検討課題2:近代主義からポスト近代主義への相転移

1感情とは、連続的同一性によるだろう。というか、感情を区別しないといけない。反動的感情(感情的と言った場合の感情)と能動的感情(スピノザの説く歓びの感情)を区別しないといけない。前者は連続的同一性と結びつき、後者は差異・特異性と結びつく。では、知性、合理性、論理性はどうだろうか。私は精神は境界と関係すると言った。あるいは、強度、差異強度と。思うに、連続的同一性と結びついた「知性」と差異・特異性と結びついた「知性」があるのではないだろうか。連続的同一性は自我になり、差異・特異性は、コギトになるだろう。前者は反動的であり、後者は能動的である。因に、近代主義とは前者であり、ポスト近代主義とは後者である。つまり、近代的知性とポスト近代的知性があるということになる。問題は、前者のもつ反動暴力・権力的知性である。(これが保守反動性や朝日新聞やNHK等を作るだろう。)近代的知性(=近代的自我)は、連続的同一性=超越論的形式=言語的同一性を帯びているので、言語使用に長けている。つまり、近代的自我に基づく利己主義のために、弁舌を使用するのである。政治家や文化人や大学教員、作家、マスコミ他を見よ。つまり、近代的知性(=近代的自我)には差異・特異性が欠落していて、連続的同一性である言語と連続・一体化しているので、巧みな弁舌によって、反動的権力を行使するのである。近代的知性(=近代的自我)とはこのように権力主義である。つまり、近代的知性とは悪魔的知性であるということである。だから、近代とは最悪の時代であったと言えよう。しかし、今や、はっきりと、理論的に、近代が終焉したと言えるし、現実においてもほぼそうなりつつある。理論的には、ポストモダニズムポスト構造主義を批判的に継承した不連続的差異論が出現したし、また、novalis666氏のアポスターズ論がある。そして、「帝国」の理論と現実。そして、差異経済主義のホリエモンの出現がある。近代の死滅である。死者をして死者を葬らせよ。新たな力を共立・連結して、あたらしい時代を創造すべきである。

2.太陽神と女神:折口とロレンスの比較論のために