イデア界、メディア界、現象界の「力」の関係

後で、詳論したいが、イデア界の「力」をイデア力、メディア界の「力」をメディア力、現象界の「力」を現象力と、仮に呼んで、検討を続けよう。
 イデア力は、差異の回転を形成する。そして、メディア力は、差異を連結したり、解体したりする。現象力は、現象的物体を生成消滅される。現象力はいわゆ る物質のエネルギーで説明されるから問題はほとんどないだろうから、ここでは、省略する。また、メディア力は、+の力として、連結力であり、現象力を形成 するだろうが、それは、差異=微分の力であろう。この連続化する微分の力である。そして、連続化された差異の積分が現象である。すなわち、差異を連続化さ せるメディア力は、現象力には存在していないのである。いわば、現象界の背後・裏面にメディア界があるのである。近代自然科学は、主に現象力を対象として いて、メディア力を見ていない。しかし、現代自然科学は、相対性理論量子力学によって、現象の背後のメディア力の領域に参入している。たとえば、粒子と 波動の相補性とは、物質の根源がメディア力であることを示唆しているだろう。すなわち、粒子とは差異の反映であり、波動とは差異連結の力の反映であろう。 (しかし、粒子=差異、波動=連結力ではない。粒子や波動は現象界への反映に過ぎないだろう。だから、量子とは、ほんとうは、メディア力の現象界への反映 と考えるべきであろう。量子は、メディア力であり、いわば超子(p.s. メディア子と呼んだ方が適切だろう)である。
 さて、イデア力とメディア力の関係はどうなるだろうか。イデア力とは差異の根源的な力、デュナミスである。差異のデュナミスである。そして、メディア力 は、差異の90度回転による、差異のエネルゲイア化であろう。差異のエネルゲイアとは、極性をもつのであり、連続/不連続の両極をもつ。
 では、差異のエネルゲイア化とは何か。それは、差異のデュナミスの極性化である。差異のデュナミスとは、いわば絶対値であり、正負がない。しかし、エネ ルゲイア化とは、極性化である。すなわち、二分化である。それも相補的二分化である。東洋の陰陽である。これは、ダイナミズム化である。極性様相の生成変 化が起きる。(正に、易経の世界である。道教である。二宮尊徳が言った一円渾沌とはこれのことである。そして、神秘主義の根源もこれである。そして、女神 の神話もこれを意味する。一神教は、これを二項対立化させたものと言えよう。だから、多神教一神教も同値である。)そして、+のメディア力が差異の連結 を生起させ、−のメディア力が差異の連結を解体するのである。この差異の連結/解体を反映しているのが量子であろう。
 では、問題は、イデア力とメディア力との総合的関係はどうなのかである。イデア力はガウス平面に展開される。そして、メディア力はそれとは垂直の平面に 展開されるとしよう。この関係を後で検討したいが、今予見を言うと、イデア力はガウス平面を回転するものであり、メディア力はメディア平面を回転するもの ではないかということである。

p.s. イデア力によって、メディア力の極性が生じるのであるから、+のメディア力と−のメディア力は、イデア界的には同値である。つまり、前者を男性、後者を女性にすると、男性と女性はイデア界的には同値であるということである。プラトンの『饗宴』で、人間は自分の半身を求めるというエロス論があるが、それは、正にイデア界への回帰ということと言える。メディア力の極性は、他者である対極を希求して、実際は、自己と他者の共通性であるイデア界の差異への回帰を意味していると言えよう。だから、女性にしろ、男性にしろ、対極の他者を希求して、同値であるイデア界の差異へと回帰するということである。究極において、イデア界において、女性と男性は等価である。そう、D.H.ロレンスの性の哲学・思想は、これを意味していると言える。差異である女性と男性は、他者を希求する指向(欲望・倫理)において、根源的に一致するのである。

p.p.s. 量子力学について補足しよう。量子論における粒子と波動の相補性であるが、粒子、波動は、現象界の出来事であるが、これは、メディア力の反映であるとした。すなわち、メディア力の連続/不連続性という相補性の反映としての粒子と波動の相補性である。メディア力の連続/不連続性をメディア子とするなら、メディア子とは、差異の極性である。差異の+極性が波動であり、−極性が粒子であろう。差異の相補性が、粒子と波動の相補性として反映していると言えるだろう。つまり、量子論とは、メディア力の相補性を現象界において反映しているものを理論化していると言えるだろう。すなわち、差異の極性であるメディア力の現象界への反映としての量子論である。メディア力の差異極性の現象界の反映が量子論である。だから、粒子は、差異−極性の、波動は差異+極性の反映・表象と見ないといけない。だから、超量子論として、メディア力論があるのであるし、また、イデア力論があるのである。