性交とイデア:D.H.ロレンスのセクシュアリティ

[性] 性交とイデアD.H.ロレンスセクシュアリティ

サド、マゾッホバタイユセクシュアリティと、D.H.ロレンスのそれとは異なる。マルグリット・デュラスと少し似ているかもしれない。つまり、ロレンスのエロスとは、女性的なのである。これまでの検討から、女性の方が男性よりも本来イデア界に近いのである(だから、一般に清潔好きであるし、美的である。もっとも違う考え方もできるかもしれないが。)。イデア界とは多様な差異=イデアの共存体である。だから、性の差異と精神の差異とが、女性において共存しているのである。故に、(実に簡潔であるが、)女性の性・セクシュアリティとは、性欲と精神とが連結しているのである。男性は両者分離しやすいから、女性と男性は、いわば「異文化」である。(思うに、冬ソナブームとは、女性的エロスの発露ではないだろうか。女性はどこに向かうのか?)ということで、D.H.ロレンスのエロスとは、猥褻裁判で裁断されたが、猥褻の対蹠点にある。とても美しい性欲である。美的な性欲である。性愛、性交を絶対美(absolute beauty)と表現した人は、D.H.ロレンス空前絶後であろう。ちなみに、最近、『チャタレー夫人の恋人』の新訳が、ちくま文庫武藤浩史訳)から発刊された。

p.s. ところで、D.H.ロレンスのいちばんの傑作とは、『逃げた雄鳥(死んだ男)』と『黙示録論』だと私は考えているが。

p.p.s. プラトンの『パイドロス』とロレンスの『チャタレイ夫人の恋人』を比較するといいだろう。前者は、精神の白い馬を肯定して、肉体・感覚の黒い馬を否定した。後者において、この二元論が批判されている。しかし、私見では、両者は一致するのである。プラトンの白い馬とは、実は、ロレンスの性である。つまり、白い馬と黒い馬が一致するのである。これは、女性的なセクシュアリティである。おそらく、これが新時代の潮流となるだろう。