利子と時間:円環、直線、らせん

先史の母権社会は自然的循環=円環の時間の社会であろう。それは、A→B→C→D→Aという動きをする。四季である。貨幣経済が、もしあったとしても、無利子であろう。生産された穀物は、保管しても、ときが立てば、腐ったり、黴が生えたり、乾燥してしまう。だから、生→死→生である。ここには、発展はない。
 では、貨幣経済が発達するとどうなるのか。これは、一般形式、数量の発達をともなうだろう。増殖が生まれるだろう。ここから、利子はあと一歩だろう。つまり、数量的連続概念がここにはある。これは確かに直線的であろう。AはA’となる。すなわち、もみ米一粒によってもみ米200粒を得られた。しかし、自然のままでは、腐るかどうかする。しかし、貨幣は腐らない。いわば、イデアである。超越論的形式である。永遠に成長するだろう。
 さて、ここで想起するのは、ゲゼルの消滅貨幣論である。自然物は腐るのだから、貨幣も消滅すべきであるという説である。しかし、情報はどうだろうか。そう、これも「腐る」というか、古くなり、価値がなくなる。資料調査以外の誰が、古い新聞記事を見るだろうか。順列エネルギー論から言えば、プラスに対してマイナスのエネルギーが生じて、捩れ、復帰するのである。だから、貨幣にマイナスのエネルギーを生じさせるというのは、妥当ではないだろうか。つまり、不連続的差異論から言えば、連続的現象は、不連続的差異に回帰するのである。だから、連続的概念である貨幣も不連続的差異に回帰させるのは当を得ていよう。つまり、いわば、時間を直線から螺旋へと変換することだろう。貨幣にゆらぎを与えて、消滅させるということだろう。螺旋的時間である。女性の時間である。女性貨幣? 女性通貨? たとえば、自動に目減りするemoneyを造ろう。1ヶ月で、一万円が、九千円になるとしよう。二ヶ月で、10ヶ月で、零円となる。これは、何か時間が逆行するような感じがないだろうか。円環時間はループ状に進む。直線時間は、直線的に進む。らせん時間は、逆行する? 喩えれば、『鏡の国のアリス』の白の女王が、指から出血した後で、指にピンを刺すようなものではないか。マイナスの時間と言える。あるいは、虚の時間。そう、イデア界での再度の回転だろう。連続から不連続へと回帰する。生成消滅。おそらく、無利子とマイナス利子では相違がある。無利子は静止するのではないだろうか。だから、動きを出すには、マイナスにしないといけないだろう。そう、マイナス利子の消滅・減価貨幣こそ、不連続的差異の通貨ではないか。連続同一的の資本主義から、不連続的差異資本経済へと変換するのではないか。それは、不連続的差異資本。消える資本である。後で、もう少し検討したい。


参考:http://blog.melma.com/00122700/20050304132008