フジテレビ対ライブドア戦争:『帝国』、ノマッド、マルチチュード

[経済] フジ対ライブドア戦争:『帝国』、ノマッド、マルチチュード


問題は、後者は新自由主義なのか、前者は新自由主義ではなかったのか等々のことである。この問題は捻れている。というか、複雑である。私が民族国家資本主義と呼ぶものを前者は形成している。ナショナリズムがあり、同時に新自由主義である。新保守主義新自由主義であり、アメリカ主義である。では、後者もアメリカ主義であり、ただ、新保守主義ではない。道徳観がないだろう(私は道徳を否定的に見ている。それは、権力的であるからだ。内在的倫理ならば、肯定する。差異・特異性の倫理は肯定する。というか、ここにしか、倫理はない。)。ここには、二つの資本主義がある。一つは民族国家資本主義であり、一つは差異資本主義である。前者は、国家の枠があるのに対して、後者はいわばボーダレスである。(アメリカ資本主義の問題があるが、これは、私のこれまでの考えを訂正するようだが、二つの資本主義が重なっていると考えられる。後で、検討したい。)おそらく、前者は旧態の資本主義である。近代的資本主義である。それに対して、後者はグローバリゼーションという脱国家的資本主義であり、「脱領土化/再領土化」の資本主義である。これは、イラク戦争でわかるように、民主主義をパロディ化するものである。近代国家というあり方がおそらく崩壊したのだ。つまり、『帝国』の出現なのである。今や、脱国家化された、脱領土化された資本が、世界を遊牧しているのだ。つまり、ノマッド的資本主義である。これは、国家を実質的に解体するだろう。そして、また、国民に損害を与える可能性もある。ヴァイキングだ。諸刃の剣である。ここを見ないといけない。ここから、本件を見ると、ライブドアは、『帝国』のノマッド資本である。これは、民族国家資本主義の規制を解体するものである。これが、この戦争の意味の一つだろう。つまり、今や、近代国家の解体の時期になっているのである。しかし、ライブドアは、単なる猛禽類だろうか。ヘッジファンドのような国民に被害に与えるものだろうか。そうではないだろう。ライブドアの企画・発想は、明快であり、必然のものである。それは、ネットワーク社会として当然の動きである。だから、この点では、国民に、利益を与えるものと考えることができる。確かに、急襲であり、はしっこい。とまれ、以上のようにみると、結果は明らかである。『帝国』の急襲なのである。脱国家である。双方向メディア経済とは、必然である。ニッポン・レヴォリューションである。結局、『帝国』のマルチチュードがどのようにノマッド資本と共存するかが問題である。マルチチュードは差異的であり、またノマッド資本もベースは差異的である。


参考:
「新しい帝国の出現」http://kaisetsu.ameblo.jp/entry-cd9288f4d27657553bade98ca73a4402.html
「三次元化、四次元化する帝国の攻防」
http://kaisetsu.ameblo.jp/entry-544d652563592c7877c811df59dd2c43.html