個と特異性5:人間原型+人間差異光情報

「わたし」とは、擬制の連続性であろう。個と言ったが、それは不連続的差異の連結である。また、特異性と言ったが、それも同様である。つまり、多数の不連続的差異の連結・共立として「わたし」の個・特異性があるのである。そして、境界がそのような契機であろう。つまり、境界が連続的に「わたし」となったり、不連続的差異を喚起したりするということである。そう、ここでは、メディア界が作用しているのである。それはいいだろう。しかし、問題は、不連続的差異の特異性である。たとえば、「わたし」1、「わたし」2、・・・、「わたし」nがあるとき、それは、不連続的差異の境界連結で表現できる。つまり、差異1/差異2/・・・差異nという不連続的差異の境界連結がイデア界にあるとすると、これが「わたし」1,「わたし」2、・・・「わたし」nを発現する。すると、「わたし」は根源的には同形である。つまり、差異のコピーである。差異が本体であり、「わたし」はコピーないし仮象である。これは構造主義的である。鋳型があって、人間はその制作物となる。これはイデア論的であるが、しかし、そうではないだろう。不連続的差異の境界連結・共立の差異がなくてはならないだろう。でないと、ロボット、人形、金太郎飴しか存しない。だから、不連続的差異の境界連結・共立の差異を問題にしないといけない。すると、人間境界差異が問題である。簡単に、境界差異と言うと、境界差異が多数ないし無数あることになろう。境界差異1,境界差異2,境界差異3,・・・境界差異nである。これが境界自体に存していることになる。そして、これが人間集合差異である差異1,差異2,差異3,・・・差異nを結びつけて、人間原型を特異・差異化すると言えよう。先の言葉を使えば、光情報1,光情報2,光情報3,・・・光情報nが、人間個体1,人間個体2,人間個体3,・・・人間個体nを形成するということになる。つまり、人間光情報1,人間光情報2,人間光情報3,・・・人間光情報nがイデア界にあり、それが、人間差異を形成するということになる。だから、先に述べたように、人間原型+人間差異光情報が人間個体を形成するということである。前者は心身原型的遺伝、後者、個・特異性的遺伝と言えよう。四肢の遺伝は前者であり、才能は後者である。ということで、本件のテーマを済ませたこととしよう。