「愛」と自己保存欲:倫理とエゴイズム

用語を整理しよう。自己保存欲とは、個体の原点の欲望である。それは、心身的欲望であり、感情や思考も内包されるとする。そして、私見では、不連続的差異論の差異共存性・倫理(共感性)とは、この自己保存欲に通じる。すなわち、自己保存欲とは、差異の能力であり、自己と他者との共立欲望・倫理をもつということである。すなわち、自己保存と他者保存との共立を指向する。つまり、自己保存欲とは、自己への指向と他者への指向の両面をもち、これが相補性をなしているのであるが、もし、他者が自己に持続的な害を与える場合は、他者への倫理の実践を廃棄してよいことになる。ただし、これによって戦争が起こることがあってはならない。
 
 では、「愛」とはここから見るとどうなるだろうか。はっきり言って、「愛」とは、自己保存欲の一部である。しかし、「愛」は精神主義的で、自己欲望を隠蔽しているので、偽善・欺瞞・虚偽的である。だから、「愛」は、倫理の倒錯である。つまり、「愛」は自己欲望に盲目であるのだから、傲慢である。つまり、エゴイズムである。キリスト教の隣人愛とはエゴイズムであり、押し付けである。天才のD.H.ロレンスは、『逃げた雄鳥(死んだ男)』で、キリストを「オシリス」として復活させて、自分の教えが間違っていたことを告白させている。

p.s. 思うに、自己保存力ではなくて、差異保存力と言った方がより適切だろう。