差異の市場経済、平和と経済

[メディア][経済] 差異の「市場経済


「差異の「市場経済

思うに、これが核心ではないかと思います。単なる差異の共存社会では、「社会主義」経済です。差異と差異との市場・交換対話、ここに創造の原点があるのではと思います。だから、極論すれば、差異と差異との対話=市場ではと思います。これに対して、差異が連続=同一性化された「民族国家資本主義」=父権資本主義があります。差異と差異との対話とは、新たなゆらぎを得る経済であり、創造です。理論的に言えば、自己の差異を組み換えることのように思います。組み合わせの差異から新たな順列差異へと転換することのように思います。自己の差異をあらたに組み換えることのように思います。ですから、これができない人は、排出されるでしょう。つまり、連続的同一性=自我=父権制=米国資本主義が排出されることではと思います。

http://kaisetsu.ameblo.jp/entry-07c5cab052d113c12141216d94520c61.html
へのコメント

「■ 差異の市場経済
同感です。この点に関して、『金融取引法+α』さんの
『『http://toomuch.livedoor.biz/archives/15318577.html』で、利子の概念と、循環、直線の原理を説いている見解に、ライブドアとフジTVの問題を追いかけている説きに、出会いました。『近代以前の宗教では利子が禁じられていた理由の一つとして、こういうものが考えられる。どこかで読んだ解説だけど、はっきりいって出典は失念した。いわく、近代以前の社会では時間はループを描く。円環状に時間が流れていて、何事も予定調和に終わり、そして調和は繰り返す。時間は進まない、かどうかは知らないけれど、この世界では同じことが繰り返されるという期待感を皆が持っている。時間が矢のようにまっすぐに進むと思っているのは、僕らのいわゆる錯覚で、閉じていたってなんらおかしくはない。現在のAという時点から翻ってBという時点を見て、AB間に何らかの変化を読み取れるのなら、そこには必ず因果というものがあって、A→Bという風に時間は直線に流れているように感じる。しかし、A→B→C→Dと時間が流れて再びAに戻るなら時間は閉じているように感じられる。最初のAと次のAに変化はないのかと言えばもちろんそれは嘘ですけど。あくまでも期待感として円環状に時間が流れる、ということなんだと思う。

何が言いたいのかというと、こういう世界観の社会では利子と取るということは、この閉じていた円環をこじ開けて直線状にしてしまうかもしれないということです。Aという時点で借りた十万円は、次のAの時点では利息がついて十一万円になっている。「A」→「A'」には必ず因果が生じる。さらに、「A」 →「A'」→「A''」では、借りた金は十二万円あるいは複利で計算すればそれ以上の金額になっている。これではループは閉じることはありません。因果は積み重なって金額は膨らむばかり。つまり、この借金を最初の十万円に戻すことは絶対に不可能です。利子の分だけ返済すりゃいいじゃん、というわけではなくて、時間の流れが利子という因果を生んでいることにここでは注目したいわけです。そういうわけで、振り出しに戻ることは絶対にあり得ません。』と、回転でも、実は、本当のAには戻らないことまで、言いえています。
ODA ウォッチャーズ (2005-03-04 14:21:13)
■ 無題
つまり、『利子』が、『連続概念』の要因になっているようです。つまり、虚構の順列エネルギーの基になっているのです。順列、直線概念が出てくると、優劣、前後などの決まりが必要になります。但し、組み合わせのエネルギーでも、循環するためには、エネルギーは必要で、その分だけ、他の次元に幾分、移行し、捩れる、時間が発生すると思います。この点については、項を改めて考えて見ます。」
同上から



[平和] 憲法第九条と改憲問題:平和と経済


今日、改憲が自民/公明から提起されている。そして、平和憲法を守れという「精神論」がある。私の考えは、経済にベースを置かない議論は、精神論である。不連続的差異論は、総合的理論であるが、差異/強度の理論であり、その生産/消費理論でもあるから、経済学なのでる。だから、平和の問題は経済論なのである。戦争は、連続的同一性資本主義に付き物である。しかるに、差異資本経済とは、差異共立創造経済であるから、差異の共創共生の相補経済である。それは、差異を単位にする経済であるから、戦争は不毛であると考える。戦争は極く一部の連続的同一性の存在を満足させるだけである。戦争は反差異である。だから改憲とは、反差異創造生産性があるのである。ここを考えなくてはならない、アメリカ資本主義は反差異経済であり、差異にとり不毛である。自民/公明は、差異にとっての不毛経済を指向しているのである。差異創造平和経済をしかと認識すべきである。

参考:http://tanakanews.com/f0301taiwan.htm