一神教と占星学:不連続的差異論から見る

一神教と占星学:不連続的差異論から見る
テーマ:占星学


占星学とは、要するに、イデア界の太陽系を構成する複数の差異の虚度による極性強度らせん運動の法則を本来説いたものと考えられる。問題は、一神教である。聖キリスト教は占星学を悪魔の学として、否定するが、聖書は占星学を含んでいる。ベツレヘムの星。東方の三賢者とは、占星学者であった。
 とまれ、一神教と占星学の関係である。思うに、占星学と一神教は関係ない。つまり、前者は積極的に後者を説いていない。なぜなら、それは、循環学、円環学だからだ。(しかし、らせん性はある。)たとえば、キリストと魚座であるが、キリストならば、魚座であるかもしれないが、魚座ならばキリストということは成り立たない。だから、発想を変えないといけない。
 聖書は一神教なのだろうか。D.H.ロレンスは、多神教的だと述べている。正しくは、多神教一神教の相補性であろう。これは、差異と自我の関係とパラレルだろう。メディア界の問題である。メディア界のゆらぎの問題である。「一神教」はゆらぎを排除して、超越的「我・われ」を説く。この超越性とは、ゆらぎを超越すべきものとしてある。連続的同一性の強度(マイナス)にとり、排出すべきものであるゆらぎ。それを超越しているという虚構がここにはある。あるいは、超越したいという欲望。二項対立、二律背反。これが父権制でもある。マイナス強度の方向。このことは、太陽系史において、反復されたはずである。そして、ユダヤキリスト教において、集中化されたと言えよう。つまり、反復の極大化である。これは、人類史における、特異点である。これを占星学は語れない。しかし、そのように考えていいのだろうか。反復と言った。結局、一神教も反復されたのではないか。そう、ヤハウェは、オシリスの極大化であろう。太陽オシリスの極大・極限化。結局、旧約聖書でさえ、一神教ではありえないのだ。それは、女神の神話の一バージョンであろう。そう、一神教はフィクション、擬制であろう。では、キリスト教は? イエスは? イエスは、死んだ後、よみがえる神、オシリスに過ぎない。そう、キリスト教も女神の神話、女神教の一バージョンなのだ。父とは? 父とは、母である。女神の女王の一面であろう。支配者としての女神である。剣をもつ女神である。では、父権制とは何か。それは、裏返しの母権制であろう。捩れた母権制である。結局、西欧史とは、捩れた母権制なのだ。ブッシュとは、母の子である。母イシュタルの子に過ぎない。それが傲岸不遜に思い上がっているに過ぎない阿呆である。
 ということで、一神教はフィクション、虚構、擬制であることがわかった。すると、逆に、占星学が生きているだろう。それは、永遠回帰である。直線的ではない。そして、それはらせん的回帰である。一神教父権制とは、母権制の神話であった。ユダヤキリスト教は、女神神話・母権制の一バーションである。そして、イスラム教も同様であろう(私は以前、イスラム教は多神教に近いと言った。なぜなら、タウヒード〔存在の一性〕とは、差異性を認めるからだ。)
 ということで、一神教を解体することができた。結局、占星学が勝利したのである。あるいは、不連続的差異論的占星学である。そう、西欧中心の歴史とは、だから、まったくのイデオロギーである。それは、支配のためのフィクションである。つまり、永遠回帰の「歴史」の一エピソードであったのである。今日、ポスト西欧ということであるが、これは何を意味するのかと言えば、それは、一つのサイクルが終了して、新たなサイクルが始まるということだろう。それは、差異から始まるのである。イデア界の差異境界虚度の新たなサイクルである。あたらしい差異の経済文化期である。水瓶座経済文化期とは、ポスト西欧文化期である。それは、あたらしい母権制、女神の時代である。一神教という母権制・女神の時代は終焉したのである。そう、イエスの時代とは、父の時代とは、実は、母権制の子が、跳ね上がった時代ということである。そして、今や跳ね上がり(ブッシュ)が、失敗しつつあるのである。資本主義は、跳ね上がりから、基盤に還らないといけないのである。それは、イデア界である。コーラである。母である。女神である。それは、差異である。不連続的差異である。差異資本主義と私は呼んでいる。水瓶座の水とは、叡智・智慧・般若であり、エデンの園の川である。それは、メディア界をイデア界へとつなぐ英知である。英知のエネルゲイア・強度である。叡智のエネルゲイア。それは、知即存在のエネルゲイア・強度である。イデア界の虚度は感じられないが、その展開であるメディア界の強度は、感じられるのである。直観。霊感。それは、ひかり。イデア界と現象界をつなぐメディア界のメディア(霊媒)である。メディアとしての「水」である。水甕は叡智界・イデア界である。イデア界の水、叡智が、プラス強度となって、差異強度となって、人々を、人間と自然をあらたにつなぐのである。一神教キリスト教、ここに滅びぬ。