個と特異性10:イデア界的強度、ディオニュソス的衝動/狂気、反動

そう、不連続的強度、イデア界的強度とは、結局フロイト死の欲動と呼んだものの正体だろう。これは、連続体を破壊する衝動である。そう、私がシェイクスピアにある暗い根源力と言ったもの、ディオニュソス的なものも、これであろう。そう、狂気の一種である。これが連続的同一性・自我に吸収同化されると、暴力・権力的な自我となる。靖国参拝とか、新しい歴史教科書をつくる会等々は、この衝動が反動化して狂気となっているのだろう。ブッシュやネオコンも同様である。ディオニュソス的狂気が反動化しているのだ。つまり、自我欲望を巻き込んた狂気、エゴイズムの狂気である。そして、新興宗教を生む原動力もこの狂気である。
 だから、不連続的差異論の視点から、イデア界を確認して、そのイデア界的衝動を認めて、そのための叡知を現代において普遍化していく必要があるだろう。そう、資本主義も、不連続的差異論によって変容されるべきである。社会、地球全体に責任をもった資本経済でなくてはならない。不連続的差異的経済である。
 
p.s. 神経/精神の病気もここからくるだろう。また近代的合理自我主義も当然この反動狂気である。だから、近代的資本主義も狂気である。つまり、フジサンケイ・グループ等である。日本や世界の狂気はここに発していると言えるだろう。ニーチェは本当に正しかったのである。