自我感情とメディア界

攻撃的な、侮蔑的な、侮辱的な、見下した、傲慢な、狂暴な、嘲笑的な、様々な暴力的な感情と発話等がある。これは、自我主義から来ている。メディア界には、イデア極があり、差異平等性があるのであるから。そして、自我はメディア界を抑止・遮蔽しているのである。一言で言えば、驕りであるが、これは、思うに、自己のメディア界性ないしメディア界の強度への否定から発しているのではないだろうか。差異共感性、差異共生感情を否定する自我。つまり、イデア界性を否定する自我性である。実は、これは、メディア界ないしイデア界への嫉視、嫉み、憎しみ、嘲り、ルサンチマンである。イデア界/メディア界への反感/憎悪から自我は成長する。スピノザ的に言えば、身体の苦から反動化して、精神感情が否定的になるということだろう。つまり、初め、メディア界には、イデア界的強度があり、また、身体の苦楽性があるだろう。しかし、後者の苦から、イデア界的強度を否定するように、メディア界のイデア極を封鎖/閉鎖するようにして、つまり、イデア極を押しのけて、自我を発達させるのだろう。イデア極的なもの、イデア界の差異共立性、差異共感性、差異共生性は否定されるのである。つまり、倫理が、個的倫理が否定されるのである。そして、自我的道徳が形成されるのであるが。とまれ、自我は唯我論的である。自我中心的で、他者否定的である。自我連続的同一性/反動性がある。不連続的差異の倫理・美・光・平和・共生は対蹠的に失われている。ホッブズ的状況である。このいわば野蛮な自我は、自己絶対的に、他者を、イデア界性を否定するのである。そう、ルサンチマンの感情がこの自我を満たしているのである。憎し、憎し、憎し、・・・、高貴な他者を攻撃して、自己栄光に陶酔するのである。この自我の心理を、ニーチェ/ロレンスが、千里眼的に分析しているのである。そして、これは、資本主義の心理である。戦争破壊の心理である。殺戮殲殺害の心理である。