不連続的差異論の図式の修正

【1.普遍界・不連続的差異】
/Α)普遍極≒善のイデア≒物自体/
【2.メディア界(=コーラ)】
/Β)現象極=「イデア界=超越論的形式=構造」/
【3.現象界・連続的同一性】

以上のように先の図式を修正した。問題は、普遍極、善のイデア、物自体との関連性である。普遍極とは、普遍界とメディア界との界面であり、いわば普遍界の縁である。そこでは、不連続的差異が共存、共立する普遍界に通じるが、同時に、メディア界というゆらぐ媒介領域へ通じている。メディア界自体ではない。このような普遍極とプラトンの善のイデア、カントの物自体とはどう関係するのか。善のイデアとはいわば同一性の同一性である。そう、これは、ヘーゲルの精神ないし理性だろう。だから、普遍極に置くことはできない。では、物自体との関係は。物自体には、特異性ないし差異の感触はある。しかし、まったく、概念の範疇に入らず、哲学として不徹底である。これは、普遍極にほぼ位置するとすべきだろう。ということで、上図式は以下のようにさらに修正される。


【1.普遍界・不連続的差異】

  /Α)普遍極≒物自体/

【2.メディア界(=コーラ】(→善のイデアヘーゲルの精神=「悪霊」・「幽霊」)

  /Β)現象極=「イデア界=超越論的形式=構造」/

【3.現象界・連続同一性】


p.s. 善のイデアであるが、これは正確に言えば、両義的だろう。やはり、普遍極に近い面があるだろう。だから、また修正しよう。


【1.普遍界・不連続的差異】
/Α)普遍極≒善のイデア≒物自体/
【2.メディア界(=コーラ)】
/Β)現象極=「イデア界=超越論的形式=構造」/
【3.現象界・連続的同一性】

以上のように先の図式を修正した。問題は、普遍極、善のイデア、物自体との関連性である。普遍極とは、普遍界とメディア界との界面であり、いわば普遍界の縁である。そこでは、不連続的差異が共存、共立する普遍界に通じるが、同時に、メディア界というゆらぐ媒介領域へ通じている。メディア界自体ではない。このような普遍極とプラトンの善のイデア、カントの物自体とはどう関係するのか。善のイデアとはいわば同一性の同一性である。そう、これは、ヘーゲルの精神ないし理性だろう。だから、普遍極に置くことはできない。では、物自体との関係は。物自体には、特異性ないし差異の感触はある。しかし、まったく、概念の範疇に入らず、哲学として不徹底である。これは、普遍極にほぼ位置するとすべきだろう。ということで、上図式は以下のようにさらに修正される。


【1.普遍界・不連続的差異】

  /Α)普遍極≒善のイデア≒物自体/

【2.メディア界(=コーラ】(→善のイデアヘーゲルの精神=「悪霊」・「幽霊」)

  /Β)現象極=「イデア界=超越論的形式=構造」/

【3.現象界・連続同一性】


p.p.s. 善のイデアを二つの箇所に入れた。それは、善のイデアは、両方の側面があるからだ。一方、差異を示唆するので、普遍極に置き、他方、その観念が独立すると、正に観念主義となり、ヘーゲルの絶対的同一性観念主義になる。