不連続的差異論の用語修正

1.星辰差異(遺伝子)

 A:差異(本源)界・・・星辰差異/虚度
 B:メディア界・・星辰差異+強度・・・特異性・コギト
         星辰差異−強度・・・「星座」原型・イデア
 C:現象界・・・・星辰個体(身体/精神)


2.継続差異(遺伝子)

 A:メディア界・連続差異的イデア界・・・継続差異/虚度
 B:連続差異的メディア界・・継続性的差異+強度:雌(♀)
              継続性的差異−強度:雄(♂)
 C:現象界・・・・・・・・・継続個体(身体/精神)


3.星辰/継続差異個体(現象人間個体)(=1+2)


以上のように修正すると、不連続的差異論の三界性の用語が変化する。これまで、イデア界/メディア界/現象界という用語であったが、それを、たとえば、


差異本源界/メディア(イデア)界/現象界


とでもすべきだろう。簡単にすれば、


差異界/メディア界/現象界


である。ただし、差異界だけでは、「超越性」が見えないだろう。しかし、返ってその方がいいのかもしれない。とまれ、イデアは、プラトンが用いたのとほぼ同じ意味になる。すなわち、原型としてのイデアである。そして、それは、メディア界に含まれる。また、プラトンの述べたイデアイデアである善のイデアは、ほぼ差異界を指すと見ていいだろう。そして、コーラとは、差異界/メディア界の境界を指すだろう。そして、アリステレスのエネルゲイアとは、推測するに、差異虚度とメディア界強度を指すだろう。そして、エンテレケイアとは、現象界であろう。デュナミスとは、メディア界/現象界の境界であろう。つまり、プラトンイデアであろう。


p.s. これまで、差異をイデア・理念と捉えて、差異、つまり不連続的差異の存する領域をイデア界と呼んできたのであるが、ここに来て、術語の変更となったが、これはどういうことだろうか。私は、ジル・ドゥルーズの差異の哲学を主導的基礎として、差異をイデア・理念としてきたのである。それに従って、イデア界と呼んだと言えよう。そして、差異を不連続的差異と連続的差異に理論的に分離して、ドゥルーズの差異の哲学の問題点を提示して、それを批判的に整備して、不連続的差異論が生まれたのである。不連続性/連続性の区別の指摘はODA ウォッチャーズ氏によるものであり、そして、合作として、展開させて行ったのである。ここには問題はない。しかし、理論を深化させていくうちに、差異が単なる理念・イデアから、存在性をもってきたのである。私は、知即存在と考えた(もっとも、これもまだ検討の余地はある)。また、ニーチェ哲学のもつ特異性を差異に明確に認めたのである。すると、差異とは、プラトンドゥルーズの考えるようなイデア・理念ではなくなってきたのである。イデア・理念とは、メディア界にふさわしい概念だと思う。ではあるが、差異の存する本源・根源界をイデア界と呼び続けてきたのである。しかし、今や、イデア界という用語を放棄して、差異界と変更して明確にすることとなった。これが意味することは、ドゥルーズ自身の不連続的差異(特異性)と連続的差異(理念・イデア)の混同に基づく考え方による用語を無批判に使用していて、深化によって矛盾に気がついたということであろう。つまり、換言すれば、ドゥルーズは、差異とイデアを混同していたのであり、われわれはドゥルーズ哲学をただしく批判して整合化したのであるものの、それが用語において徹底していなかったために、このような根本的概念の用語の変更が生じたということである。