二次世界大戦を起こしたし、また、今日、民主党に発現しているのではないだろうか。
 思うに、この父権文化という点で、日ユ同祖論は考えられよう。つまり、一神教的父権文化が日本に入り、父権的「天皇制」を形成したということになる。
 後で、丁寧に検討したい。


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尊王思想とは何か:父権的中央集権制が「天皇制」だと思う


テーマ:神道ルネサンス:気と東洋文明 尊王思想からの脱皮


ところで、乙巳の変(645年)は皇極天皇の皇子・中大兄皇子(後の天智天皇)が中臣鎌足(臨終の際に、天智天皇から藤原姓を賜る)と謀って、蘇我入鹿を暗殺して(6月14日)、蘇我一族を権力の座から追い落とし、19日に元号を大化に改め、そして翌年(646年)、大化の改新と呼ばれている中国にならって律令制を敷くという政治改革を行ったと言われる。


 この時をもって、この藤原一族がいわゆる後に天皇制と呼ばれる日本独特の政治システムを基礎づけたと言われる。
http://ameblo.jp/adco/entry-10776888002.html
スロー人ロハス-自由と資本主義と礼節


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●それで、この「謎の4世紀」論争に波紋を投げかけ続けているのは、東京大学名誉教授の江上波夫氏である。彼は前期の古墳文化と中・後期の古墳文化とが根本的に異質であるということを挙げ、1948年に以下のような仮説を主張したのである。一般に彼の仮説は「騎馬民族征服王朝説」と呼ばれている。

「中・後期古墳文化が王侯貴族的・騎馬民族的文化であり、その広がりが武力による日本征服を暗示している。またその文化の濃厚な分布地域は軍事的要衝に多い。4世紀ごろ、古代日本に大陸の騎馬民族が大挙に侵入して、邪馬台国をはじめとする倭の国々は征服された。この征服王朝こそ大和朝廷である。」


●彼の仮説が翌年の1949年の機関誌『民族学研究』に掲載されるや、日本中に一大センセーションが巻き起こり、当然のこと、学会から総攻撃を受けた。

ある人が「騎馬文化は来たが、騎馬民族は来なかったんではないか」というと、江上氏は「文化は人とともにやってくるものである」と反論した。

もっとも、天皇家のルーツを大陸に求めること自体、戦前では「不敬罪」に値し、まだこの時期は終戦直後のことであり、皇国史観が根強く残っている時期でもあったので、非難ゴーゴーだったのは、当然といえば当然か。

しかし、時間とともに彼の仮説を補強する材料が多々発見されており、現在も根強い人気を誇っている。


●普通、彼の仮説を初めて耳にする人は、古代の日本には、国々を征服するほどの馬はいなかったんではないかと思いがちであるが、群馬県子持村の「白北中道遺跡」などから無数の馬の足跡が発見され、予想を上回る馬がいたことが証明されている。その後も馬具の発見が相次ぎ、数年前に話題になった奈良県の「藤の木古墳」からも北方騎馬民族の文化と共通する馬具が発見されている。

最近では、朝鮮半島南部の「伽耶(かや)諸国」の遺跡から、次々と馬具が発見され、注目を浴びているが、何よりも関係者を驚かしているのは、これらと全く同じものが日本からも出土されているという点であろう。(和歌山県の「馬面冑」など)

この伽耶諸国の発掘は、江上氏の騎馬民族説の“ミッシングリンク”ともいえる場所だっただけに、一度は葬られかけた江上氏の騎馬民族説が、恐ろしく現実味を帯びて浮上してきたといえよう。

http://inri.client.jp/hexagon/floorA3F_hb/a3fhb202.html

日本史における「謎の4世紀」とは?


「日ユ同祖論」の謎