女性と男性の差異について:試論4:差異経済論

[不連続的差異論] 女性と男性の差異について:試論4:差異経済へ


反復して考えよう。男性の「差異」が、メディア界から現象界へと連続的同一性へと発現する方向・指向をもつのに対して、女性の「差異」は、現象界からメディア界へのゆらぎへといわば回帰する方向・指向性をもつと考えられよう。プラス/マイナスの強度・「エネルゲイア」に因る。因みに、男性が女性を理解できない、女性が男性を理解できないと言われるのは、このことに起因していると言えよう。復習になるが、男性は、ゆらぎ(差異)を無化・否定するように連続・同一化する。そして、無化・否定性が反動的な暴力性・傲慢さをもつのである。女性は、現象化しても、ゆらぎをもっている。それは、マイナス強度をもつからで、現象界的連続的同一性を解体する指向をもつからである。いわば、女性は根っからの、生得的な「脱構築主義」なのである。(思うに、女性が化粧やファッション等を好むのは、このゆらぎの造形性、創造性によるだろう。そう、女性は本質的に、アーティストである。)
 では、経済の観点から見ると、現代は男性エネルギーの帰結であり、今や、突破口として女性エネルギー・差異強度が賦活されてきていると言えよう。西武鉄道、NHK,フジサンケイ・グループ、自民・公明、・・・等の連続的同一性資本主義の行き詰まり。それに対して、IT産業の興隆。それは、差異経済に括ることができよう。しかし、差異経済は、差異相補経済ないし差異ゆらぎ経済である。差異の肯定であり、差異の排除ではない。新しい差異と差異との共立連結を創造するのである。図式化しよう。


1.連続同一性資本主義

差異1=差異2=差異3=差異4=差異5・・・=差異n


2.差異資本主義

差異1/差異2/差異3/差異4/差異5・・・/差異n



1では、差異が差異として評価されずに、連続同一化されている。連続同一性が差異を支配しているヒエラルキー、ピラミッド体制をもつ。堤前会長、金正日、ブッシュ等々。2では、差異が差異として肯定されて、差異=自由が共立して創造的生産を行うのである。問題は、この差異=自由の共立創造生産がどのような金融システムをとるのかである。私は差異相補経済と言ったが、これについては、別の記事で検討したい。


p.s. 因みに、女性のゆらぐ本性を体現している女優に、桃井かおりがいるだろう。連続的同一性であったり、不連続的差異であったりするゆらぎのいわば権化である。すなわち、他者に共感しつつ、他者を批評する精神性がある。これは不連続的差異性である。だから、メディア界というより、イデア界的である。


p.p.s. 整合的に分析しよう。他者に共感したり、他者との批評的距離をもったりしている。共感とは、メディア界の強度であり、また、他者との批評的距離とは、不連続的差異ないし特異個であるということである。だから、やはり、メディア界的なのである。