PS理論からシュタイナーの霊/魂/身体の三元論を脱構築する:精神の

PS理論からシュタイナーの霊/魂/身体の三元論を脱構築する:精神のメディア変換


テーマ:新霊性聖霊、気、地霊、性霊


ルドルフ・シュタイナーは、霊と魂と身体(感覚)の認識的三元論を強調している。
 わたしは魂をほぼ精神と同義にとっているが、それは、シュタイナーの「霊」に相当しよう。だから、シュタイナーの「霊」を精神と理解するのが明快である。結局、der Geistの問題である。
 直感で考えたい。Media Pointが魂である。そこには、精神エネルギーが作用する。そして、物質化が帰結する(⇒+1)。Media Point=魂に作用している精神的エネルギーであるが、それは、対の虚数(+iと-i)の共鳴に拠って生起するのである。(それは、電磁波と考えていいだろう。ただし、Z軸の情報の質によって、様態が質的に異なる。)
 この精神的エネルギーは、身体(物質)に対しては「気」(=エーテル体)となり作用すると考えられる。つまり、⇒+1の⇒が「気」(=エーテル体)である。
 しかしながら、精神的エネルギー=「気」ではない。精神的エネルギー⇒「気」⇒身体(物質)の変容・変換があると考えられる。
 この変換力学はMedia Pointにおいて、虚軸点における精神的エネルギーが実軸点における「気」に変換するということで説明できるだろう。ここでは、理念的な下降、位階的下降があるのである。これをMediaTransformation(Metamorphosis or Conversion)、Media 変換(転換)、ないしはメディア変換(転換)と呼ぼう。
 このメディア変換は既述したように即非的であり、不連続な転換である。また、⇒の不可逆性も確認すべき点である。
 とまれ、メディア変換を簡単に図式化すれば、


メディア変換:(精神⇒気)⇒物質


である。(精神⇒気)がMedia Pointにおけるメディア変換である。(こう考えると、電磁波は微妙になる。電磁波は気ではないのかという感じがある。これは検討課題にする。)
 以上のように考えると、シュタイナーの「霊」とは、Z軸の精神情報と精神的エネルギーと気であると考えられる。だから、Media Pointの様態であると言えよう。
 では、シュタイナーの「魂」とは何か。それは、感情や欲求や意志を意味しているのであるが、それは、PS理論では、Media Pointの虚軸点と実軸点が連続化されたときに生起する連続的精神的エネルギー様態ではないだろうか。言い換えると、虚軸の超越性が否定された連続的エネルギーの様態である。いわば、近代的主観的内面的エネルギー様態である。
 そう見ると、シュタイナーの「魂」とは決して、純粋なものではなく、混濁したものだと思われる。
 結局、要点は不連続性や即非性なのである。Media Pointとは、不連続点であり、即非点なのである。しかしながら、シュタイナーの「魂」は連続点なのである。これは、ポスト・モダンの連続的差異の思想と共通すると言えよう。
 また、シュタイナーの「霊」は自我とアストラル体エーテル体から成るが、思うに、シュタイナーの自我も連続的である。PS理論から言うと、自己にしないといけないのである。ないしは自己精神である。
 結局、整理すると、「霊」は自己精神と差異共振情感と気によって構成されていると言えよう。
 思うに、「霊」というよりは、精神と言う方が明晰である。あるいは、超越的精神である。

追記:電磁波問題であるが、上述から見ると、電磁波は気(=エーテル体)と一致するように思える。しかし、問題は、精神的エネルギーと電磁波の関係である。
 精神的エネルギーはその情報をもって電磁波へ変換されると考えられる。だから、結果的には、精神的エネルギーと電磁波は類似するのである。
 しかしながら、厳密に見ると、精神的エネルギーは高次のエネルギーであり、電磁波は低次のエネルギーである。
 また、見方を変えると、精神的エネルギーと気を含めて電磁波と見ることができよう。つまり、Media Pointのエネルギー全体としての電磁波である。そこには、超越的情報が含まれるのである。
 以前述べたように、今日の電磁波の考え方は唯物論に制約されていて、虚軸=超越性を無視しているのである。しかし、虚軸=超越性を含めた電磁波を考えることができるのである。例えば、聖霊的電磁波、天使的電磁波、悪魔的電磁波、妖精的電磁波、等々、考えることができるのである。