メディア界の構造について:イデア界とメディア界の境界について:イ

メディア界の構造について:イデア界とメディア界の境界について:イデアルネサンスへ向けて

どうも混乱しているようなので、整理したい。

不連続的差異論の基本構成:
イデア界//メディア界//現象界

メディア界

d1〜d2〜d3〜・・・〜dn (dkは差異)

〜はメディア界の力・強度である。それは、イデア界の力が変容したものである。
問題は、差異共存志向性と差異連続・同一性志向性という対極をもつ力の形成である。
イデア界の力は虚数の力であるから、虚力と呼べる。
メディア界の力は、一種虚構力(仮構力・仮想力・想像力・創造力等)である。
現象界の力は、物質力・エネルギーである。
問題は、差異共存志向性の力とメディア界の虚構力との関係である。
直観では、どうも両者異なると考えた方がいいのではないだろうか。先に、メディア界の力で、差異共存志向性を説明しようとして、混乱してしまった。
差異共存志向性とは、イデア界の力と考えるべきではないのか。
つまり、問題は、イデア界とメディア界の境界の問題である。思うに、この境界において、差異共存志向性が作用するだろう。つまり、この境界において、差異は、虚力と虚構力の両義性をもつのであり、虚力において、差異共存志向性の力をもつと考えるべきではないか。そして、同時に、メディア界の力(メディア力)・虚構力をもつのである。メディア力とは、連結力である。即ち、イデア界とメディア界の境界(イデア/メディア境界)において、イデア力である差異共存志向性とメディア力である差異連結力の両義性が生起しているということである。
 さて、ここで、いわゆるコスモスという観念・感覚的観念であるが、それは、この境界の両義性から生じる観念(概念)ではないか。宗教観念や神秘主義はここが発生源ではないか。そして、また、ここが、不連続性と連続性との混同が起こる発生源でもあろう。20世紀後半のすぐれた哲学者であったジル・ドゥルーズは、この混同に陥っていたが、この境界で哲学していたのだろう。因みに、この境界を超えて、イデア界において哲学したのは、ニーチェフッサールであると私は考えている。また、作家のD.H.ロレンスや『死者の書』の折口信夫イデア界にほとんど越境したと考えられる。
 ということで、差異共存志向性と差異連結力を分離することができた。これまで、私はこれらをメディア界領域において考えてきたが、それは誤りであったこととなる。フッサールの志向性であるが、それは、イデア界の力・虚力である。超越論的現象学とは、イデア界の理論である。イデア界からフッサールは、現象を捉えていたのである。生活世界とは、イデア界的な生活ということになるだろうし、それは、理念的な生活、いわば理想的な生活である。しかし、資本主義はそこに向かうだろう。
 とまれ、そうすると、現象学的還元、判断停止(エポケー)とは、メディア界も超えることになるだろう。ならば、自然的態度とは、メディア界/現象界のことだろう。メディア界的な現象界のことだろう。こう考えると、たとえば、先の倒錯的衆院選挙の説明ができるだろう。多数の国民は、メディア界的現象界的思考をしているのであり、首相のパフォーマンスというメディア界的現象に牽引されたのである。一体化したのである。また、さらに、日本人の有り様もメディア界/現象界的存在様態として説明できるだろう。つまり、日本人は、イデア界を喪失しているのである。西欧ないし欧米には、イデア界が存しているだろう。個人主義、コギトは、イデア界的であろう。民主主義も本来イデア界が起源であろう。そう、西欧文化西洋文化は、イデア界に起源があると考えなくてはならない。そして、西欧近代は、これを意識においてこれを喪失したのであるが、無意識においては、それは存在しているのである。日本人はどうしてイデア界を喪失したのだろうか。(そう、イタリア・ルネサンスイデア界・差異の新たな発動である。また、プロテスタンティズム宗教改革は、イデア界への反動であるが、根本においては、イデア界が発動しているのである。)日本人にとってのイデア界とは伝統的に何であったのか。明治維新とは、イデア界から発していると思う。しかし、近代日本のイデア界がどこかで喪失したのである。三島由紀夫が言った断絃の時とは、このイデア界喪失を指しているだろう。ハイデガー存在忘却と言ったが、イデア界喪失があるのである、とりわけ日本において。(ところで、物理学や生命科学は、今や、イデア界を探求しているだろう。)その原因はどこにあるのだろうか。私の直観では、70年代後半にある。日本の現代文学が衰退したのも、この頃であろう。経済的には、アメリカ経済に組み込まれた時期ではないか。しかし、本当は、戦後日本であろう。アメリカに屈服した日本である。敗北した日本である。ここで、日本人のイデア界が喪失したのではないか。ここで、イデア界に起源がある個が、日本人から喪失したのではないか。文化侵略されたのである。折口信夫が新神道論を立てたが、完全に無視された。(神道が必要と私は言いたいのではなくて、問題は、イデア界の作用の問題である。)そう、敗戦が、日本人から魂=イデア界を喪失させたのではないか。そして、三島由紀夫の自害は、その反動である。戦前の天皇制は当然、問題であるが、しかし、日本人の魂=イデア界とリンクしていたと思う。敗戦/戦後において、魂=イデア界が喪失されたと思う。そして、折口信夫は、戦前天皇制が終焉して、神道の復活の好機と考えた。それは、結局、日本人の魂=イデア界の発展を意図したと言えるのではないか。しかし、実際は、アメリカ政治・経済に組み込まれたのである。戦後の近代主義が入るがそれは、皮相な合理主義であった。デカルト的な合理主義ではない。(もっとも、全面的に戦後を否定しているのではない。長所もある。ある意味で、合理主義が進展したことは認めなくてはならない。)
 思うに、明治維新でもそうであったが、日本人の二項対立性が作用しているだろう。尊王攘夷、戦後の戦前否定、郵政民営化選挙。二項対立とは、ヒエラルキー思考である。優劣思考である。封建的思考である。明治維新にしろ、本来、これの否定である。これはいったい何か。屈服した民の思想ではないか。隷属した民の思想ではないか。奴隷根性である。いったいどこで、この奴隷根性が発生したのか。卑しさの発生でもある。生存のための、卑しさを隠蔽する自己欺瞞がある。権力に踏みにじられ、屈服した精神がある。当然、暴力・権力があった。そう、卑しさである。誇りの喪失である。思うに、明治維新後、あるいは、戦後、日本人のイデア界の文化を形成すべきであったが、それが、確立されなかった。折口はそれを目指したのであるが。
 とまれ、原因は、やはり封建思想である。男尊女卑である。これが、いまだに日本人の精神に巣くっているのだ。これが、公共投資の無駄遣い・財政超赤字を生んだのでもある。日本社会主義的資本主義の原因であろう。ポスト封建思想が必要である。確かに、前近代的近代の日本人である。これが、現在、日本のネックである。世界は、ポスト近代的多極主義に移行しているのに、おそろしく退行しているのである。日本ルネサンスが必要である。日本イデアルネサンスが必要である。ぜひ、不連続的差異論を理解してほしい。






検討課題:多神教と不連続的差異論

差異が万象を形成するのだから、多神教の神々とは、諸差異に還元されるだろう。では、これらの諸差異とはどういう連結性をもっているのだろうか。
たとえば、木を創る「差異」とは。つまり、木・差異とは。水・差異とは。太陽・差異とは。動物・差異とは、等々である。
以前、太陽系の差異は、5個の差異であると仮想したが、さらに検討しなくてはならない。
形象の問題もある。
成長の問題もある。
もっとも、らせん的展開でほとんど説明できるだろう。
だから、形象の問題の方が大きい。
巻貝は、螺旋で簡単に説明がつくだろう。
渦巻き星雲も。
後、幾何学であるが、たとえば、三角形は?
これは、三個の差異でいいのではないか。
つまり、三個の差異の連結でいいのではないか。
d1、d2、d3の差異があるとしよう。これが、メディア界において、
連結する。そう、イデア界の垂直軸がいわばメディア軸となるが、これは、平面としていいのではないだろうか。即ち、メディア平面である。
そして、メディア平面での差異連結形式・形態・形相・「イデア」が、現象化すると言えるのではないだろうか。
すると、イデア界のガウス平面から、メディア界のメディア平面(エネルゲイア形態)へと展開するということになる。そして、ここから、現象四次元へと展開するということになる。
だから、形の問題は、メディア平面で原形が形成されるすればいいのではないか。
イデア界の3つの差異d1,d2、d3が、たとえば、メディア平面で、三角形の原形・「構造」を形成すると考えればいいのではないか。図化しよう。

イデア界:d1/d2/d3

メディア平面(メディア界)

 d1 
 / \ 
 d2___d3

思うに、このように考えると、量子論、分子論、分子生物学、大脳生理学等に適用できるのではないか。
また、本件の多神教の神々であるが、それは、やはり、メディア(差異連結体)であると考えられる。ゼウス(ジュピター)、アポロ、デメテルアフロディテ(ヴィーナス)、ヘルメス(マーキュリー、メルクリウス、トート)、等々は、メディア平面で説明できるだろう。ゼウスは、メディア平面全体の強度・力ではないか。そして、これが、後の一神教へと転じたのではないか。ついでに、イエス・キリストとはどう説明できるか。イエスは、愛や許しを説いたが、それは、差異共存志向性のことだろう。つまり、メディア平面の強度とは、両極的であり、不連続性の極(イデア極)では、差異共存志向性をもち、連続・同一性の極(現象極)では、一神教的パワー(暴力・権力)をもつと言えよう。つまり、メディア平面の両極性において、「イエス・キリスト」と「ヤハウェ」が存するということである。ゼウスは、前ヤハウェであろう。
[ここで、現代政治の世界に飛躍すると、アメリカ一極主義とは、ヤハウェ路線である。(プロテスタンティズムとは、イエス教ではなくて、ヤハウェ教、つまりユダヤ教に似ているだろう。)そして、多極主義とは、多神教路線である。それは、差異共存路線である。]
とまれ、メディア両極多様平面(エッシャーのような平面)を考えると、多神教は説明できるのではないか。メディア多様平面における多様な組合せが、神々となるだろう。そう、ギリシアローマ神話の神々は、惑星でもある。そして、これは、占星術(古代宇宙論)と通じている。神々=「惑星」(たとえば、マルス=火星)は、メディア多様平面の諸差異連結で説明できるだろう。即ち、神々=「惑星」=諸差異連結である。多差異連結である。そして、これが、神々のパンテオンを形成する。しかし、これは単純ではない。これは、差異連結体の連結としてあるだろう。つまり、多差異連結体である。ヴィーナス・金星という差異連結体があり、マルス・火星という差異連結体があるということになる。
差異連結体であるが、これは、一種スペクトラム状ではないか。もちろん、プロセスもあるだろう。そう、虹の七色。光線のスペクトラム。七賢人。北斗七星、古代宇宙論での七つの星(月、水星、金星、太陽、火星、木星土星)。オクターブの七音。
思うに、メディア平面のスペクトラムが考えられないか。紫と赤。そして、人間の心、心身も、メディア平面のスペクトラムなのではないか。差異連結体スペクトラムである。多神教とは、これをイメージ化したものではないか。また、占星術もそうだろう。惑星とは、差異連結体であろう。 
 では、実際の太陽系はどうなのか。これも、一種メディア界の実現である。太陽系メディア平面があるだろう。太陽系スペクトラム。太陽系メディア・スペクトラム。これが、太陽系の原形となるだろう。この太陽系原形を地球も、人間も内在しているのではないだろうか。






『心は量子で語れるか』ロジャー・ペンローズ

時間があったので、本書を百ページほど読んだが、内容は高度であるが、読みやすく、面白いと思った。直観では、ペンローズの理論と不連続的差異論を比較するととても意義深いだろう。結局、不連続的差異論を、ホワイトヘッド哲学とペンローズ理論とアフォーダンス理論と比較検討すれば、ますます洗練されるだろう。
 私見では、量子とは物質ではない。それは、差異の連結体である。メディア界の差異連結体が量子だと思う。そして、心も量子だと思う。正確に言えば、心身が量子だと思う。ペンローズの著作を読んでから、この点について、論じたい。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handle-url/index=books-jp&field-author=%E3%83%9A%E3%83%B3%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BA%2C%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC/250-7564220-6771446


p.s. ツィスター理論であるが、どうも、不連続的差異論と似ているように思える。『ペンローズのねじれた四次元』(竹内薫著 ブルーバックス)から、引用しよう。

【相対論と量子論の申し子がスピノールと呼ばれる奇妙な数学的(かつ物理的)物体である。おおまかなには、スピン1/2のスピノールが二つ合わさるとスピン1の光子になるため、スピノールは、光の「平方根」だということができる。これは、大きさがゼロ(!)のベクトルの平方根である。
 このスピノールをたくさん集めてネットワークにした「ペンローズのスピン網」が現実の時空構造と酷似していることがわかり、「時空はスピンから作られているのではないか」という推測が生まれた。この推測を推し進めて数学的に厳密にしたものが、いわゆるツイスターというしろもの。ツイスターは、光の平方根であるだけでなく、それを渦巻きのようにねじってあるために、英語でねじった(twist)もの(-or)と命名された。】p.202〜p.203.

推測で言えば、スピノールが差異、不連続的差異であろう。「ペンローズのスピン網」とはイデア界(多数ないし無数の不連続的差異の境界をもった原空間)に当たるのではないか。また、ツイスターであるが、差異は、回転すると考えているので、確かに一種ねじれがある。どうやら、ツイスター理論と不連続的差異論との比較論が実に生産的であろう。

ペンローズのねじれた四次元』
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