反動的自我とイデア界:身心への障害

[叡智学] 反動的自我とイデア界:身心への障害


現象界に一体化して、イデア界を棄却している反動的自我は、倨傲・傲慢・尊大・支配・専制・権力的暴力・攻撃性をもっている。当然、他者に害悪であるが、自身にとってはどうなのであろうか。自身のイデア界は遮蔽・棄却されている。そして、メディア界の下部の現象界だけを見ている。そして、連続体としての自我中心である。思うに、一種、遮蔽膜のようなものがあり、そこで、イデア界を押しとどめている。イデア界の強度に対して、遮蔽膜は、遮断しているだろう。ここにイデア界強度への反動があり、これは、反作用として強度を強化するだろう。つまり、ここに遮断と反作用の反復が生じるだろう。つまり、一種活断層である。これはイデア界を阻害するというよりは、自身のメディア界を阻害しているということではないか。つまり、イデア界と現象界との接点であるメディア界をこの遮断は阻害し、危害をあたえているのではないか。メディア界とはいわば身心性ないし身体性である。ここを阻害する、これに危害をあたえることは当然、障害であり、病気を生むだろう。メディア界の傷が生じるだろう。結局、反動的自我は自身の身心ないし身体に障害をあたえているのであり、他者だけでなく、自己自身に危害を加えているのであり、病気を生んでいるのである。それは、精神的病気のこともあるし、肉体的病気のこともあるだろう。日々、反動的自我は病気を積み立てているのだ。おごれるもの、久しからずだけでなく、病気を形成しつつあるのである。