差異と差異との連続化のあり方

[叡智学] 差異と差異との連続(擬制)化のあり方:試論1

 不連続差異(不連続的差異)の連続化のあり方に関して検討すると、差異1と差異2の二つの差異の関係を考察すれば済むであろう。つまり、三つ以上の場合は、二つの差異の関係から演繹ないし敷延できるだろう。そうすると、差異1に関しては、境界がゼロになるときは、90度と270度の時であり、差異2も同様である。両者の順列を考えると、

差異1・・・90°、270°
差異2・・・90°、270°

1.差異1・90°・・・・差異2・90°
2.差異1・270°・・・差異2・90°
3.差異1・90°・・・・差異2・270°
4.差異1・270°・・・差異2・270°

というように、四種類の差異の連続化のあり方が生じるだろう。思うに、現象界において四元論がある種基本法則であるのは、ここと関係するのかもしれない。東西南北、地水火風(四大)、四つの力、四つの塩基、四つの血液型、時空四次元、四季、等。(占いとは、思うに、この差異の連続体の構造に拠るのであろう。しかし、この連続体とは擬制であり、常に近似値でしかない。つまり、かなりの誤差があるということである。だから、占いは科学にはならないのである。占いではなくて、差異連続体の構造学ないし構成学が成り立つのではないだろうか。あるいは、差異連続体の形相学である。これが、原型論、構造論、「イデア」論、先験的形式論等と等価であろう。)
 問題は、この四元論が、絶対的なものではなくて、擬制的であるということである。根源・本源は、イデア界である。そして、不連続的差異(不連続差異)の共存の強度関係が基盤である。つまり、イデア界での差異の強度回転があり、この回転運動により、メディア界がゆらぐのであろう。このゆらぎは、現象界からはほとんど察知されないだろう。しかし、これが、現象界の運動の根源であろう。強度からエネルギーへの変換が、この差異連続体(擬制)に生じると言えよう。
 さて、思うに、霊的存在と想定されたもの、たとえば、神々、仏、菩薩、霊魂、精霊、妖精、天使、悪魔、幽霊等は、実は差異のことではないだろうか。というか、不連続的差異論(不連続差異論)からそのように考えられるということである。民俗学もこの観点から見るべきだろう。河童とは、差異だろう。水や川の差異。そして、折口信夫のマレビトとは、やはり、差異強度的存在だろう。というか、人のエッセンス・差異・イデアだろう。イデア界のヒトのエッセンス・差異・イデアがいわば啓示されるのだろう。「黙示録」だ。つまり、イデア界的ヒトである。

p.s. 当然ながら、微分とは差異連続体の極限計算であるが、擬制であり、近似値に過ぎない。根源は、差異という特異点である。特異点特異点との回転関係がメディア界を形成し、そこから現象界が発現するということであろう。