量的資本主義から差異的資本主義へ:差異連環知資本経済

資本主義は、利潤ないし利益を追求する経済と考えられているかもしれないが、短絡的に利益の数字の増加を追求するならば、尼崎脱線事故のように、鉄道業の基礎である安全管理がおろそかにされるようなこととなる。ホリエモンライブドアの企業営為をお金もうけのためというのは、このような意味ではなく、個としての生活にふさわしいIT主導のメディア的な経済を目指し、また、個として従業員を活動させることが会社を進展させることだと考えた(経営戦略・哲学)上での、事である。JR西日本は、マス企業である。今や、時代は、個、差異、不連続性が主体の時代である。厳しい経済環境の中だから、知恵をはたらかさなくては、生きていくことはできないだろう。しかしながら、知恵とは、差異とともにあると言うべきである。差異に応じて、対応しないといけない。日本の政治経済社会文化のあらゆる領域で、旧体制のマス・量としての観念が阻害要因となっている。原発、沖縄米軍基地、イラク派兵、自衛隊憲法改正靖国参拝/新しい歴史教科書、郵政民営化ゆとり教育等々、根源は、マス、量、集合の観念である。
 たとえば、エネルギー問題は、環境問題と関係させて検討しなくてはならない。ここで、エネルギーの差異と環境の差異が関係するようになるのである。ここで知恵が必要なのである。(かつての日本人はこの知恵を豊かにもっていた。もっとも、個々の日本人にはそれは残っているのであるが、政官財層にそれがない。)差異と差異とを連結させる知恵を出し合うことで、今日の難局を乗り切ることができるはずである。また、さらに、このエネルギー問題と環境問題と農業問題と都市計画は密接に関係しているのだ。また、治安、教育、福祉等々と関係するといえよう。この差異連関(連環)の知恵をもって、21世紀を生き延びることになるだろう。そう、差異連環知資本経済である。

参考:『不連続的差異論ノート』の「唯物史観
http://blog.melma.com/00138706/20050425010246