ミッシング・リンク発見!?:扶余とケルト民族:神獣の鹿とケルヌン

ミッシング・リンク発見!?:扶余とケルト民族:神獣の鹿とケルヌンノス


テーマ:神話・神秘・民俗・霊性ケルト、輪廻転生


先に、HEX氏は扶余民族の神獣は鹿であると述べていた。そこで、ふと気づいたのは、ケルト神話の神獣として、ケルヌンノスが鹿であることを想起したのである。
 私は日本神話(とりわけ、折口信夫の古代宗教論)とケルト神話が酷似していることを唱えてきたが、その接点が見えない状態であったのである。
 しかし、扶余を置くことで、見事に、日本民族ケルト民族はつながる可能性が出てきたのである。
 そして、扶余文化とは、女神・母権文化であり、多神教であり、自然崇拝であるということになる。
 結局、縄文・弥生文化は扶余文化と結合したと考えられる。
 すると、問題は、やはり、天孫降臨民族である。それは、思うに、インド・ヨーロッパ語族的父権民族と失われたイスラエル十支族の混淆した民族ではないだろうか。ならば、それは、何か。

参照:
日本国の成立について:ツングース系民族、先住民族イスラエル十支…


扶余は満州に居た民族で、度々分裂し朝鮮半島に南下した
扶余は高句麗新羅百済の祖であり、ふよ=プヨは、「鹿」を意味し、鹿を神獣とする民族であった

http://ameblo.jp/renshi/entry-10733334257.html



ケルヌンノス
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パリ の「船乗りの柱」のケルヌンノス
ケルヌンノス(Cernunnos または Kernunnos)は、ケルト神話 の狩猟 の神 にして冥府神。獣王・動物王であったと推定されている。また、多産と豊作 に関係があったと考えられている。
概要 [編集 ]
ケルヌンノスという名称はパリ で出土した「船乗りの柱」に見られる(ただし不完全で、冒頭の1文字が欠けている)。彼の姿は、デンマーク で発見され、紀元前1世紀 まで遡るとされる銀製のグンデストルップの大釜 (Gundestrup Cauldron)にも描かれている。ここでは、彼は胡坐をかいており、頭 に二本の角 、手 には山羊 (もしくは雄羊 )頭 の蛇 (クロウ・クルワッハ )を持っている。これは角のある神 としての一般的な描写である。地母神 を妻 としたが、この女神 は後に破壊神 エスス についた。
起源 [編集 ]
碑文や絵画、像といった考古学的資料によると、ケルヌンノスガリア 、北イタリア (Gallia Cisalpina)、ブリテンの南の沿岸地方で崇拝されていた。イタリア のヴァル・カモニカ (Val Camonica)で発見されたものが最古の描写と思われ、これは紀元前4世紀 のものである。もっとも有名なものはデンマーク で見つかったグンデストルップの大釜(Gundestrup Cauldron)で、これは紀元前1世紀 のものである。この神の名前はパリ の「船乗りの柱」から知られる。この奉献碑は現在パリ の国立中世博物館(Musée Nationale du Moyen Age)に展示されている。ガリア人 の水夫 達が1世紀 の初めに作ったもので、碑文 (CIL XIII number 03026)からみておそらく紀元14年 、ティベリウス 皇帝の即位の際のものであろう。これが発見されたのは1710年 のことで、ノートルダム寺院 の基礎 からであった。この場所はルテティア (パリの古代ローマ時代 の名前)、ケルトのパリシイ族 の「市民的な」(civitas)首都であった。そこにはケルヌンノス初め各種ケルトの神々がユピテル 、ウルカヌス 、カストルポルックス といったローマ神話 の神々と並んで描かれている。
この神の名前を書いた出土品としては「船乗りの柱」が最も古いものだが、他にも二つの同様な碑文が見つかっている。一つは Treveri の勢力圏であった Seinsel-Rëlent (ルクセンブルク )で発見された金属の飾り板である。この碑文からは "Deo Ceruninco" (神ケルニンコスに)という文字が読み取れる(AE 1987 , 0772)。もう一つは Montagnac (Hérault, Languedoc-Roussilion, France)で発見された Gaul の碑文で、ギリシア語 で "αλλετ[ει]υος καρνονου αλ[ι]σο[ντ]εας" とカルノノスの名が記されている。
語源 [編集 ]
「船乗りの柱」の碑文は [_]ernunnos となっており、いつかの時点で名前の最初の文字が欠落している。しかし、この名前を "Cernunnos" と復元するのに問題点はない。というのは、名前の下に枝角を持った神の絵があるからで、ガリア語 の carnon, cernon は「枝角」、「角」を意味している(Delmarre, 1987 pp. 106 - 107)。同様に、古いアイルランド語 では cern は「角」、 "bumb, boss" を意味し、ウェールズ語 やブレトン語 の類似単語 carn とも語源的に関連している。これらは原インド・ヨーロッパ語 の *krno- からきたものである。ラテン語 の cornu 、ゲルマン語 の *hurnaz (英語 の "horn" の元)も同じ語源 である(Nussbaum 1986 ; Porkorny 1959 pp.574 - 576)。 Carnutes 、Carni、Carnonacae といった部族名、進軍ラッパの carnyx にも同一のガリア語の語源が見いだされる。そこでこの神名素の原ケルト語 形は *Kerno-on-os ないし *Karno-on-os と再構成できる。どちらも「角のある男性的な(霊)」という意味である。 -on- という部分は非常に多いわけではないがしばしば神名素に現れる。例えば、マポノス(Map-on-os )、エポナ (Ep-on-a)、マトロナエ(Matr-on-a )、シローナ(Sir-on-a )のように。
受け入れられているケルト語 の音韻規則 に従えば、この原ケルト神名素の Romano-British 形は *Cernonos か *Carnonos であったと思われる。いずれもガリア語の Cernunnos と極めて似ている。
図像 [編集 ]


ランス のガリア人 の祭壇 。左からアポロンケルヌンノス、メルクリウス 。
ケルヌンノスの描かれ方はケルト圏を通じ極めて一貫している。もっともわかりやすい特徴は牡鹿 の角であり、通常長髪で髭をたくわえた成人男性の姿で、ケルトで高貴のしるしである豪華な装飾を施された首輪、トルク を身に付けている。硬貨で一杯の財布を持つのと同様に、しばしば他のトルクを腕や角にぶら下げているものもある。通常、足を組んで座る姿で描かれ、その姿勢は瞑想 しているともシャーマン の呪術 を行なう姿ともいわれているが、実際はケルト人が狩猟のときにしゃがむという事実を反映しているに過ぎないのかもしれない。
ケルヌンノスはほとんど常に動物、特に牡鹿と共に描かれる。しばしばこの神特有の動物であり第一の眷属と考えられる牡羊の角をもった蛇と共に描かれるが、蛇自体も神であったかもしれない。また、これらほど頻繁ではないものの牡牛 1、犬 やドブネズミ な どの獣が傍らに描かれることもある。動物と共に描かれることが多いことから、研究者はケルヌンノスを「百獣の神」ないし「野生の神」と呼ぶことがある。特 に牡鹿と共に描かれ、これが主要な獲物であったことから「狩猟の神」と呼ばれることもある。興味深いことに「船乗りの柱」はケルヌンノスを水夫や貿易と結 びつけるが、古代にはドゥロコルトルムというレミ族 の城市 だったフランス 、シャンパーニュ地方 のマルヌ県 から出土したケルヌンノスの硬貨入れや、トレウェリ族 の居住地内にあったルクセンブルク の Niedercorn-Turbelslach から出土した硬貨を吐き出す鹿などから彼と物質的な豊かさとの関連が伺える。また、この神は森に住む鹿の繁殖力の象徴であったかもしれない。
1. ランス で見られる例。
中世の痕跡 [編集 ]
この神の痕跡はキリスト教時代にまでたどることができる。ウェールズアイルランド 双方の文学的伝統の中で、この神を仄めかす記述を見つけることができる。ブリタニーでは伝説の聖者、カルナック (Carnac)のコーネリ (Korneli または Cornély)にケルヌンノスの属性がある。イギリス の民間伝承 にみられる狩人ハーン(Herne the Hunter )もケルヌンノスの暗示 であると示唆する説もあるが、ハーンはウィリアム・シェイクスピア の劇『ウインザーの陽気な女房達 』第4幕第4場で初めて言及されるサクソン人 の生き残りであることから、この説は疑わしい。
復興異教主義 [編集 ]
ウィッカ に代表される現代の復興異教主義 運動(Neo-Paganism)では、角のある神に対する崇拝 が復活した。信奉者はケルヌンノス一般的に生命と豊穣と死のサイクルを追っている。この神の死は現在、通常 Samhain 、すなわち10月31日 に行われるケルトの新年の祭の日に設定されている。
歴史的なケルヌンノスと復興異教主義のそれとの大きな違いは、後者が男根 的象徴の傾向を持っていることである(ただし、この特徴はヴァル・カモニカ の図像に見られる)。パン との混淆や、 サバト の悪魔レオナール 等の描写から来ているのだろう。
参考文献 [編集 ]
• Corpus Inscriptionum Latinarum (CIL) volume 13, number 03026
• Delmarre, Xavier (2003) Dictionnarie de la langue gauloise (2nd ed.) Paris: Editions Errance. ISBN 2-87772-237-6
• Lejeune, Michel (1995) Receuil des Inscriptions Gauloise (RIG) volume 1, Textes gallo-grecs. Paris: Editions du CNRS
• Nussbaum, Alan J. (1986) Head and Horn in Indo-European, Berlin, New York: Walter de Gruyter. ISBN 3110104490
• Porkorny, Julius (1959) Indogermanisches etymologisches Wörterbuch Berlin: Franke Verlag
関連項目 [編集 ]
• Horned God
• ヴェレス , ペルーン
外部リンク [編集 ]

ウィキメディア・コモンズ には、ケルヌンノス に関連するマルチメディアがあります。
• Gundestrup Cauldron(英語サイト)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%83%8C%E3%83%B3%E3%83%8E%E3%82%B9 」より作成
カテゴリ : ケルト神話の神 | 狩猟神 | 死神


母権的天孫降臨民族?:二つの母権主義:旧母権と新母権の統合
テーマ:日本伝統文化:神話・宗教祭礼・民俗・芸能
以下のKaisetsu氏の倭人考察から考えると、天孫とは、母権的民族であり、それは、扶余/ケルト民族の可能性が高くなった。
 考えてみれば、天孫降臨は、天照大神が支配するのであり、それは、母権主義である。
 では、記紀等の日本神話の意味は何かということになる。私見では、この問題は、歴史学、神話学、文化人類学、文化史学等が、まったく答えていないものである。
 直観では、二つの母権主義があるのである。一つは、旧態の母権主義であり、停滞的である。もう一つは、父権主義に影響されて、覚醒した母権主義である。つまり、Media Point的母権主義である。
 扶余/ケルト民族的な母権主義は、後者であったと思う。即ち、古代日本において、扶余/ケルト民族が、停滞した母権主義を新生させたと推測される。
 つまり、二つの母権主義が古代日本を形成したのである。当然、ここには、父権的志向があるのであるが、基本は母権主義である。
 正に、Media Point的均衡が生まれたと思う。

追記:日本における、失われたイスラエル十支族の影とは、正に、新母権における父権的要素ではないだろうか。
 そうすると、扶余/ケルト民族とは、既に、原トランス・モダン民族・文化ということになる。

追記2:HEX氏のいうシュメール神話の太陽神アンであるが、それは、ケルト神話のトゥアッハ・デ・ダナンに似る。
 どうも母権的であるが、勇武の精神をもったいた民族が古代に存していたのではないだろうか。思うに、アマゾネスはその名残ではないだろうか。
 そう、母権的でありながら、父権民族の影響下において、勇武が賦活された民族ということである。いわば、母権的父権的民族である。
倭人の本来の漢字は「娲人」であり、天孫である意味である。 | 『海舌』 the Sea Tongue @ Kaisetsu with Archaic smile
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kaisetsu
『海舌』 the Sea Tongue @ Kaisetsu with Archaic smile

参照:

古社と社紋、ミトラ・バール信仰の考察
古社と社紋、ミトラ・バール信仰の考察
テーマ:ブログ
(シ)ュメールは人類最古の(高度)文明といわれる。(B.C.8000〜B.C2000頃)

シュメール神話の太陽神アンは、16弁菊花紋を象徴とし、天皇家と同じである
アンの子、エン・リルは、牛の角を持つ世界を統べる神であり、太陽神にして大気神であった
大気神とは風の神であり、力の象徴にして、軍神である
エンリルが元となってミトラ多神教のミトラ神(牛の角を持つ)が生まれ、オリエント中に広まり、やがて世界中に伝播する

ミトラ神を主神とするミトラ多神教は、B.C.1550頃ミタンニ王国(メディア帝国)で成立し、やがてペルシア帝国の守り神、ミスラ(アスラ)となる。

ミトラとその兄弟インドラ、ヴァルナなどはアフラ(アスラ)と呼ばれる神族。
ミトラ≒アフラマズダはインドの悪神アスラ(アシュラ・阿修羅)になり、インドラが転化して帝釈天に、(インドラの性格を元にシヴァ神を創造)、ヴァルナ神は天空神にして司法神となる。

インドにおいて、仏陀〔釈迦)はヴァルナの生まれ変わりとされ、寺院には多数その意味の絵画・壁画がある
仏教は、ヒンズー教の内数とされ、いわば一宗派、ヒンズー系新興宗教の扱いである
その為、戦後の独立時、国の宗教をヒンズーと定めた時、仏教徒は、追われる事がなかった。

http://ameblo.jp/hex-6/entry-10734584745.html
HEXのブログ

ケルヌンノス仏陀
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Cernunnos
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The "Cernunnos" type antlered figure on the Gundestrup Cauldron .
Cernunnos is the conventional name given in Celtic studies to depictions of the horned god of Celtic polytheism . The name itself is only attested once, on the 1st-century Pillar of the Boatmen , but depictions of a horned or antlered figure, often seated in a "Buddha position " and often associated with animals and holding or wearing torcs , are known from other instances.
Nothing is known about the god from literary sources, and details about his name, his cult or his significance in Celtic religion are unknown. Speculative interpretations identify him as a god of nature or fertility.[1]

Name


Cernunnos on the Pillar of the Boatmen
The theonym [C]ernunnos appears on the Pillar of the Boatmen , a Gallo-Roman monument dating to the early 1st century CE, to label a god depicted with stag's antlers in their early stage of annual growth.[2] Both antlers have torcs hanging from them.[3]
The name has been compared to a divine epithet Carnonos in a Celtic inscription written in Greek characters at Montagnac , Hérault (as καρνονου, karnonou, in the dative case ).[4] A Gallo-Latin adjective carnuātus, "horned," is also found.[5]
The Proto-Celtic form of the theonym is reconstructed as either *Cerno-on-os[dubious – discuss ] or *Carno-on-os. The augmentative -on- is characteristic of theonyms, as in Maponos , Epona , Matronae , and Sirona .[6] Cern un nos, Cern=horn, "un nos", Welsh "one night". Cernunnos=Horn one night. He was celebrated on one night, December 21. Maier (2010) states that the etymology of Cernunnos is unknown, as the Celtic word for "horn" has an a (as in Carnonos).[3]
Gaulish karnon "horn" is cognate with Latin cornu and Germanic *hurnaz, English horn , ultimately from Proto-Indo-European *k̑r̥no- .[7] The etymon karn- "horn" appears in both Gaulish and Galatian branches of Continental Celtic . Hesychius of Alexandria glosses the Galatian word karnon (κάρνον) as "Gallic trumpet", that is, the Celtic military horn listed as the carnyx (κάρνυξ) by Eustathius of Thessalonica , who notes the instrument's animal-shaped bell.[8] The root also appears in the names of Celtic polities , most prominent among them the Carnutes , meaning something like "the Horned Ones,"[9] and in several personal names found in inscriptions.[10]
[edit ] Epigraphic evidence
The name Cernunnos occurs only on the "Pillar of the Boatmen " (Pilier des nautes),[11] now displayed in the Musée National du Moyen Age in Paris . Constructed by Gaulish sailors probably in 14 CE,[12] it was discovered in 1710 within the foundations of the cathedral of Notre-Dame de Paris , site of ancient Lutetia , the civitas capital of the Celtic Parisii . The distinctive stone pillar is an important monument of Gallo-Roman religion . Its low reliefs depict and label by name several Roman deities such as Jupiter , Vulcan , and Castor and Pollux , along with Gallic deities such as Esus , Smertrios , and Tarvos Trigaranus . The name Cernunnos can be read clearly on 18th century drawings of the inscriptions, but the initial letter has been obscured since, so that today only a reading [_]ernunnos can be verified[13]
Additional evidence is given by two identical inscriptions on metal plaques from Steinsel-Rëlent in Luxembourg , in the territory of the Celtic Treveri . These inscriptions[14] read Deo Ceruninco, "to the God Cerunincos", assumed to be the same deity.[citation needed ] The Gaulish inscription from Montagnac[15] reads αλλετ[ει]υος καρνονου αλ[ι]σο[ντ]εας (alleteiuos karnonou alisonteas), with the last word possibly a place name based on alisia, "service-tree " or "rock" (compare Alesia , Gaulish Alisiia).[16]

・・・・・
Retrieved from "http://en.wikipedia.org/wiki/Cernunnos "
Categories : Ancient Gaulish and British gods | Hunting gods | Nature gods | Animal gods | Horned deities


参照:
それではと、最初の説法を鹿野苑(ろくやおん)(現在のサルナート)で行うことにな
りました。それというのも、仏陀と苦行していた仲間なら仏陀の教えを理解するであ
ろうと考え仲間が住まいとするサルナートを訪れたのです。ただ、仏陀が苦行を止め、
しかもスジャーターから乳粥を布施されたのを見て苦行に励んでいた仲間の五人は、
苦行からの脱落だと非難して太子と袂を分けたのでありますから、もし、堕落した仏
陀が訪ねてきても適当にあしらおうと相談して決めておりました。がしかし、仏陀
現れるとその威厳ある姿に見とれてしまい崇敬の念をもって仏陀の説法を聴聞するこ
ととなったのです。
 鹿野苑とは名の通り鹿の群れからの命名でしょうが奈良公園に比べると頭数が少な
く見つけるのが大変という状況でした。

   東大寺南大門前の鹿
      鹿野苑の鹿
鹿は野生ですから鹿野苑では人間に危害を
加えないよう金網で人間と鹿が接触しな
いようになっております。ところが、奈良の鹿は
よく馴らされていて人間と鹿が共存
するという世界的にも珍しいケースです。

      仏陀の説法を聴聞するため鹿野苑に集まった鹿たち。


        初 転 法 輪 
     初 転 法 輪
説法のことを転法輪と言い転法輪とは字の通り
法輪(ダルマ・チャクラ)をまわすこ
とが説法するということです。その最初の説法を
初転法輪といいます。サルナートは
最初に説法を行ったので初転法輪の地として
知られており釈迦の四大聖地の一つに挙
げられています。一般的に初転法輪を表すには
台座に法輪と2頭の鹿が描かれていま
す。
 右図は降魔印のようですが2匹の鹿が蹲って
おりますのでサルナートでの初転法輪
を表現したものです。今まさに、法輪を転がして
初転法輪を行おうとするところであ
りましょう。
http://www.eonet.ne.jp/~kotonara/y%20bunkatu-2.htm

仏陀の生涯ー2


鹿野苑の原名サールナートは、『サーランガ・ナータ(鹿の王)』の転訛だと言います。 その伝承を7世紀の玄奘は、『大唐西域記』に記しています。
鹿野苑に棲んでいた鹿の群れは、狩りを好む国王のために、いつも多くの犠牲を出していました。 それを悲しんだ鹿の王は毎日一頭ずつ順番を決めて差し出すことで、無用の殺生をとどめたいと、国王と誓約をかわします。
ある時、白羽の矢を受けた鹿が仔を身ごもっていて、自分の身は惜しまないが、腹の仔は不憫だと悲しむ。 そのことを聴いた鹿の王は、その母親の身替りになりました。 それを知った国王は、心に深く恥じて、以後、鹿をとることを止めることとなります。 それが鹿の楽園となった鹿野苑の由来でありました。
http://www.geocities.jp/princegifu/kaisetu8.htm

サールナート鹿野苑・ろくやおん)