人間のイデアとは何か、共感性、倫理、やさしさとは何か

詩人

[叡智学] 人間のイデアとは何か:不連続的差異の対話態?


人間のイデアとは何か。これまでの考察から考えるならば、当然、ある種の差異共立構成態であろう。つまり、多種多様な不連続的差異の共立態として、人間のイデアがあるということになろう。いわば、不連続的差異の連接態である。ピカソの、キュービズムの絵のようである。では、その多種多様な不連続的差異とは何か。これまでの検討から、少なくとも太陽系のイデアに内包されるのではないか。つまり、太陽系の多種多様な不連続的差異としての人間のイデアであり、太陽系のカオスモスとしての人間イデアである。ユニバースuniverseというより、マルチバースmultiverseの人間である。あるいは、ポリバースpolyverseである。あるいは、ポリコスモスpolycosmos。そして、また地球のイデアをもっている。等々、きわめて多種多様な太陽系宇宙的差異としての人間のイデアがあるだろう。さらにいえば、銀河系の差異として、また大宇宙の差異として、そして、究極的にはイデア界全体の差異として存する。ならば、マクロコスモスと照応するミクロコスモスとしての人間という神秘学の考え方は、それほど誤っていないだろう。人間はイデア界を内包しているのである。やはり、神秘学はある種真理を把握していると言えよう。しかし、メディア界の考え方が欠落しているので、発展しないし、「現実離れ」しているものとなる。とまれ、ここで暫定的に整理すると、多種多様な不連続的差異=知即存在の複合態・共立差異構成態である人間の差異・イデアとは、宇宙的であり、イデア界を内包内在している。


p.s. もう少し丁寧に説明すると、人間のイデアが太陽系のイデアに内包されることが、何故それが太陽系の差異になることかと言うと、この場合の内包とは差異/強度による連接態における内包であるから、内包された差異共立構成態である人間の差異は、内包する太陽系の差異と強度ないし境界強度で交通しているからである。内包された差異は内包する差異と共立連接しているのである。同様に、銀河系の差異、大宇宙の差異、イデア界の差異と人間の差異はいわば相似形になるのである。いわばフラクタルのような関係である。


画像以下から
http://www.asahi-net.or.jp/~QS8Y-NKMR/textron7.html