闇と狂気と暴力:悪魔の造った資本主義

 結局、西欧近代文明とは、闇の文明なのだ。叡智の光を失った、闇である自我、知性、経済の文明である。悪魔の文明である。(私見では、正確に言うと、超悪魔の文明であるが。)少し、西欧近代の意味するものを考察しよう。ご存知のように、南欧イタリアから発したルネッサンスを西欧も迎えた。しかし、西欧はすぐにプロテスタンティズムが起こった。そして、カトリックは反宗教改革を起こした。ルネッサンスの意味をどうとるかは、問題であるが、私見では肯定的に取りたい。ルネッサンスとは、中世にすでにあった個の内在的強度の、広範な発動だと思う。つまり、個においてイデア界の発動が顕著になったのである。これは、南欧イタリアのもつ母権制に拠ると思われる。つまり、イタリアは今日でもそうであるが、共感強度の息吹をもつ文化をもつのである。それは、イデア界とつながるのである。(かつて、マグナグラエキア〔大ギリシア〕と呼ばれた地域が南部にある。)つまり、イタリアは母権文化をもつのである。ルネッサンスで、個においてそれが広範に芽吹いたのであ。もっとも、商業資本の活性化が経済的に支えていることを看過できない。(D.H.ロレンスは、『エトルリアの遺跡』で、イタリア・ルネッサンスは、原イタリアであるエトルリアの文化の復活であると示唆していたが、それは、今日実証されていよう。ミケランジェロは、エトルリア美術を研究したのである。)とまれ、ルネッサンスとは、母権的個におけるイデア界的内在強度の発動の広範な開花と見ることができる。
 次にプロテスタンティズム宗教改革であるが、これは、西欧において発動したもので、私見では、ルネッサンスの対蹠点にある。つまり、西欧のキリスト教的父権文化の発動である。これは、デカルト哲学に通じる近代的自我の形成をもたらしたと考えられる。つまり、イデア界への反動である、自我形成をもたらしたものであり、デカルト哲学とともに、近代合理主義、近代科学・技術をもたらしたものと考えることができる。つまり、プロテスタンティズムとは、イデア界の光を廃棄した現象の光=闇の文明の形成を意味するのである。(そして、ご存知のように、イギリスのカルヴァン派であるピューリタンたちが、メイフラワー号で現在の北米に行って、アメリカ合衆国を建国したのである。)つまり、以上から、西欧近代とは、ルネッサンスの火・ひかりを消すようにして、父権・近代自我・合理主義的なプロテスタンティズムが進展したものである。つまり、簡潔に言えば、西欧近代とは、近代的自我・合理主義という闇・悪魔の文化なのである。
 では、啓蒙主義フランス革命等の民主主義は何なのだろうか。そして、それの反動と言われるロマン主義革命とは何か。そして、資本主義とは何か。社会主義とは何か。啓蒙主義フランス革命は、イメージでいうと、柄谷行人のような感じではないだろうか。つまり、これは、イデア界の強度が無意識にありながら、自我的知性・批判主義をもっているのである。カントがその最良の典型と言っていいだろう。つまり、これは、西欧近代のルネッサンスプロテスタンティズム(+デカルト)の両面の混淆であろう。しかし、両者はアンチノミー(二律背反)的である。ルネッサンスのもつイデア界的強度を近代的自我・合理主義は認めないだろう。しかし、カントは、それを、批判哲学で、超越論的仮象や実践理性として提起したに留まったのである。つまり、近代的知性とイデア界とのある種折衷・妥協がカント哲学である。両面があるのだが、不整合である。これが、啓蒙主義フランス革命の意味としよう。では、ロマン主義は何かというと、これは、ルネッサンスイデア強度の再発動であるが、近代的自我・合理主義や資本主義の発展という文脈・背景への反動的要素をもつのである。(イギリス・ロマン主義は、啓蒙主義的要素をもっていたと言えるが、フランス革命への幻滅で、反動化した。キリスト教化していった。)ここで、近代的自我・合理主義(近代科学・技術・資本主義)とロマン主義との分裂が生起したと言えるだろう(いわゆる、二つの文化である)。 では、資本主義とは、何かと言えば、それは、プロテスタンティズムを精神的土台とした、父権的近代的自我・合理主義/近代科学・技術をもつ、産業と貨幣経済とを結合させたものであり、完全に、ルネッサンスイデア界的強度への反動となっていると言えよう。そして、社会主義とは、民主主義的強度をもった、資本主義の乗り越えを企図としたものである。しかし、アナーキズムマルクス主義でわかるように、すべて反動化したのである。それは、やはり、上述したような啓蒙主義フランス革命の限界・被限定をもっていたと考えられるのである。つまり、近代的折衷・混淆であり、近代的自我の反動暴力性を内在していたのである。近代/現代革命はフランス革命のように(、あるいはそれ以前のピューリタン革命のように)、ほぼ全て反動化したのはこのためであると言っていいだろう。
 そして、時代が飛んで、ソ連崩壊と「冷戦終焉」により、アメリカ帝国主義的グローバリゼーションの絶対主義が起こったのである。(小泉はこの路線の被洗脳的盲目的人形である。)これは、上述の説明から何を意味するかもうすでにお分かりだろう。これは、プロテスタンティズム的父権的近代的自我・合理主義/近代科学・技術をもつ帝国的資本主義の世界覇権・支配・独裁を意味する。ここには、資本主義に対抗するものであったマルクス主義社会主義の敗北があり、また、ポストモダニズムの行き詰まりがあり、対抗理論を失ってしまった状況があった。結局、単なる啓蒙主義、民主主義という近代的路線はすべて破産し、ポストモダニズムを含めてポスト西欧の理論は衰退したのである。上述の論からの帰結として、ルネッサンスが内在していたイデア界的強度を新生・復活させなくてはならないということである。ルネッサンスルネッサンスが必要なのである。イデアルネッサンスである。プラトンルネッサンスである。これにより、ポスト啓蒙主義、ポスト近代民主主義、ポスト社会主義として、イデア界的啓蒙主義、民主主義、社会主義創発するのである。これは、資本主義を超克しないではいないだろう。イデア界的グローカル・コミュニティズムが発動するだろう。そして、この理論的基盤として、ポスト構造主義を超克した、日本発の不連続的差異論が今や超震超噴火したのである。

p.s. イスラーム教は、では、何を意味するのか。これは、父権的な一神教ではあるが、私見では、ユダヤキリスト教的父権的一神教とは異質なものである。すなわち、イスラーム教は、超越性ではなくて、内在性をもっているのである。つまり、イデア界的である。ある種母権的である。東方的なのである。イスラーム教は、キリスト教的差別主義とは異なり、差異共存性をもっているのである。だから、イスラーム教はこれからさらに拡大進展する力をもっていると考えることができる。

p.p.s. 日本で、どうして、新たなイデア論、不連続的差異的イデア論が創造されたのかと考えると、日本/東アジア/東方文化の問題がある。照葉樹林縄文文化は、母権的であり多神教的である。それは、いわばイデア界的なのである。八百万の神々とは、ほぼ不連続的差異的イデアを指していると言っていいだろう。そして、これが、西欧のように、キリスト教によって排斥、駆逐されなかったのである。つまり、縄文・母権的多神教文化は、現代においても日本文化・社会に根づいているのである(あった)。しかし、明治維新、戦後アメリカ主義を通して、これが危機に瀕したのであり、日本人は自己文化を忘失・亡失して(されて)、頼りのない幼児・小児のように、アメリカ主義に被洗脳・マインドコントロール的に感染してしまったのである。ここで、内在していた縄文・母権的多神教文化が黙ってはいないのである。この破滅破局的危機に対して、鬱勃と爆発的に復活したのである。これが、西欧的理論を批判的に吸収して、合体して、不連続的差異論となった結晶したということが言えるのではないだろうか。結局、東西文化の合体を意味するのであり、それが創造されるには、現代日本という状況しかありえなかったと思われるのである。韓国、中国その他のアジアの地域でもこれは生まれなかったであろう。また、ポスト・バブル、グローバリゼーションを経なければ、生まれなかったであろう。なぜなら、資本主義の徹底的発展と幻滅・絶望、そして西欧理論の十分な受容が必要だったからである。また、すぐれて母権的多神教性(縄文文化)が伝統文化として残存していることが必要だったからである。(これが、いわば奇蹟的に日本文化に内在・潜在的に残っていたのである。それは無形有形に残っているだろう。大都市以外の周辺的地方に行けば、いまだ残っているのがわかるが、いわば絶滅の危機ではある)。また、最先端のブログというメディアがなければ、生まれなかった可能性もある。つまり、本理論が生まれるのに必要な様々な条件が現代日本にそろっていたということである。

3p.s. デリダドゥルーズガタリフーコー等の理論は、上述から、イデア界的であったと言えるだろう。しかし、私見では、かれらは、明確に理論化できなっかたのである。デリダは、表現の迷路に入ってしまったように思えるし(もっとも、明敏に後期は政治や社会に関わったが)、ドゥルーズは混乱していたし、ガタリは独特の用語で、晦渋であり、不明快であり、フーコーは、鋭敏な批判論を展開したが、積極的な理論は提示しなかった。

4p.s. 西欧1920〜30年は、イデア界の強度をもった脱西欧文化の運動があった。D.H.ロレンスやアントナン・アルトーが文学者としていちばんそれを表現しているだろう。(また、カフカを入れるべきかもしれない。プルーストジョイスも根源的にはイデア界の強度から創作したと考えられるが、技巧を自己目的化してしまったと思う。つまり、技巧的物象化、フェティシズムがあると思う。詩人のエズラ・パウンドや一般にモダニズムは、技巧の物象化があるだろう。そして、このモダニズムの自己目的化から、現代文学や現代芸術は脱出していないと思う。モダニズム批判が成立していなく、モダニズムの堕落が支配的なのである。思うに、20世紀の芸術でどれだけ生き残れるだろうかと思う。
 ところで、D.H.ロレンスが、ほぼイデア界に到達して、西欧批判、キリスト教批判、そして、ポストキリスト教多神教に達することができたのは、イギリス文化の裏面であるケルト文化の強度がロレンスはもっていたからだと思う。先祖返り的である。ケルト文化は、日本の縄文文化に相当しよう。

5p.s. 1920〜30年代は、日本では、宮沢賢治等が活動していたが、宮沢賢治とは、イデア界の詩人である。東北に残っていた縄文文化ないしアイヌ的文化を体現したと言えるだろう。結局、私見では、この年代とは、現在と同様に、イデア界が活発に活動し、世界を賦活させていたと考えられる。共時性シンクロニシティ)あるいはベルの定理