イデア界の回転とガウス平面:試論3

どうも、考えがまとまらない。少し箇条書きをして整理しよう。

1.差異と連続的同一性の関係の考察は問題がない。
2.不連続的差異論の三界性も問題がない。
3.90度回転の連続性もほぼ問題がない。
4.問題はイデア界の回転と不連続的差異論との関係である。

ということで、的が絞れた。4が難問である。イデア界の回転とは、数学の問題、複素平面の問題であり、不連続的差異論は哲学の問題である。そして、両者を結合しようとしているのである。私が悩んでいるのは、哲学の問題を数学に変換する点においてである。哲学の問題としては、解決している。理論的に整合化できている。後はそれを、数学的に整合化することである。90度回転という差異の連続化、この問題のすべてがあると言っても過言ではない。図示しよう。

      
    (図1)


      y軸
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______|___差異1/差異2_____x軸
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       (図2)
      

        y軸
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       差異1
        /
       差異2
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________|____________x軸
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図1の差異1/差異2が90度回転したものが図2である。これは明快である。y軸上に差異1と差異2が並び、x軸から見ると境界は零に見える。この零性をz軸に取る。z軸はメディア界である。ここまではいいだろう。ODA ウォッチャーズ氏の考えでは、ここで、プラスの順列エネルギーが使われるということである。すなわち、メディア界z軸において、プラス・エネルギーが使用される。これは、連続的同一性の力と言っていいだろう。ここいらから、不明瞭になる。整理しよう。差異が90度回転するなら、さらに回転すると見ていいだろう。しかし、根源の問題として、なぜ90度回転するのか。90度回転として差異の存在が表記できるということだろう。また、図示しよう。


A)      差異1/差異2/差異3/・・・/差異n

             ↓

        差異1/差異2/差異3/・・・/差異n
B) ____________________________
           連続的同一性

             ↓

C)          連続的同一性(差異が排内隠蔽)


AからBへと差異は移行する。そして、また、Aへと回帰する。この移行が、イデア界においては瞬時に成されるのだ。零時間である。これが、差延を生むのだろう。アルシエクリチュールとは、このイデア界の出来事だろう。また、novalis666氏がいう不可能性もこのことだろう。そう、Bが差延であろう。残像である。そして、メディア界である。ここから、現象界が発現する。それは、差異を内部排出隠蔽した状態である。すなわち、連続的同一性のみに限定された世界である(C)。このメカニズム、システムの力学を精緻化したいのである。
 とまれ、一番の問題の一つは、BからCへの変化であろう。ここには言語分節が機能しているだろう。そう、言語的同一性がはたらいている。思うに、動物の場合は、Bのメディア界止まりだろう。そのため、差異の信号をキャッチできるのだろう。たとえば、地震の予知ができるのだ。それは地震特有の差異による電磁波をキャッチするのだろう。人間の場合、言語分節が入るのだ。これがCと関係するのだ。差異である物自体が、言語分節=超越論的形式によって分節化されて、本体は不明になるのだ。すなわち、連続的同一性である原分節に対して、言語分節を与えるのだ。だから、原分節としての原花があるはずである。これに花と名付けるのである。そして、この原花とは、メディア界的であろう。すなわち、差異性を帯びているのである。ガタリドゥルーズの離接とはこの事態を指しているだろう。そして、天才的な画家が表現した物とは、このようなものだろう。セザンヌゴッホの物とはこのようなものだろう。この原分節としてのいわば物自体を表現しているのだ。【しかし、言語分節によって、差異性を排出する。何故か。それは、音声分節が排他的だからだろう。「ア」は「イ」と対立して排除するのだ。このような二項対立的論理が音声分節にはある。(これがデリダがロゴス中心主義批判で言いたかったことだろう。)結局、言語分節は、差異を排出する。しかし、メディア界である身体/精神は差異を直感しているのである。ここに、言語分節と差異との乖離があるのである。そして、デカルトのコギトとは、この乖離を意味しているのである。また、カントの純粋理性もそうである。結局、言語分節の力が何であるかである。ここで、メディア界をふり返ろう。それは、差異/強度の世界である。そして、連続的同一性とは、同一性的強度によるものである。そして、この同一性強度が差異を融合しているのであり、原分節を形成しているのである。だから、言語分節を形成する力とは、この同一性強度だと言えるのではないだろうか。すなわち、この同一性強度が音声形式と結合して言語分節となると言えよう。そして、この時、差異が排出されるのである。これはある意味で必然である。なぜなら、先に述べたように、音声形式が二律背反性・二項対立性をもつからである。つまり、音声形式によって、同一性強度は反動的になって、差異を排出するのである。この言語形成こそ、人間にとっての真の超革命であったろう。これで、差異の秩序が崩れたのである。差異ではなくて、同一性のヒエラルキーが生じたのである。この点をもう少し丁寧に見よう。つまり、言語形成されたとき、同時に差異を救う方法として、おそらく神話や物語りが生まれたと考えられる。つまり、差異が神、神々、霊、精霊等になるのである。これは、同時に、人類最初の構造主義である。これはこれでいいだろう。結局、言語形成は差異を排出すると同時に、差異を救うために、構造主義を形成したということである。しかしながら、それは観念においての差異救済であり、イデオロギーである。つまり、差異とは特異性においてしかありえないのだから、それを言語観念で把捉しても、見せかけだけになるということである。イデオロギーとしかならないということである。】『p.s. 以上の【 】の箇所は間違いである。この後の記事「二律背反・二項対立について」を見られたい。ここで簡単に訂正すると、言語分節が二律背反・二項対立性を生むのではなく、連続的同一性の強度が、言語分節を通して、それを生むのである。』
 ということで、結局、連続的同一性強度が、現象界を構成することが判明した。極論すれば、この帰結が現代である。そして、今や、差異が主役になったのである。これは、言語形成に匹敵する、いやそれ以上の超超革命になるに違いない。超進化である。結局、この事態はどういうことかと言えば、差異の運動によるということだろう。差異の90度回転の一つのサイクルが終わり、新しい90度回転が始まるということだろう。つまり、差異の90度回転がその潜在性をすべてを出し切ったのであり、力がなくなった、強度がなくなったということで、強度は新しい90度回転に存しているということだろう。これはどういうことだろう。一つの90度回転とは、イデア界においては、虚度であるが、メディア界においては強度であり、それが運動を引き起こすと言えよう。それが現象界を生んだのである。しかし、その運動も尽きる。なぜなら、それは、現象界に達して、力を無くすからである。つまり、現象界の形式を形成して止むということである。つまり、死ぬということである。新しい強度とは、新たな回転による。それは新しい強度を生む。それはそれ以前のものとは異なる意味をもつだろう。というのは、同一性強度ではなくて、差異強度が賦活されているからである。つまり、新しい回転とは、新たなメディア界であり、新しく差異を活性化しているからである。それは、既成の同一性強度(反動強度、マイナス強度)を乗り越える、能動的な強度をもっているからである。反動より能動の方が強いのである。新たな差異が、新たな世界を創造するのである。
 では、この新たな回転について考察してみよう。イデア界における90度回転によって、メディア界における連続性が形成される。そして、同一化強度によって、現象界が構成される。この同一化強度はODA ウォッチャーズ氏の言葉では、プラス・エネルギーであるが、私の言葉では、マイナス強度である。とまれ、同一事態を指していることは変わりない。メディア界からのマイナス強度が発出して、現象形成する。しかるに、これは、プラス強度を排出隠蔽しているので、それがポテンシャルなエネルギーになっている。すなわち、プラス強度のポテンシャル・エネルギーが高まっているのである。これが、新しい差異のエネルギーである。差異強度である。では、この差異強度と新たな回転はどう関係するのか。差異強度が賦活されている状態で、新たな回転であるから、メディア界が連続的同一性の方向ではなくて、差異共立の方向に向かうのではないだろうか。すなわち、マイナスの現象としての差異共立化へ。これは、原点からの180度回転ではないだろうか。すなわち、i×i=−1であり、この−1が、差異共立化ではないか。これは、プラスの現象とマイナスの現象のペアということだろう。そして、プラス強度が尽きると、新たにマイナス強度が作動して、新たな90度回転を生むのではないか。これが、270度回転であり、新しい現象であるが、差異を内包している。そして、これが終わると、新たなプラス強度が作動して、新たな差異共立へというか、新たな原点回帰となる。いわば、無に還るのである。
 では、このことは、メディア界、z軸ではどのような分布をとるのだろうか。最初の90度回転は、強度90度ということで、z軸では、差異1/差異2だろう。つまり、z軸のプラス1のところにおいて差異1/差異2があり、これは、z軸の上から見ると、同一物であったりするだろう。そして、180度回転になると、z軸では、プラス2のところに、差異1/差異2が存するのではないか。つまり、z軸では、垂直方向に伸びるのであるが、現象としては捩れを生じ、らせんとなるのだろう。いちおう、今は、ここで留めよう。