プラス強度とマイナス強度について:試論2

私が考えているプラス強度とは、差異を維持する強度のことであり、マイナス強度とは、差異を連続化する強度である。私の混乱は、この強度とイデア普遍界の虚度とを混同していることからきていると思う。つまり、イデア普遍界とメディア界との混同である。だから、これを切り離そう。問題は、メディア界である。ここにおいて、連続化する力と差異化する力がいわば均衡している。これがマイナス強度とプラス強度と呼ぶものである。ここまではいいだろう。これは、イデア普遍界における回転がいかなるものであれ、関係ない。この均衡が継続すると考えられる。ならば、一番の問題は、現象化である。これは、連続化ないし連続的同一化である。つまり、現象化では、メディア界のバランスがなくなり、連続的強度が主導的になる。つまり、プラス強度、差異の強度を押しやって、連続化すると言えよう。この原因はなんであろうか。もし、メディア界だけならば、両者のバランスがあるわけである。今の考えならば、説明ができない。これまでの考えは、メディア界において、マイナス強度がはたらくとき、連続化へと向かい、プラス強度が働くときは、差異化へと向かうというものであり、前者の動きは、最初の動きであり、後者は後半の動きである。そして、女男の区別をして、女性は、プラス強度的であり、男性はマイナス強度的とした。そして、マイナス強度とは反動であり、プラス強度とは能動であるとした。この考え方自体は整合的である。問題は、マイナス強度とプラス強度の発生源である。ここで、イデア普遍界の回転を考えたくなるのである。90度回転はメディア界であり、いわばバランス領域である。プラスマイナスの均衡点である(ただし、零ではない。空である。)そして、180度回転にかけて、マイナス強度化されると考えたいのである。そして、ここからまた、プラス強度が始まり、原点に回帰する。ということは、最初の180度回転は、マイナス強度をもつということになろう。そして、後半の180度はプラス強度をもつということに。しかしながら、前半の180度回転は、結局、原点のマイナス化ではないのか。マイナス1化。しかし、z軸から見るならば、x軸やy軸はいわば零である。ODA ウォッチャーズ氏の考えを借りると、z軸がメディア界である。
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だから、それに徹すれば、問題はなくなるようだ。90度回転、180度回転は、z軸では零度である。そして、180度回転では、マイナス化となる。これを、マイナス強度化と見ていいのではないだろうか。そして、その後の180度回転すなわち360度回転で回帰して、再びプラスとなる。これをプラス強度としていいのではないだろうか。そして、最初の90度回転をメディア界化、180度回転を現象界化、そして、270度を再メディア界化、360度回転を再イデア普遍界化と見ていいのではないだろうか。このように考えられるならば、私のこれまでの考えは肯定されることとなる。ならば、結局、最初の180度回転とは、マイナス強度による反動であり、後半の180度回転はプラス強度の能動であると言えよう。そして、前者を男性性、後者を女性性と呼んでいいだろう。両者を併せもつことが重要であるが、近代主義は、前者中心にして、後者を排出隠蔽してしまったと考えられる。そう、前者がこれまで述べたきた連続的同一性の強度であり、後者が差異の強度である。今、ここで留めておきたい。