神秘学とは何か:原型論批判

antares2005-03-09

[叡智学] 神秘学とは何か:原型論批判


不連続的差異論から見ると、神秘学、占い、オカルト主義とは、メディア界の原型を、精神主義的に表象したものである。確かに、占いは的中することがある。しかし、それは、連続・原型論であり、個、差異を捉えていないのである。血液型性格判断もそうである。それは、原型論であり、特異性、差異、個を見事はずしているのである。そこから、見ないといけない。原型論は、凡庸であり俗悪だと思う。現実の不連続性を見逃す。

p.s. つまり、原型とはファッションだと思えばいい。獅子座のファッションを着たり、O型のファッションをつけたり、手相のファッションを着たり、等々、それらは、本体の差異、特異性、不連続性に達していないのである。そこを見ないといけないのである。グノーシス主義が、コスモスを否定したのは、正しい、コスモスとは衣裳である。差異、特異性、不連続性が裸体である。

p.p.s. ファッションとは、また幻術である。

3p.s. 原型ファッションを着衣させられていると言った方が正確だろう。これを脱衣して、イデア界に達すべきである。

4p.s. より正確に言おう。原型ファッションとは、差異、特異性、不連続性の表象となっているのである。しかし、それは、制約された擬制・フィクションの表象である。つまり、原型ファッションは、表象媒体、メディアである。これを使って、差異、特異性、不連続性が表象されるのである。これは、いわば盲目状態である、野蛮状態である。この原型ファッションを超えて、原型ファッションを超克して、本体の不連続的差異性、特異性、個へと回帰しなくてはならないということである。cf. 往相還相。

5p.s. ついでに言えば、「霊」も原型ファッションである。水子の霊とか、自縛霊とか、祟りとか、カルマとか、それらは、原型ファッションであり、見せかけである。それは、たぶらかしである。そうではなくて、根源に、不連続的差異としての個があるのである。イデア界に創造的に回帰しないといけない。

6p.s. 根源に不連続的差異である「個」があるのである。「私」とは、イデア界のそのような「個」の表出である。おそらく、不連続的差異である「個」とは、イデア界の「情報」である。それを「私」が表象しているのにすぎないだろう。「私」は、不連続的差異である。それは、イデア界の通信者である。

7p.s. さらに言えば、国家、民族も原型ファッションである。日の丸もそうである。天皇もそうである。代表制民主主義もそうである。

画像は以下から
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Miyuki/1175/magtreat.html