ブッシュの無法、ロゴスモス、戦争生活の果ての転機

[法] ブッシュの無法とイラク暫定国民議会:世界戦国時代と岐路

今、イラク暫定国民議会が形成されつつある。しかし、これはブッシュの無法によって成立したものである。このような法治国家制を無視し、さらには侮蔑するような態度から生まれた政権とは何だろうかと思う。これは、「朕は国家なり」の専制君主制に近いだろう。歴史が逆戻りである。「帝国」ということかもしれないが、それにしても、社会の基盤である法が無視、侮蔑される事態は、由々しきことである。これは、無法を国家が事実行為で認めたかたちなので、つまり、無法は善であること(『1984年』では、戦争は平和であるというスローガンが唱えられる。http://www.asahi- net.or.jp/~IR4N-KHR/orwell/jone_040504j.html
http://www.geocities.co.jp/HeartLand -Renge/2543/utopia/1984.htm)を、認めたのであるから、あらゆることが認められる国際社会となったと言えよう。『カラマゾフの兄弟』でイワンが、神がいなければ、すべては許されるということを述べていた。ブッシュの場合は、キリスト教原理主義の神が、すべてを許したと言えよう。(原理主義は、宗教というよりは、カルトと言うべきようにも思える。誠実なクリスチャンは多くいるのだから、ブッシュどもといっしょにされたらたまらないだろう。だから、カルトと言おう。キリスト教カルティズム。)そう、とんでもない、踏み外しである。外道である。無理である。とまれ、中世や古代がもどってきたのだ。皇帝主義、「帝国」主義。
 しかしながら、巨視的に見ると、戦争で消尽したアメリカ経済は、立ち行かなくなる恐れがある。崖っぷちである。日本を命綱にするのか。日本は道連れとなるのか(小泉被洗脳政権の破局的危険性)。とまれ、ユーラシア連合というのが今ありうる選択ではないか。EU、ロシア、中国、インド、東南アジア圏。そして、オーストラリアも加わろう。
 すべてが許される無法の世界と新しい虎視眈々の勢力圏。そう、世界は戦国時代となったのだ。日本は、平和を守るべきである。これが、法にかなうことであるし、経済の秩序につながる。
 


[教育] ロゴス教育と無秩序:カオスからロゴスモスへ

言語とは言わずに、ロゴスと言いたい。なぜかと言うと、言語だと、狭義の言語に限定されやすいからである。私が言いたいことは、ロゴスとは、芸術、文化、社会等を規定するものと思われることである。たとえば、立ち居振る舞いをも包含するものである。自律的法に近いものである。つまり、カントで言えば、理性と悟性(知性)の両者を包摂したものとしてロゴスを考えたいのである。そして、これは確かに言語に関係する。しかし、言語さえ、ロゴスに包摂されるのではないだろうか。構造主義は、言語を支配構造と見た。しかし、それは、せいぜい超越論的形式においてである。ロゴスは、知性だけでなくて、理性にも関わり、両者を包摂するものである。不連続的差異論から言えば、イデア界と現象界との接点であるメディア界の「言語」としてロゴスがあると思う。
 このロゴスが未成熟のまま、近代合理主義、近代科学主義が興隆し、肥大化した。カント哲学で言えば、純粋理性と悟性(知性)との分裂・亀裂・乖離が生起し、前者は科学から排出されて、後者中心となったということである。理性と知性との分裂、さらには、理性を回避して、知性一辺倒のあり方となったのである。そして、没理性となり、反動暴力が支配的になのである。すなわち、カオス、混沌、無秩序の支配である。結局、理性と知性との対話としてのロゴスが必要である。ロゴスのコスモス(秩序)の復活である。ロゴスモスである。


[政治] 全国知事会と地方独立

http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/gyousei/news/20050212k0000m070111000c.html


[メディア] ネットワーク上の著作権について新聞・通信社の情報

「ネットワーク上の著作権について新聞・通信社が発信する情報をご利用の皆様に」
http://www.mainichi-msn.co.jp/etc/cho2.html

この問題は、私なりに検討したいと思っている。今の私見では、日本は、遅れているのではないかというものである。

cf.
http://www.asyura2.com/0403/dispute18/msg/844.html


[叡智学] 身体、欲望、ストレス:戦争生活の果ての転機

今日、誰でも過剰なストレスの下に生きている。このために、無意識のうちに、心身は、自由になることを求めている。うつ病、引き蘢り、自殺等は、そのような心身の表現/症状であろう。あるいは、アルコール依存症、暴飲暴食、性的放縦、ギャンブル、薬物依存、衝動買い、暴力等々の非理性的行為をする。問題は何なんだろうか。一般的に言うと、日本人はコミュニケーションが個々の間で取れていない。ほとんど、孤立している。だから、集団に依存する。これは、日本社会の病理である。何が問題なのか。叡智を失った社会が、ここにある。叡智を失った経済が、ここにある。叡智を失った生活が、ここにある。等々。ソクラテス無知の知とは、叡智のことであろうし、それをプラトンイデア論として創造展開したと言えるのだろう。叡智ではなくて、思い込みが支配している。資本主義の投機とは、思い込みである、一種。それは、自我欲望的目論見である。見込み、未来の先取り表象である。結局、この経済社会は、叡智、理性を喪失して、自我盲動が支配する。自我欲望表象が支配する。ここで、ホッブズ的社会がある。万人戦争の社会である。ここに、過剰なストレスの根因があるだろう。そう、自我戦争社会なのだ。自我競争闘争社会なのだ。万人戦争人なのだ。自我という戦争人。父権社会、西欧社会がこれを形成した。そして、この自我戦争社会=資本主義のメカニズムを解体するのは、難しい。このメカニズムの中に囚われているからだ。差異共存・共生社会を構築しないといけない。日本は、伝統的にそのような社会であったと思う。講談師馬琴は戦記物の武将は、差異共存主義であったと言う。それが日本社会だったのだ。それが、近代化、戦後アメリカ主義で、崩壊した。そう、日本人は、己の価値観をもたないといけない。ただ、権力に流されている生き方ではだめだ。孤立ではなくて、個律が必要なのだ。ここから、差異共存・共生社会が生まれるのだ。現在、没個的自我集団権力的戦争社会が支配し、孤立する。おそらく、ネット・デモクラシー、ネット・共創共生主義がある。不連続的差異の共生空間である。だから、ネット・マルチチュード主義が可能であろう。それは、差異共存平和社会の構築を目指す。自我戦争人から差異平和人への転換を指向する。父権制から母権制へ。武器/戦争合理性からイデア・ロゴス/平和理性へ。自我欲望から差異生動欲へ。この自我欲望の戦争社会の大牢獄(大バスチーユ)からの脱走・脱獄へ。一見平和そうに見える若者の心中は、荒々しい戦争神が荒れ狂っているのだ。荒魂。ヴォータン。軍神マルス
 結局、この戦争生活の無軌道さから、狂気、病気、悪が生まれる。これは、徴候なのだろう。徴なのだろう。何の? つまり、あらたまりの。新魂り? 戦争生活の荒廃の果てに、転機が。狂気、病気、悪の果てに、芽ざましの息吹が。死から生が。病み衰えた身体から、よみがえりが。病んだ身体(からだ)から、あらたまり、新生がはじまる。死者がよみがえる。