未来の生活の保障:差異共創存歓喜経済

[経済] 未来の生活の保障:差異共創存歓喜経済

 将来が不安だから、お金を使わずに貯蓄する。購買力が衰えて、デフレとなる。緊縮である。そして、政府は大銀行中心に支援し、一般勤労者は、リストラされる。もし、先行きが安心できれば、お金を使うだろう。あるいは、豊かな生活が保障されるならば。お金は環流させないといけない。
 この将来の不安の問題は複雑である。これには、システム、資本、そして精神の有り様等が関係する。今の日本では、これらが未成熟だろう。未来へのしっかりとした、物心両面でのヴィジョン・構想があれば、有効需要が増加するだろう。そう、結局、未来の豊かなイメージが欠落しているから、落ち込んでいるのだろう。この点では、不連続的差異論は、未来の豊かなイメージを提起できるだろう。それは、差異共創生主義である。差異である人と人とのつながりの「力」、強度、熱をもった経済である。つまり、物を、心の強度を「連通(通連)」ないし共創存させて、売るのである。差異と差異との共存の喜びが、商売に息づいているのである。この差異共存共創生の喜び、歓喜、力が、商売を活気づけるのである。ここには、生への喜びがあり、未来が信じられるのである。生きる喜びのある商売、商いである。それは、小さいものであっても、人を動かすものである。その小さい火、生きる喜びをもつ商売の火は、広がるのである。つまり、差異共創存歓喜経済である。喜びの経済である。憎悪の経済である資本主義ではない。排他的企業から、差異共創存企業体へ。

p.s. イエスは、パンと信仰とを分離してしまい、精神主義的になってしまっている。これをパロディにしたのが、『カラマゾフの兄弟』の大審問官の話である。私説は、物と心が不可分であるという立場である。キリスト教的二元論を乗り越えるものである。

cf.
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