近代的二元論の他者否定性:+i=意識的思考(光)と-i=無意識的思考

近代的二元論の他者否定性:+i=意識的思考(光)と-i=無意識的思考(影)


テーマ:差異と同一性:身体論


既述済みであるが、再確認したい。
 +iは言語的思想をするので、+1と結びつくのである。しかしながら、同時に、Media Pointにおいて、-iと即非共振している。つまり、同一性論理と即非論理の間に+iは存するのである。
 しかしながら、近代主義、近代合理主義、近代的自我は、同一性論理を肯定して、即非論理を否定するので、-iとMedia Pointが否定・抑圧・排除されるのである。
 同一性論理の肯定とは、やはり、男性、父権主義において、+iの優位(左脳優位?)があるために、-iを劣位とすることに基因があると考えられる。言い換えると、同一性論理と即非論理が生起するものの、言語に傾斜した+iは同一性論理に結びつくということである。
 とは言え、-iは言語的思考をしないのかという問題があるだろう。これまでの考察から見ると、-iは言語的思考をするのである。だから、正確に言う必要がある。+iは意識的思考をするのである。光の思考である。それに対して、-iは無意識的思考、影の思考をするのである。
 だから、+iに傾斜した思考とは、意識的思考ということであり、それは、-iの無意識的思考を排除するのである。そして、意識的思考は他者を排除するので、自己同一性(自我)となるのであり、それが、+1と結びついて、近代合理主義を形成するのである。
 だから、+i傾斜がルシファーであり、連続主義であり、それが、+1のアーリマン(アンラ・マンユ)と結合して、連続的同一性主義の唯物論を形成すると考えられる。
 イタリア・ルネサンスはMedia Pointの開花であったが、西洋文明という父権主義のコンテクストにあるので、連続的同一性主義の抑圧を被ったと言えよう。つまり、近代西洋とは、差異と同一性の混淆・混濁・混合の二重性があるのであり、それが、ポスト・モダンまで続いたと言えよう。
 日本においては、封建的同一性主義の抑圧が強いので、Media Pointが十分に開花していない欠点があるのあり、これが、今日の衰退・崩壊を生んでいると考えられる。第二維新が必要である。
 因みに、鳩山首相は-iの無意識的思考=差異・他者性がまったく欠落して、+i=+1という同一性の無限回転回路(ルーピー回路)状態なのである。

追記:これも既述済みの事項であるが、+i傾斜の意識的同一性思考、即ち、近代同一性的思考(近代合理主義)は、-i並びにMedia Pointを抑圧するので、エネルギーを枯渇するのであり、うつ病、その他の精神病理現象を引き起こすと考えられる。