太陽系の差異について:太陽と月の二元論

[叡智学] 太陽系の差異と四柱推命:試論の試論1&2


「太陽系の差異と四柱推命:試論の試論2」


数字で言うと、月の12に対して、5、2があるだろう。つまり、12×5=60という時間の単位数が形成されるから。だから、十干とは、やはり、5×2=10のことだろう。5「惑星」の陰陽エネルギーということのように思える。実際の太陽系よりも、ここでは、差異としての太陽系を考えている。月の差異の12等分割(十二支)と、惑星の差異の5×2分割。では、5「惑星」とは何か。5行になっている。水金火木土。これは、差異ないしイデアである。つまり、5個の差異・イデアのプラス・エネルギー(陽)の場合とマイナス・エネルギー(陰)の場合があるということだろう。前者は、連続的同一性=現象化へと向かい、後者はそれを解体する。つまり、現象をらせん回転させるのだろう。つまり、そして、この5惑星に対して、さらに月の12が作用するということだろう。つまり、差異はさらに分割されて、5×12=60分割になるということではないか。これが太陽系の数ではないだろうか。一年間=60である。これは、1年=12ヶ月×5惑星ということではないか。では、1日はどこから来るのか。これは、月からだ。1ヶ月が30日だ。1日というより、1/30月だ。1年=12×5月惑星=360日だ。そして、±、陰陽を入れると、1年=12×5×2月惑星陰陽=360日 ならば、1年を12分割する場合が、占星学でいう黄道十二宮で、2分割がそれを、陰陽に配分するのではないか。牡羊座=陽、牡牛座=陰、双子座=陽、・・・魚座=陰。
 そして、5分割が問題だ。これはペンタグラムなのだろう。占星学ではあまり注目されない。しかし、これは星の形の原型である。とまれ、12星座(十二宮)に、5惑星を配置するのではないか。そう、12×5=60通りの型ができる(還暦)。占星学は惑星の配置のホロスコープを重視する。しかし、十干十二支の方が、理に適っているような感じがするが。とまれ、太陽系は60が基本数であろう。では、プラトン年はどういうことだろうか。それは、太陽の歳差運動による一回転である。これは、思うに、太陽系ではなくて、銀河系に関係するのではないだろうか。
 とまれ、5にもどると、360÷5=72である。つまり、5惑星の等分割の角度である。そして、72×60=4320という重要な数が出てくるのである。4320×60=259200となる。そして、259200÷10=25920年=プラトン年である。思うに、4320ないし432とは惑星の一年間の数なのだ。そして、それをさらに60倍するというのは、太陽系の太陽系ということではないか。つまり、銀河系ではないか。プラトン年とは銀河系の数のように思える。そして、25920÷12=2160は、プラトン月で、一星座エポックの長さである。これは、実は、太陽系の12分割であろう。すなわち、太陽系の「十二支」なのだろう。今、魚座双魚宮)から水瓶座宝瓶宮)へと移行しつつあると占星学では言われる。これは、太陽系全体が変容するということだろう。当然、人間も地球もそうである。
 思うに、もし魚座が、心身の二元論の意味があるならば、精神と身体との分裂を意味するならば、水瓶座は、両者の調和であろう。つまり、前者は、現象界化であろう。一神教化であろう。天地の分化であろう。差異・イデアから連続的同一性=現象界への転換であろう。イエス・キリストのエポックであったろう。神(差異・イデア)が人間(現象)となったのだ。つまり、メディア界であるゆらぎを喪失して、連続的同一性化した。心身の二元論である。自我と身体との二元論である。デカルト哲学である。しかるに、今や、新たなゆらぎ=差異が生じて、イデア界への天窓が開けたのだろう。すなわち、精神と身体とが対話をしてゆらぎを取り戻したのでもある。すなわち、自我に隠蔽されていた身体の差異であるゆらぎが賦活されたということだろう。精神と身体との融合としての差異のゆらぎが生まれたのだろう。女性的心身の復活である。そして、これを不連続的差異論は理論化しているのである。

p.s. プラトン年を銀河系の数としたが、そうではなくて、やはり太陽系の数の可能性もあるだろう。秒である。年月日秒の四柱で、四柱推命は占うのだ。では、秒とは何かである。とまれ、以上はまったくの仮想である。


参考:

[哲学][歴史] イデア界史の問題

以下は次のブログの部分が発端であるが、ここに移して、展開した。
http://blog.melma.com/00122700/20041015232425
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 イデア界史が成立するのではないだろうか。今や、新たなイデア界史の開始とは言えるのではないだろうか。そう、イデア界史はこれまでに不連続的に反復したに違いない。イデア界/メディア界/現象界と左項から右項へと「歴史」は転変する。そして、最右項、最右翼に達して、再び原点のイデア界に帰還する。このパターンを「人類史」、地球「史」、宇宙「史」、「存在史」、イデア「史」は不連続的に反復したに違いない。思うに、この「歴史」、サイクル(そう、サイクルだ。正に。アイオーン・サイクル?)は、右項へ進むほど、原点のイデア界を忘却していくことになる。つまり、光が衰弱して、影となるからである。そして、現代、2004年、西方キリスト教的現象界「文明」が最果てに来て、不連続的差異論が、東方アジアの日本で、ブログ空間上で、ODAウォッチャーズ氏と私による合作という形で、創造され、誕生した。これは、大プラトンイデア論を現代的に新生創造したものである。つまり、イデア界に復帰・帰還・帰郷したのである。イデア界の忘却、記憶喪失、廃棄等の現象界主義(西方キリスト教文化)の最果てをブレークスルーしたのである。そして、この偉大な、いわば至高の高見から、人類史、歴史、地球史、宇宙史等々が、見えてくるのである。つまり、イデア界史があるという仮説である。あるいは、イデア界サイクル史である。(史や歴史は後で検討しなくてはならないが、今は便宜上、使用する。)精緻に言えば、不連続的差異論的三項論・三界論(イデア界/→メディア界/→ 現象界)という流れ、展開をイデア界はするのであり、そして、現象界→イデア界へと回帰するということである。だから、不連続的差異論的三項・三界論的反復論として、イデア界→メディア界→現象界→新イデア界→新メディア界→新現象界→新々イデア界→新々メディア界→ 新々現象界→3新イデア界→・・・となるだろう。これは螺旋的な展開、そう、イデア界史は螺旋的に展開・進展すると言えよう。すると、驚くべきことに、このような史観は、古代アステカやマヤ等の神話にある人類史、創造史と類似するのである。つまり、不連続的に人類史等が展開してきたことをそれらの神話は説いているのである。それらの神話伝承では、今の時代は三回目か四回目かのサイクルにあるという。
【サイクルをアイオーンと呼べるのだろう。ここで、占星術的宇宙史と比較できよう。ここで、平明なことを言えば、占星術的宇宙サイクル・アイオーン史は、地球の歳差運動で、天球上の太陽(春分点)の移動があり、一星座一宮通過するのに2160年かかり、その後新しい星座に入るのであり、人類史が転変するというものであり、占星術になじみのある方なら、今が太陽が魚座双魚宮)から水瓶座宝瓶宮)へと移行する時期であることを知っている。魚座イエス・キリストは結びつけられてきたのである。そして、不連続的差異論によって、西方キリスト教は崩壊したのである。つまり、占星術的に言えば、魚座のアイオーンが終焉して、水瓶座のアイオーンに入ったということになろう。ついでに言うと、黄道十二宮だから、2160年×12=25920年して太陽が一周することになる。これが、プラトン年というものである。そう、一星座・一宮は、プラトン月である。そして、2160年÷30=72年となる。プラトン日とは聞いたことがないが、いちおう72年はプラトン日とは言えるだろう。さらに付加すると、25920年を60(時間の単位)で割ると、432という古代オリエント等において重視された基準数に達する。学識ある古代バビロニアの聖職者のベロッソス Berossosは、全部で10人の王をあげて、計432,000年の期間としている(Joseph CampbellのThe Masks of God: Oriental Mythologyのp. 116~p. 117から)。】
どうやら、神話伝承の不連続的複数の人類史観は、このイデア界的サイクル史をなんらかの形で反映しているのだろう。
 さて、このイデア界的サイクル史(カオスモス的サイクル史;思うに、占星術宇宙論は、原分節的にイデア界、カオスモスを固定しているような面があるが、不連続的差異/イデア界史論と占星術的古代宇宙論については、後で、検討しよう。)の特徴を再論すると、「時間」の展開・進展するにつれて、イデアの光が衰弱し、最後は影(現象界)になるのだが、出発点のイデア界的「時代」では、イデア界の智が当然保存されていただろう。しかし、「時間」展開につれて、イデア界の智が伝承されるものの、初めの時代とは異なるため、理解されにくくなるだろう。そして、イデア界の智は、一種身心技法の秘儀・密儀(とりわけ、エレウシスの秘儀ないしイシスの秘儀)として保存されてきたのだろう。そう、秘智の伝統があった。これがイデア智の伝統である。しかし、このイデア智の伝統が、これまでの検討から見ると、西方キリスト教によって破壊されたのがわかる。そして、キリスト教徒によるアレクサンドリア図書館の破壊(ヴァンダリズム)も、このイデア智の伝統の破壊だろう。(ついでに言えば、石原都知事による都立大等の破壊も、類似しているだろう。つまり、グローバリズムキリスト教であるからである。見事に一致するのである。)そう、異端審問とか魔女狩り等も同様であろう。ということであるが、キリスト教文化あるいはキリスト教文化サイクルにおいて、現象界化が極限に達したと言えるだろう。つまり、イデア界史から見て、キリスト教文化サイクルはある意味で地獄の底であったと考えられる。つまり、完璧に、完全に、極度に現象界化=暗黒化が生起したのである。キリスト教=資本主義=超悪魔主義=グローバリゼーションである。そして、19世紀後半から20世紀にかけて、哲学者、芸術家、科学者、数学者、宗教者、神秘学者等々が、破壊されたイデア界の智を探求していたのである。そして、2004年9月〜10月にかけて、東方アジアの日本で、ブログ・ネット空間上で、ODAウォッチャーズ氏と私が偶然に遭遇して、不連続的差異論が結晶したのである。いわば、最勝超至高の超哲学・叡智・智慧の誕生・創造である。これにより、破壊されたイデア界の智が現代的に新生したのである。つまり、キリスト教文化とは、イデア界の最現象界化であったと、不連続的差異論から見ることができる。だから、この突破は途方もない困難さをもっていたのである。いわば、闇から光を見いだすようなことである。実は闇に光があったのであり、光には闇があったのだ。とまれ、世界の多くの天才たちや民衆たちによってこの最勝超至高不連続的差異哲学は準備されていたのであり、ようやく誕生したのである。娘智である。ソフィアである。イデア・ソフィアである。智慧・般若である。そう、ここで、イデア智は大乗仏教と接合するだろう。批判的に大乗仏教と連結するのである。占星術宇宙史では、「水瓶座の時代」への進入であるが、イデア界史では、ポスト・キリスト教文化史とは言えるだろうし、また、新イデア界エポックであり、それは、多元的な不連続的差異の共立する世界文化のエポック、つまり不連続差異的多元的世界文化エポック(サイクル、アイオーン)とは言えるだろう。

p.s. 占星術文化サイクル史の問題であるが、不連続的差異論から見ると、一星座・一宮とは、擬制的である。本当は不連続的差異の連結に過ぎないだろう。だから、正しく言うならば、「水瓶座」の文化サイクルである。また、思うに、サイクルよりは反復が適しているようだ。ならば、「水瓶座」文化反復である。では、「水瓶座」とは何だろう。イデア界史と占星術的宇宙史を精緻に比較検討しないといけない。

p.p.s. イメージ的表象と理論的表現を区別しないといけない。つまり、イデア界史とは、不連続的差異論による三界性の不連続的反復論に過ぎないが、占星術的宇宙史とは、イメージ表象的連続的なサイクル論である。不連続的差異性という批判智を維持しないといけない。

p.p.p.s. 「水瓶座の時代」に関しては、以下を参照。
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&inlang=ja&ie=
Shift_JIS&q=%90%85%95r%8D%C0%82%CC%8E%9E%91%E3&lr=


4p.s. 上記で、イデア界史は、螺旋的に展開・進展すると書いたが、これだと連続観念になり、間違いとなるのではないだろうか。1サイクルのイデア界史と次のサイクルのイデア界史とは、不連続的であることに注意すべきだろう。だから、古代の神話表象で、複数の不連続的な人類史、宇宙創造史が説かれていることは、正しいと見るべきだろう。例えば、今やキリスト教文化サイクルが終焉したとは言える。しかし、連続的に、例えば、「水瓶座の時代」になるとは言えないのであろう。ポスト・キリスト教文化であり、多元的世界文化であり、不連続的差異的な共立多元的世界文化のエポックとは言えるだろう。だから、不連続的差異論から見ると、今やイデア界史の新紀元(エポック)ではあり、多元的な不連続的差異が共感共立するアイオーン(エポック、エラ?)であるが、それは、華厳宇宙のように個と個とが予定調和する世界ではなく、個と個とが不連続的差異的に共感共立するのであり、個、特異個、単独性、不連続的差異性は維持されるというか、否、これまで以上に展開・発展・進展・深化するだろう。つまり、個の共立による発展、共立的個の発展があり、それが、共立社会を進展させるのである。不連続的差異のままの共立展開であり、いわば、イデア界的なあり方となるのであろう。共立連結、共立連接とでも言うのであろうか。それが、華厳宇宙のように個と個の予定調和と考えては誤りである。特異個性、単独性、不連続的差異性のままに、共立連結・連接するのである。「水瓶座の時代」については、別に考えよう。
http://blog.melma.com/00122700/20041016173143から


「太陽系の差異と四柱推命:試論の試論1」

太陽系の差異と四柱推命

十干十二支が基本にある。干支である。ここで、独断的に、十干は太陽系の惑星数と、太陽と月の数を足したものを意味するとしよう。そして、十二支は月の12等分割としよう。太陽系と月との関係となる。

これは、こじつけだ。

四柱推命とは関係なく、太陽系の差異について考えよう。
差異・イデアとしての惑星、境界としての強度(プラスとマイナス:陰陽)。
惑星数は、水、金、火、木、土の五個?
強度の±とは、連続と不連続である。それに、惑星数が関係する?
これは、五分割×陰陽=10分割か?
つまり、地球の除いた惑星(土星まで)と強度であるプラスマイナスの関係であろうか。そう、連続化の5分割と、不連続化の5分割だろうか。
これに月の12分割が入り、かけ算となるのだろうか。

p.s. あるいは、太陽、水星、金星、地球、火星、木星土星天王星海王星冥王星の10個:差異/強度としての太陽系。そして、差異としての月:12分割。

参考:http://forum.nifty.com/ffortune/genre/sihei/index.htm