イデア界の身体とは何か、政治の目的は民を養うこと

[叡智学] イデア界の身体とは、何か、どういう意味をもつのか


ドゥルーズの晦渋なスピノザ論『スピノザと表現の問題』の中に、「身体は何をなしうるのか」というような一節があったが、それを借りるようにして、本件の問題を提起したい。精神や光はわかりやすい。では、イデア界の身体とは何か。精神と共立する差異、不連続的差異であるが、簡約すれば、物質を形成するものである。物質のイデアである。たとえば、鉱物でもいいし、植物でもいい。素粒子でもいい。人体でもいい。ここには、ロゴスがあると思う。身体ロゴスである。これは、精神のロゴスとは異なるだろう。身体ロゴスとは、境界を通して、精神ロゴスと共立共生する。だから、(少なくとも、)二つのロゴスがある。そして、光を介して、ある種、共鳴しうるし、齟齬しうる。スピノザが反動感情と言ったものは、後者であり、能動的肯定的感情、能動的観念とは、前者であろう。共鳴とは、境界強度を共感的にすること、共生共感的にすることによって生起しうるのではないだろうか。思うに、身体のロゴスの強度を光が受容し、それを精神のロゴスに伝達する。あるいは、逆に、精神のロゴスの強度を光が受信して、身体のロゴスに伝達するというようなことがあるのではないか。図式化すると、


精神ロゴス(イデア)→光メディア・通信→身体ロゴス(イデア


身体ロゴス(イデア)→光メディア・通信→精神ロゴス(イデア


となる。「気」というものは、光メディアに相当しよう。とまれ、このような関係のものとして、身体ロゴスを見るが、では、それ自体は何なのか。それは、一種「魂」のようなものではないか。私は、以前、質料と魂を融合させたものとして、魂質という生硬な語を造語したが、この魂質のようなものとして身体ロゴスがあるのではないだろうか。これは、身体、物質を司る「知」である。内蔵を動かす「知」、手足を動かす「知」、脳神経を動かす「知」であろう。健康を司る「知」であろう。それは、遺伝子に近いように思える。これは、精神のロゴス同様に、永遠に生成変化するものだろう。つまり、進化に関わるような「知」、「情報」であろう。美しい身体を創る「知」であろう。美と関係する「知」である。精神の美もあるが、身体の美もあるのである。そして、精神の強度があるように、当然、身体の強度もある。おそらく、精神と身体は光を通じて、共鳴・調和して、美的心身を形成するだろう。たとえば、オスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』に出てくるような肖像と精神が一致するようになるのではないだろうか。悪魔の精神は悪魔的な身体・相貌となろう。とまれ、身体ロゴス・強度により、精神ロゴス・強度を深化させるのではないだろうか。身体なき精神は劣弱であり、精神なき身体も同様である。


[政治][経済] 「政治の目的は民をよく養うことにある」


森田氏は成長を説いているが、私は、共生経済へ移行すべきだと思っている。しかし、極端には変更できないから、共生/成長相補経済で向かうべきではないかと思う。結局、問題は、日本人の強度、経済強度がどこへ向かうかである。経済強度を共生経済へ向けるならば、それは発展するものである。共生党が必要だろう、おそらく。共生経済は「成長」するものだと思う。というのは、大資本のための経済ではなくて、庶民の全体の経済を目指すので、経済の活気が出るからである。庶民が安心できる共生経済システムを構築すれば、庶民の経済強度が増強するのである。それは、自然環境とのバランスをもつ経済だろう。自然収奪経済ではなく。

「2005.2.20
経済政策再検討
「政は民を養うに在り」(書経

[政治の目的は民をよく養うことにある]

 国民生活が悪化するような事態になったら政治のやり方を変えなければならない。今、方向転換の時がきている。
 2月16日、内閣府は04年10〜12月のGDP(国内総生産)の速報値を発表した。物価変動を除いた実質で前期(7〜9月)に比べ0.1%減、年率換算で0.5%となった。三・四半期連続のマイナス成長である。「三期連続マイナス」は3年ぶりだ。3年前はITバブルがはじけた結果だった。今回は個人消費と輸出の不振が直接の原因である。
 小泉内閣の経済政策の責任者・竹中平蔵経済財政担当相は、景気の現状について「やや長い踊り場になっているが、大局で見ると緩やかな回復局面が続いている」とし、今後の見通しについて「やがて踊り場を脱する動きに向かっていくことを期待する」と語った。この見方を素直に受け入れる空気はもはや政界にはない。楽観的な見方は支持を失った。
 通常国会は与党ペースで進行している。予算案は3月初めには衆院を通過し参院に送られる見通しだ。これにより暫定予算のおそれはなくなる。小泉内閣の支持率はあまり落ちていない。だが内閣府発表の「三期連続マイナス成長」が、順調に見える小泉内閣とって新たな壁となる。小泉経済政策の再検討が始まる。
 現在国会で審議中の予算案は、日本経済が景気回復過程に入っているとの認識のもとに組まれたものだ。国民の負担増が盛り込まれている。しかし、景気後退局面における負担増は景気をさらに悪化させるおそれがある。
 全国を回ってみると、元気がいいのは東京と名古屋二2地方だけ。他の地方の景気は冷えている。多くの地方経済界指導者が「1997年の橋本内閣時の景気後退に似てきている」と語っている。落ち込みが激しいのだ。
 景気が好調な地域に住んでいるのは全人口の約2割に過ぎない。国民の8割が生活している地域の景気は良くない。この四月から実施されるペイオフ解禁や減損会計の導入により、競争はさらに激化する。これにより強者はさらに強く、弱者はますます弱くなる。弱い地方は切り捨てられるおそれがある。
 小泉内閣はこの状況を是認している。中央政界では批判者はいまだ少数にすぎない。
 だが、景気の減速が明らかになったことを機に、小泉経済政策を見直す気運が高まり始めた。私はこの動きを高く評価する。景気対策と経済政策のあり方について活発な論争を起こさなければ、わが国の将来は危うい。
 今の日本、「縮小シンドローム(症候群)」ともいうべき病にとりつかれている。原因は、戦後の高度成長政策は国家財政の大赤字をつくり出したから失敗だったという誤った認識が、政界と官界と中央マスコミを支配していることにある。「国の借金730兆円。これをすぐになくさなければ日本はつぶれる」との極端な認識が、政官界、マスコミと多くの国民の意識を捉え、日本全体を萎縮させている。大多数の国民が長期デフレ不況にじっと耐えている原因はここにある。
 しかし、「国の借金730円」は巨大なフィクションである。わが国には480兆円の金融資産がある。これを総債務から控除した純債務は250円であり、対GDP比は50%だ。これは欧米とほぼ同じ水準である。海外では、国の財政赤字は「純債務」で見ており、日本が世界最大の借金国と言っているのは、日本政府の誇大宣伝である。
 今、日本全土を支配し国民を萎縮させている「縮小シンドローム」は、「国の借金730兆円」という驚くべき誇張を国民全体が信じ込まされてしまったことに起因している。
 今、新たな経済政策論争を起こすべき時がきた。小泉構造改革による景気回復は失敗した。積極的な景気対策を実行し、日本を健全な成長軌道に乗せるためには経済成長政策に転換することが必要だ。成長こそが財政再建の本道であることに気づくべきである。
【以上は2月19日付け四国新聞に「森田実の政局観測」として掲載された小論です】 」
森田実の時代を斬る」から
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/