民主主義通貨と資本主義通貨:世界共生通貨ガイア?

前者は、差異共存・共生の通貨であり、これは資本主義の成長・発展・拡大のための有利子通貨ではない。だから、無利子ないしマイナス利子となろう。イスラームの無利子経済と共通しよう。つまり、資本主義的貧富差別的通貨ではなくて、差異共存共生の民主主義コミュニティの通貨である。そして、これは地域通貨のような補完通貨ではなくて、法定通貨とするのである。正義・法の通貨である。そして、また差異平和共存共生の通貨である。資本主義的通貨は、ご覧のように戦争通貨である。

p.s. 差異共生経済は、共存的贈与経済性をもつだろうが、すべて贈与、共与となるのだろうか。そうではないだろう。たとえば、無利子通貨の場合、価格は生じるだろう。それは、共生価格であろう。そして、差異共生生産と「交換」によって得た共生通貨価値は、個体の配分があり、また共生生産体の配分があるだろう。そして、多様な共生生産体との連携によって、諸生産「交換」価値も必要に応じて配分されるだろう。しかし、思うに、「交換」はやはり、贈与ではないだろうか。具体的に考えよう。私が農業共生生産体から、野菜や米を買うとしよう。それに共生法定通貨を使用する。では、そのとき、通貨を贈与して、野菜や米を対贈与されるのだろうか。どうも違うような気がする。やはり、売買ではないか。交換とも違うだろう。買うのであり、売ると思う。とまれ、この差異共生売買経済によって、差異共生コミュニティの剰余価値が生まれる。これを、差異共生コミュニティの創造的向上に活用していくこととなるだろう。マルチ差異共生コミュニティがここにはある。そう、だから、共生組合のようなものが必要だろう。共生組合が、共生生産体と共生消費体との媒体となるだろう。

p.p.s. 共生売買は、コミュニケーションであろう。欲望と倫理との不可分的コミュニケーション。共生経済コミュニケーションだ。だから、エコノミー・コミュニケーションとなる。だから、エコノ・コミュニケーション。また、共生経済交流という言葉も浮かぶ。そう、共生交換でいいかもしれない。だから、商業は、共生交換(共交)となる。すると、共生通貨で共生交換を行い、共生生産総合価値が生じ、これを、共生人と共生体との共生配分する。そして、共生通貨は共生集積保管される。共生通貨保管集積所があるだろう。共生通貨保蓄センターである。これが他のものと共生連携することとなる。共生保蓄センターのネットワークが生じる。これは、当然、国際的である。ならば、国際共生交換レートが生じるのではないか。(ひょっとしたら、リエターが説く世界共通通貨テラのようなものがいいのかもしれない。究極的にはそうだろうが、そこに行くまで、国家間で、法的に国際共生通貨を創るのは
どうだろうか。だから、国際法となるのだろう。世界共通共生通貨を、各国家の法律を通して制定する。ならば、超国家的国際的法律による規定である。世界共生通貨である。こうすれば、交換レートは必要ではなくなる。テラよりは、ガイアか。世界共生通貨ガイアの誕生? この点については、後で、さらに検討しよう。